戦争が終わって、軍に出ていたパパやお兄ちゃんが帰ってきた。近所の友達もそうで、悲しい顔をする子や嬉し涙を流す子達で街が良くも悪くも賑わいを取り戻した。最近この街にやって来たおにいさんもそうで、元々ここに住んでいて長らく不在だったところようやく帰ってきたらしい。とっても背が高くてハンサムだからママ達の間ですごく噂になってて、あたしは気になって声をかけた。それがきっかけ。色んな国を旅してきたらしくおにいさんは嘘みたいな冒険話を顔を合わせる度に聞かせてくれた。あたしは夢中になってお話を聞いた。それから両手でも数え切れないくらいおにいさんと遊んでいくうちに、あたしはおにいさんが聞かせてくれる冒険話よりもそれを話しているおにいさんの顔や仕草が気になるようになった。
白状すると、あたしの初恋はその時奪われてしまったのだ。
「色んなお国を旅する時に、女の人には会わなかったの?」
「というと?」
「素敵な女の人」
おにいさんは悪戯っぽく笑った。
「マセガキ」
「あたしは大マジメよ」
「そりゃあ、失礼。じゃあ俺も大マジメに答えなきゃだな」
あたしは固唾を呑んだ。ドキドキしながらおにいさんの薄く開かれる唇を見つめた。
結果から言えばおにいさんにそんな相手はいなくて、当初考えていた懸念は杞憂に終わったのだった。でもあたしの不安は拭えなかった。それどころか渦を巻いて膨れ上がった。だってノーの単語を発するおにいさんの顔を見たら誰だってそう思うから。
おにいさんにはきっと大切な人がいるんだ。
あたしの初恋はそうして敢え無く砕け散った。
お兄さんと会ってから数年が過ぎて、あたしはパブリックスクールに入学した。寮での生活に不足はなくて、最近良いなと思えるような男の子もできた。
お兄さんに会うのは去年のサマーホリデー以来だった。あの頃よりも随分大人びたあたしは、昔お兄さんが話してくれた冒険譚はお兄さんが戦場カメラマンとして各地の前線を取材した話だったことを理解した。
「久しぶり!ちょっと見ない間に大きくなっちゃって、子供って恐ろしいなあ」
「このままあんたも越しちゃうかも」
「君はお母さん似てかわいいから、モデルになれるかも」
色んな話をした。身内の話、クラスで流行っている話。お兄さんはといえば、最近お母さんが亡くなって遺品整理で忙しかったらしい。戦場にいたから人一倍お別れを体験してきたけど、寂しいものは寂しいよね。お兄さんはそういって微笑んだ。
「今住んでる家を売ろうと思ってるんだ」
「どうして?」
「この街を出るから」
目を見開くあたしにお兄さんはにやりと笑った。
「いきなりじゃない!」
「今言った。というか、お別れを言いたくて呼んだんだから」
「お別れって…いつ出発するの?」
「明日」
昔から思っていたが、お兄さんはちょっと、いやかなりむちゃくちゃだ。
「元々戦場へ行く前から色んな国を放浪しててさ、今回は母さんの介抱の為に来てたんだよね。弟にも伝えたかったけど、あいつの連絡先なんてもう知らないし。ほんっと、親不孝者」
「兄弟がいたの」
「うん?言ってなかったっけ。俺双子なの」
ビックバンだ。お兄さんは神様が悪戯するみたいに簡単にあたしの頭に爆弾を投げる。この世にお兄さんが2人。せめてその弟がお兄さんみたいな中身じゃなければいいけど。
「何もかも初耳よ…なんなのよ、もう」
「昔みたいだね。俺の話聞く度にそうやって驚いちゃって、まぁ~可愛かったなあ」
「今は可愛くないですって?」
「あら失礼」
「否定しないさいよ」
ため息をついてから、あたしはひとつの可能性を思いついた。そうしてそれを深く考えもせずに聞いてしまってから、後悔した。昔からの悪癖だ。
「ねえ、引っ越すのって、ママ達が噂してるから?」
最近、というよりも随分前からお兄さんの周りには悪意のある噂が蔓延っていた。元々目立つ風貌に加えて、若い男がいつまで経っても結婚しないどころか女っ気のひとつもないとなれば、近所の暇を持て余したマダムの格好の餌というものだ。お兄さんがそうであるとはとても信じていないが、万が一にも噂が原因でこの街を出るというのなら面目がなかった。
「違うよ。ここに来た時から決めてたことだから」
「そっか…」
お兄さんがあまりにも軽く答えたのであたしは肩の力が抜けた。同時に残念にも思った。もし噂が原因だったなら説得の余地があったかもしれないのに。
「じゃあどうして?」
「行きたいところがあるんだよね」
「行きたいところ?」
「そう」
「なんていうところ?」
「ずっと東にある所」
「遠いの」
「うん。でも、オレが1番知りたかった場所」
お兄さんは笑った。あ、と思った。昔おにいさんが1度だけ見せた顔だったから。あたしがおにいさんに聞いた時の、遠くを見るような顔、違和感。まだ幼いあたしに失恋の苦みを教えた、あの。
「そう…」
これが最後なんだ。あたしは妙に実感して、ちょっとの躊躇いと共に聞いた。
「大好きな場所?」
「そうだね」
「そっか」
「……」
「また冒険に出るのね」
「うん」
「また会ったら聞かせてよ」
「もちろん」
「絶対よ」
お兄さんは笑った。あたしも笑った。多分下手くそな顔をしていたと思う。でも笑って送り出したかった。お兄さん、ふっ切れたみたいなすごくイイ顔をしてたから。
きっと会いに行くんだ。お兄さんの1番知りたくて、大好きな人のところに。
胸に感じた苦みとはこれでお別れ。
- 補足 -
おかぱの好きな相手は言わずもがな捨てくんなんだけど、捨てくんは実は戦死してる設定。というかお国的に敵同士だった。どういう経緯で仲良くなったかは分からないけどちゃあんとお互い愛し合ってたと思う。おかぱは戦前からライターとして各地を渡り歩いてた。近所のマダム達が噂していたのはおかぱがゲイなんじゃないかってこと。設定した時代的に当時はまだ同性愛に寛容じゃなくて、見合い話をことごとく蹴っていくおかぱに腹いせからかそういう噂が蔓延るようになった。ちなみにおかぱはバイセクシャル。女の魅力も男の魅力も知ってる(この世界線では童貞ではない)
最近捨てくん殺してばっかですまねぇ…こういうの好きで……ごめんなさい…取り残された夫と先立った美人妻的なシチュ、おかすてにピッタリだから…