妙にひねくれたおかぱが妙な夢を見て妙な捨てくんに絆されかける微妙な話 ガキの頃の記憶なんてろくに覚えちゃいないけど、中々寝付けない夜に母さんに子守唄と共に寝かしつけて貰った記憶は妙に覚えている。ベタな話だが、髪を撫でる手つきの乱雑さと、その割にはあたたかな体温は、当時の俺にはよっぽど大切だったらしい。
サイバーライフからアンドロイド刑事が派遣されてから一週間、頻出する変異体の事件に、ジェリコ軍の革命、怒涛のような毎日だった。いや、それは今も変わらないが。
革命に混乱は付き物だ。それに順応できる者と抗う者、そこが別れ道となり、順応できない者はやがて淘汰される。自然界では普通のことだが、人間にはその仲介役を担う者が存在するのが違うところだ。そしてデトロイト市警も例に漏れず、あの一夜のデモ以降欠かさず現れる人々(ここではアンドロイドも含まれる。奴らを少しでもプラスチック扱いしてみろ、アンドロイドハラスメントで訴えられてしまう!)の増悪に揉みくちゃにされる日々を送っている。
「目が覚めましたか」
どうして今になってあんな殊勝なものを思い出してしまったのか。ああいうしんみりさせるものはいかんせん性にあわない。それも全部目の前にいるにっくきプラスチック野郎のせいだ。
「……今なんじ」
「午後8:16。署の方々はほとんど帰宅している頃でしょう。タクシーをお呼びしましょうか」
こちらを見下ろしてくる澄まし顔に俺は無性にムカムカして意味もなく悪態を吐いた。今朝現場から帰って直行で仮眠室に入ったから、丸一日眠っていたことになる。当然カーテン越しの外は真っ暗だ。ここは都会だから、ビルの人工光に照らされて星もロクに見えやしない。
「クソ、そんなに寝てたのかよ。髪も肌もベトベトできもちわるぅ」
「丸2日寝ていませんでしたから無理もないでしょう。帰宅したらすぐにシャワーを浴び食事をとることを推奨します」
「いいよなぁ、あんたらは。長時間動いてたって、疲れることも腹が空くこともない。バッテリーとブルーベリーだかをぶち込めばピンピンしてるんだもんな。そりゃあ俺たち人間の出る幕なんてないよ」
「ブルーブラッドです」
「え?」
「ブルーベリーではなくブルーブラッドです。アンドロイドにエネルギーを供給する液体で、胸部のシリウムポンプから全身へと循環させ……」
「ああ、そう、ご丁寧にどうも……」
いつもの応酬に答える気力もなく俺は硬いお粗末なベッドから降りた。変異体の方がまだマシな返しをするに違いない。奴のこめかみのピカピカ光るLEDを光源に足元を辿ろうとして、ふとその肩に薄らとホコリが積もっているのが見える。ぼんやりと足を止めた俺を奴は疑問に思っているんだかいないんだか、よく分からないいつもの表情で見返した。
黄色と蒼のオッドアイなんて、サイバーライフも趣味が悪い。到底プラスチックとは思えない流動皮膚に反して、それだけが妙に作り物めいていて異様だ。作り物なんだけれども。
「積もってんよ」
ホコリを払う俺をやっぱり妙な表情で見つめていた奴は、突然俺の頭に右手を乗せた。そしてそれを右に左にスライドさせた。
「…………」
「……なに?」
「なにとは?」
「なんで俺の頭に触ってんの?」
「?私と触れ合いたいのかと」
「は?」
「?」
なんだ、この、妙な雰囲気は。
「データベースからストレス値の高い人物を宥める場合、多くの人間、特に母親はこのような行動に出ると演算されました。」
「子供扱いすんな!」
「シュミレートの結果この処置があなたにとって最も適切かと」
「なんだよそのポンコツソーシャルモジュール!サイバーライフももっと気の利くプログラムがあっただろ」
「私は捜査補佐専門モデルですから。日常に溶け込めるようデザインはされていますが、一般の家庭用アンドロイドと比べてソーシャルモジュールの機能に多少見劣りするでしょう」
「はあ、もういい……」
俺はうんざりして首を振った。
「違うって、ホコリだよ。お前の肩に積もってた」
「ホコリ」
「そう」
奴はLEDを忙しなく点滅させて何やら考え込んでいるようだった。赤、青、黄色、まるでイルミネーションだ。寝起きの目には少しきつい。
「申し訳ありません。誤解しておりました。てっきりあなたに今朝の事件によるPTSDの兆候が現れたのかと……」
「人を病人みたいに言うな」
「申し訳ありません」
馬鹿らしい。
俺はここ2日分を含めたため息をついてドアへと向かった。全身が痒い。特に頭が。先程撫でられた感触がまだ残っている。頭皮に溜まった皮脂がワックスの役目をしてきっと髪は弄られた状態のままキープしてるだろう。
「今朝の事件ですが、午後3:00に容疑者を捕まえたとの報告が」
「ああそう。俺の二徹も意味があったってワケね」
「証拠も既に揃っています。容疑者も直に自白するでしょう」
「そりゃあめでたいね」
「証拠が揃っていて、犯人の逃走ルートも割り出していた。そう急ぐ案件ではなかった筈です。なぜですか」
「俺もたまには仕事熱心になるのよ」
「ここ最近のあなたは感情的だった。繊細で、まるでなにかに咳立てられているかのように」
俺は黙ってドアノブを捻った。奴はそれを止めようとはせず、ただ静かに続けた。
「被害者の母親ですが、リハビリを受ければ回復の見込みは十分あるようです。介護型アンドロイドの付き添いを受けて既に始めています。あなたが救ったんです」
奴にしては珍しく躊躇っているようだった。2人しかいない空間ではアンドロイドの微細なモーター音も響く。奴が今どんな表情をしているのか、今振り返ればきっと見物だろう。
「あなたのご家族のことで、あなたが責任を感じる必要は全くない。あなたはもう、なにも背負わなくていいんです」
「なにが言いたいんだ」
奴は今度ははっきり言った。
「私はあなた自身も大切にしてもらいたい」
「……なんだよ、それ」
12月も半ばに差し掛かる頃、本格的に積もりだした雪は肺を芯から凍らせる。疲労でふらつく足を何とか奮い立たせて愛車に乗り込んだ。エンジンを吹かせてヒーターから流れ込む風が凍てついた空気からあたたかい風に変わるのを待ちながら、俺は凍ったフロントガラス越しに空を見た。
俺は結局振り返ることができなかった。
署を出てここに着くまでにも、俺は頭の中で何度もあの時間を反芻している。奴の声、吐息、震え、微かなモーター音、そして、触れた手のあたたかさ。
奴が変異体じゃないなんて嘘だ。あれを変異体と呼ばなくて、何と呼ぶのか。
ファック!俺は力任せにハンドルを叩きつけたが、栄養失調の今の身体じゃ情けなく拳がハンドル横を掠めただけだった。俺はため息を吐いた。まだ車内は凍っていて白い蒸気が視界を曇らせる。それなのに、奴の手が触れた頭は妙に熱が燻ったままだ。下手くそな撫で方だった。ヘタクソ。髪は乱れるし。体温調節ミスってんのか。母さんだって、あんなに熱くはなかった。
相変わらず夜空は都会の廃棄物に塗れて濁った空気を映し出している。