君は僕の運命だけど僕は君の運命じゃ無い 赤、赫、あかったらしい景色に網膜が焼ける。ロナルドはうんざりしながら地面を覆う糸玉を避けて歩いた。
今夜現れた頭ポンチ野郎の名前は吸血鬼「運命大好き」と言った。運命の赤い糸を具現化する特殊能力に支配された新横浜では、そこかしこに現れた赤い糸に塗れて大混乱に陥っている。人々は絡み合った糸にすっ転んだり、うっかり自分の糸を切ってしまったりするなどして、突然現れたか細い糸に翻弄され続けていた。
ちなみに元凶は既にロナルドが拳で沈めているのだが、能力が解除されても糸は夜が明けるまで消えないらしい。幸い糸そのものは人体に影響はないし後遺症も特にないとのことらしいが、とはいえ糸塗れな街を放っておくわけにもいかない。そういうわけで、今夜は退治人も吸対も総出で糸の後始末に駆り出されることとなった次第である。
「ああクソ、キリがねぇ。えーと、この糸がこっちに行って、次はあっちで……?」
「ご覧よジョン、ゴリラが両手に糸を持ってウホウホ考えているよ。これぞ考える人ならぬ考えるゴリ、」
殺した。
ロナルドが再び絡まりまくった糸と格闘を始める横で、砂と化したドラルクはナスナスと呑気な顔で再生する。いつも白手袋に覆われた枯れ枝みたいな小指に結ばれた赤い蝶々結びの先は、腕に抱えたアルマジロの胴体に繋がっていた。腹立たしいが、まあ納得はできる。運命というのは何も恋愛にだけ使う言葉ではない。ドラルクとジョンの間には誰にも立ち入ることのできない固い絆が在るのだから、それが赤い蝶々結びとして形を為すことは至極当然なことだろう。
それに引き換え、自分は。ロナルドは思わず自分の両手を見下ろした。
足元に落ちていた、誰のものとも知れない糸を解きほぐす手には、結び目は一つもついていない。街のあちこちにこんなにも運命が溢れかえっているのに、ロナルドの小指はまっさらなままだった。
「……まあ、分かっちゃいるけどよ」
運命の赤い糸なんてロマンチックなものが似合う人間じゃないことぐらい、自分でも理解していた。それでもこうして目の前に現実として見せつけられると多少は凹むものがあるのだ。
若干しゅんとしながら、それでも仕事だけは全うしなければとロナルドは無言で糸玉を解いた。こういった細かい作業は得意ではないが、銃の整備ができるぐらいには指先は動く方だ。一つ一つの結び目を緩めて、あちこち縦横無尽に走る糸を辿りつつ、絡まる糸たちを綺麗に整えていく。
それにしてもこの辺りは糸だらけの街の中でも特段に糸が多い。一体どこからこんな大量の糸が来たのだろう、とぼんやり考えていると、ドラルクがおもむろに口を開いた。
「ううむ、それにしてもこの辺りだけでも夥しい数の『運命』が落ちているね。いや、これはもはや情念と呼んだ方が良さそうだが」
「あ?」
何となくその言い方に皮肉めいた響きを感じて顔を上げる。ドラルクはこちらを見なかった。胡麻粒みたいな大きさの赤い虹彩は、地に落ちた幾本もの糸を面白そうに眺めていた。
「ねえロナルド君、興味深いじゃないか。君が行き着く先々に大量の糸が落ちている。お陰で君はここから離れることができないだなんて」
「……? そりゃ、こんなに絡まってんのに放っておけるわけねぇだろ」
「……アハハ! そうとも、君はそういう人間だからね」
それからドラルクは、くるりと役者の様にロナルドの方に向き直った。ターンするのに合わせて黒いマントが揺れる。まるで寿命を告げる死神みたいな顔で、歌う様に呟いた。
「ところで恋人いない歴を堂々更新中ルド君は知らないかもしれないが、運命というのは何も両想いとは限らないものだよ」
「意味分かんねぇこと言ってるけどとりあえず馬鹿にされたことだけは理解したわ」
「まあ聞け。ほら、ちょっと前に流行った歌で言ってたじゃないか、『君の運命の人は僕じゃない』って。自分にとっては運命的な存在であっても相手がそうだとは限らないってことだよ」
君の運命の人は僕じゃない。
世間で一大ヒットとなった曲を引用しただけあって、ドラルクの言葉には妙な説得力があった。しかし感心したのも束の間、直後に「まあ五歳児には難しかったでちゅかねー?」と煽られたので、ロナルドは念入りにドラルクを砂にしておいた。
茶々を入れる相方を置いて糸を辿り、少しずつ夜道を進んでいく。結び目だらけの糸玉がようやく半分ほど解けてきた頃、どこからか足音が近付いてきた。ちら、と目線を上げると、見慣れた白い制服の男が見えた。
よう、と軽く手を挙げても半田は無言のままだった。いつもなら放っておいても五月蝿いぐらいの勢いで絡んでくる男が、まるで借りてきた猫の様に大人しくしている。不思議に思ったロナルドは、すぐ近くまで寄って来た半田を見てギョッと目を剥いた。
「半田、その首のやつどうしたんだよ⁉︎」
半田の首には赤い糸がかかっていた。逞しい首をぐるりと一周して固結びされた糸は、どこか首吊りを連想させて不気味だった。ただでさえ首元を締められるというのは気分が良くないものなのに、皮膚に糸が食い込むほどきつく縛られている様子は見ているだけで痛々しい。
だというのに半田は涼しげな顔で己の首を撫でていた。まるで自分の首を戒めるそれを確かめるみたいな手つきだった。
「安心しろ。この糸も例の能力の影響だし、見た目ほど苦しくはない」
「そ、そうなの? でもお前、何で首なんて……」
ロナルドは解いている最中の糸を持ったままオロオロしていると、ふいに半田が小さく呻いた。
「おい、急に暴れるな馬鹿ルド! 貴様の握っているそれは俺の糸だ!」
「えっマジ? ごめん!」
なるほど、どうやら半田の糸はたまたまロナルドのいる方向へ走っていたらしい。慌てて手の中の糸束を離してやった。これで苦しくないか、と尋ねると、やや間が空いてから ああ、と短い返事が聞こえてきた。
半田はしばらくロナルドの手と、解放されて地面に落ちた糸を見比べていた。それから、低いため息と共に射殺しそうな目つきで睨みつけてくるものだから、ロナルドはちょっと泣きそうになった。
「な、何だよぉ……そんなに苦しかったのかよ、悪かったって。お前の糸がこっちに来てるなんて知らなかったんだよ……」
「っ……だから貴様はいつまでも救いようのない馬鹿なのだ」
「そ、そこまで言う⁉︎」
エーン! とロナルドの情けない声が赤い糸だらけの路地裏に消えていく。
なお、夜が明けて糸が消えるまで半田はいつもより執拗にロナルドのことを苛めた。理不尽すぎるし意味が分からん、と後々にドラルクに愚痴ったところ、何故か急に砂になった後に「……そうだね、可哀想にねぇ」と遠い目をしていた。