Party Monster 骨すらも揺るがすような重低音が全身に響く。聞きなれないEDMが狭苦しく、蒸し暑い空間を満たしていた。
ひしめき合う人々の波を、色とりどりの光が活性化させる。
誰も彼も熱に浮かされたような顔をしては、他人の目など気にもしないで踊ったり笑ったり……隅の方では見たくもないというのに濃厚なキスをしていたりだとか。
――――とにかく異質な場所としか言えない。
一歩入った瞬間、俺はこの店に来るべきではないと真正面から叩き付けられたような感覚に陥る。
だが、髪も後ろに撫で付け、自分だとバレないようにコンタクトまで入れたのだ。
ここまで来たからには後には引けないと、グッと顔を持ち上げてさらに奥へと入り込んだ。
働いている会社が一週間だけソラスに出張に行けと命じてきてから六日が経っていた。
明日には帰るから、ソラスで有名なナイトクラブに行こうと思い立ったのは今朝方の事だ。
とにかく仕事がバタバタとしていて、観光のひとつも出来ていなかったのもある。
普段はこんな場所に来ようなんて考えた事もなかった。
だが、妹のミラがガイアの地下に秘密裏にあるナイトクラブにときたま行っては、そこで起きた大変愉快な出来事を聞かされていて、少しだけこういった場所に興味があったのだ。
本当なら一緒に連れて行ってくれと言えば良かったのだろうが、流石にそれを言うのは恥ずかしさの方が勝った。
そうして、どうせ明日にはガイアに帰るのだから、多少ここで失敗しても問題ないと思えたのもある。
どうにか周囲の人ごみをすり抜け、室内の壁際に向かう。様々な匂いや笑い声。そういう喧騒すら掻き消す楽曲の奔流。
アルコールも含んでいないのにすでに酔ってしまいそうだ。さっさと一杯ほど飲んで退散した方が良いかもしれない。
そんな事を考えていると、ふと、クラブ内に設えられたバーカウンターに目が向く。
店舗内には派手な格好をした人間は何人も居たが、その中でも一際目立つ男が立っていた。
スラリとした長身に似合いの体格の良さと、ウェーブがかった前髪を垂らし、整えられたヒゲでも隠せないくらいの美しい顔立ち。
手に持ったビールを慣れた様子で口許に運びながら、カウンター越しにバーテンと親しげに話していた。
いかにもソラス育ちの遊び人といった出で立ちの男に、目が奪われる。
まるでソイツにスポットライトが当たっているように感じられるが、そんな事は当然無かった。
全く、今夜はどうかしている。目を逸らそうとする前に向こうに立っている男の目がこちらに向けられる。
パチリ、と静電気のような刺激が脳に走って、何度か瞬きを行った。
どうせ目が合ったと思っているのは俺だけなのだろうと顔を逸らそうとするが、その前にバーテンに声をかけていた筈の男がビールを片手に俺の方へと真っ直ぐに歩いてくる。
そうして壁際に居る俺の前に立ち塞がるようにしながら上から下まで無遠慮に眺め回したかと思うと、見た目よりは柔らかく懐っこい笑みを見せた。
「おにーさん、一人?」
「……あぁ……」
「おにーさんってか……お坊ちゃんか? 見たこと無い奴だな。この辺りの人間じゃないだろ?」
低すぎず高すぎずの耳当たりの良い声。
それだけならいいが、ビール瓶を持っている手だけではなく両手をパタパタと動かす男は落ち着きがない。
こういう場だからだろうか? それとも元から慌ただしい性格なのか?
そんな風に思いながらも、声をかけられたという事実に、反応を返さなければといつもよりは大きな声で答えた。
「……仕事で来てるんだ。いまだけ」
「ふぅん」
お坊ちゃんという呼称に眉をしかめかけるが、確かに年齢的には向こうのが上かもしれないので黙っておく事にした。
ヒゲが生えているから年上のようにも見えるが、近くで喋るとそこまで離れているようにも思えない。
そもそも、こじゃれたジャケットにピッタリとフィットしたボトムスと、履き慣れているらしいレースアップブーツを着こなしているコイツは、何故俺に話しかけてきたのだろう。
「……なぁ、踊らないのか? そういうのは苦手?」
「苦手では無いが……」
こういった場所に来たのは初めてだから、と急に気恥ずかしくなって小さく囁いた。
きっと聞こえていないだろうに、目の前の男は顔を覗き込んできたかと思うと、何が楽しいのかも知らないが歯を見せて笑いかけてくる。
きっとこの笑みで何人も骨抜きにしてきたのだろう。
そう確信してしまいそうなくらいに心臓が強く脈打った。
「なら踊らなきゃな! パーティーでは踊るのがルールなんだぜ」
「!? パーティーって、なんの……」
持っていたグラスを近くのハイテーブルに置いた男が、俺の腕を掴んでフロアの方へと引っ張っていく。
虹色の光彩が頭上から降り注ぎ、キラキラと輝いている。
周りに人がたくさん居るのに、俺の前で軽やかに踊りだす男の姿しか視界に入らない。
「ほら、やってみろって! 折角来たのに勿体無いだろ!」
ゆらゆらと腰をくねらせ、リズムを刻んでいる男にそう言われると、確かにこんな場所まで来たのに楽しまないのは勿体無いような気もしてくる。
見よう見まねでリズムを取りながら身体を動かせば、なんだか気分が盛り上がってきて困惑してしまう。
「楽しいか? 俺は楽しい!」
爆音で流される曲に負けないように大声でかけられる言葉に、思わず頷く。
名前も知らないし、どんな人間なのかもわからない。それでもこの瞬間は、確かに面白い。
どうせコイツとは二度と会う事も無いのだろう。だったら、思いっきり楽しまなければ損だ。躊躇いの気持ちは捨てて、今夜は踊り明かそう。
そんな気分のままに、俺は目の前の相手に合わせるようにステップを踏んでいた。
□ □ □
「くそっ。パーティーがあると聞いてきたのに、誰も踊っていないとは」
キョロキョロと室内に目を向ける。
普段かけられている曲よりも明るいテイストの音楽が流されており、いかにも"パーティー会場"といった様子になっている綺麗に飾り付けられたパラダイスラウンジには既に何名かのレジェンドが来ていた。
店のカウンター付近でしょぼくれた顔をしていたパーティーの主催者であるミラージュの顔が段々と明るくなっていく。
いきなり俺やレイス達にワケのわからない嫌味を投げてきていたとは思っていたが、パーティーを誘ったつもりになっていたとは、本当に間抜けな男だ。
しかし、俺がコイツの誘いを黙って断るような人間だと思われるのもシャクだった。
少なくとも無理ならば無理だと言うし、そもそも断る理由が無い。
「クリプト! ……お前も、ちゃんと来てくれたんだな」
「……まぁな。どうせメールを出し忘れたか何かだろう? 全く、勝手に一人で拗ねて文句垂れてきやがって」
「……んん……まぁ、そういう感じだろうなぁ……」
照れ臭そうに頭を掻いたミラージュの腕を引く。
確かにコイツのミスではあるが、少なくともそこまで自分の思いを真っ直ぐに伝えてこないコイツが、あそこまで言ってくる時点で相当寂しい思いをしたのだろう。
だったら、今から楽しい気分にさせてやるのが一応、コイツの恋人としての俺の役割だとも思えた。
驚いたような顔をしたミラージュを連れ、天井で回るミラーボールの光の下で勝手に踊っているデコイ達の隙間を抜けてフロアの中心へと向かう。
こんな出来事が過去にあったような気もしたが、あの夜の記憶はおぼろげだ。
だが、これだけは思い出せる。
「パーティーでは踊るのがルールなんだろ? ならさっさとお前のダンスを見せてくれよ、ウィット」