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    凛潔/身勝手に見える凛と実は満更でもない潔

    Iの衝動 人間の三大欲求は、睡眠欲、食欲、それから、性欲……らしい。
     この閉鎖空間である青い監獄ブルーロックの中で真っ当に満たされるものなんて、睡眠欲くらいだろう。
     最近やっと一人ひとりにあてがわれるようになったベッドはお世辞にも良い寝心地とは言えないから、それだってギリギリのラインだが。
     食欲に関しては最初に青い監獄ブルーロックに来た時の納豆地獄からは解放されたものの、今だって最高に良い状況かと言われれば疑問符が浮かぶ。
     実家で母さんが用意してくれていた豪華な食事と比べれば、ここの料理は悲しくなるくらいに"シンプルイズベスト"を体現していた。
     いくらでも並べられる不満を抱えながらも、ここに居るのは、それら以上にサッカーに対する欲を満たしてくれるからだ。
     今までの世界では絶対に味わえなかった短期間での圧倒的急成長。
     県大会二位止まりだった俺が世界のトップストライカーと力試しのゲームとは言え、実際に同じフィールドの上に立てたのだ。──これが幸運と言わずしてなんというのだろう。
     無論、自分自身でも必死に努力して掴み取った結果ではあるけれど。
     「いーさぎ、どしたの? 早く食べないと冷めちゃうよ」
     「……確かにそうかも」
     「自主練ハードそうだったし、疲れちゃった?」
     「んん? ちげーよ。ちょっと今日の振り返りしてた」
     「あは。いつも通り熱心だねぇ」
     隣に座る蜂楽の心配をともなった声に、飛びかけていた思考を取り戻す。こういう時に誤魔化すすべには結構自信があった。
     だから、蜂楽がへらりとした笑みを浮かべて盆の上に置かれた夕飯に手を付けるのを確認してから、自分も同じように真下へと視線を戻す。
     今日も今日とて長机に置いた盆の上には質素なおかずと白米、それから味噌汁の器。それらは毎日出されるから、そんなに大した変化はない。
     ただ唯一この場でいつもと違うのは、俺の向かいに座っている人物だけだ。
     「はーあ、凛ちゃんのステーキめっちゃ美味しそー。俺にも一口ちょうだいよ」
     「誰がやるか」
     「ケチ」
     「うるせぇ、黙れおかっぱ」
     誰に対しても物怖じしない蜂楽が、続けて向かい側に居る凜にちょっかいをかける。
     凜も凜で俺がこのチームに引き抜かれる前に蜂楽とは何日間か一緒に過ごしていたからか、思ったよりマトモな会話を続けていた。
     人と人とも思っていなさそうな冷たい表情は相変わらずだが、そこまで悪い奴じゃ無いのはもう知っている。この数日間で特にそれを思い知らされた。
     ブーブーと文句を垂れながらも分からない英単語を皆に教えている姿は、想像していたよりもずっと面倒見がいい。
     凛が根負けするくらいに蜂楽たちが質問責めにするものだから、仕方なくだったのかもしれないが。
     けれどそういった凛の今まで知らなかった一面を知る度、もっとコイツと話してみたいと思った。
     どういった食べ物が好きで、どんな風に練習をしていて、意識している事はなんなのか。
     青い監獄ブルーロックで一番になる人間の思考回路を覗いてみたいと思った。凛という人間をもっと知ってみたいと。
     だから蜂楽と夕飯を食いに行こうとなった際に、どうせ断られると予想しつつ凜に声をかけたのは俺だ。
     まさか本当に向かい合って一緒に食事をる事になるとは思ってもいなかったけれど。

     黒い鉄板の上、ジュウジュウと肉の焼ける匂いと音を立てている美味そうなステーキが横たわっている。
     それを両手に持ったカトラリーで丁寧に切り分ける凜の姿をバレない程度に目で追った。
     凜は身長もあれば、顔立ちだって俺なんかよりずっと綺麗だ。
     蜂楽が世間一般的には愛嬌のある可愛い顔立ちに分類されるんだろうなと思うのと同時に、凜は俺よりも年下なのにしっかりとした男らしさを感じる。
     勿論、年相応の喧嘩っ早さとか、口を開けば生意気な言葉が飛び出す辺りはコイツもまだまだガキなんだなとは実感するが。
     きっとこの場所で出会わなければ、俺達は永遠に出会う機会の無かったメンバーなのだろう。
     住んでいる地域もバラバラで、蜂楽はともかく、凛と俺が監獄の外では話をするキッカケすらも無いのは想像しやすい。
     仮にサッカーで繋がったとしても、コイツにしてみれば最初の俺なんてただの雑魚キャラ扱いな筈だ。

     凜が切り分けた肉の一片にフォークを突き立てる。
     適度な焼き加減で焼かれた柔らかい肉は、あっさりとそのフォークの先端をめり込ませ鉄板の上から持ち上げられた。
     とろりとしたステーキソースが端からしたたり落ちる。それを気にした様子も無く、少しだけ顔を鉄板に近づけた凛が鬱陶しそうに前髪を軽くはらう為なのか首を動かした。
     食事の仕方は"あの時"の傾向が出るらしい。
     向かい合って食事をしている凜の姿を見ているうちに、高校で同級生たちとした馬鹿みたいな下ネタを思い出した。──本当に俺はバカだ。
     この青い監獄ブルーロックで充足を得られるのは睡眠欲と、辛うじて食欲くらい。
     一応お年頃ではある自分も、"そういった事"に興味が無いワケではない。
     だからって、なんでこんなタイミングでこんなくだらない話を思い出してしまったのだろう。
     グラグラと揺れる脳を押さえつけ、凛へと向けていた意識を散らそうと手に持った箸で白米を取って口へと運ぶ。
     家で出されるよりかは少し固めな炊き具合。慣れた食感。何も変わらない味。
     ふと顔を上げると、大口を開けた凜が持ち上げたステーキに噛み付いて肉厚なそれが引きちぎられていく様を見てしまった。
     白い歯が容赦なく赤黒い肉を頬張って、咀嚼そしゃくしていく。
     薄い唇についたソースを赤い舌先がチロリと舐め上げ、しっかりとした喉仏が何一つ零さず飲み込んだのを伝えるように一度、大きく上下した。
     「潔」
     「……は……」
     「テメェも見てんじゃねぇよ」
     荒い気質を表すような鋭い光をたたえたターコイズブルーが俺を睨む。
     半ば無自覚の動きを指摘されて息が詰まった。
     最悪な気づきを得てしまったのを笑ってやり過ごそうとしたのに、凛の長い足先が机の下で俺のすねを軽く小突くものだから言葉が見つからない。
     そんな俺達を隣で見ていた蜂楽がフィールド上で魅せるドリブルさながらに、持っていた箸で凜が切り分けたステーキの一番端をつまみ上げて口の中に放り込んだ。
     「おい! 何勝手に食ってんだ、殺すぞ!」
     「にゃははー! 凛ちゃん隙あり!」
     「……こらこら、お前ら!」
     ギャアギャアと騒ぐ凛と蜂楽を止めなければと慌てて思考を切り替える。
     腹の奥底で自分でも名付けようのない感情が渦を巻いていたのは、そんな騒ぎの内にすっかり忘れてしまった。

     □ □ □

     「! ……っ、……凛、……やめろって……」
     背後から覆い被さるようにして床に押し付けてくる凛に声をかける。
     頭の上でひとまとめにされた両手は呆気なく片手で動きを封じられ、辛うじて身を捩るくらいの抵抗しか出来ない。
     夕飯を食べて、それからそれぞれ風呂に入って。あとは寝るだけだというタイミングで普段通りにクールダウンヨガをする為にフィジカルルームに向かった凜の後を追いかけた。
     最初の頃はうざったそうな顔をしていた凜も、当然のように毎日着いていけば何も言わなくなった。
     それに、二人きりでヨガをしている間に交わされる数少ない会話には学びが多かったし、何より居心地がよかったのもある。
     だけど今日はどこかが違った。あとから部屋に来た俺を見る凛の目がうっすらと細まって、俺は俺で何故か緊張していた。
     いまさら凛と二人きりになって緊張する理由も必要も無いのに。
     最後のポーズが終わって、互いに何も言わずに目を伏せて瞑想をしている合間、そこまで近い距離でもないのに重なる呼吸にも、ずっと胸がジリジリと焦げ付く感覚が消えなくて。
     だから、間隔を空けた場所に居た筈の凜が俺のすぐ傍まで来て、そうして容赦なくヨガマットに俺を押し倒した事に気が付くのが遅れたのだ。
     あっという間にマウントを取られたのが情けないくらいだが、凛の表情すらも見えないまま青いマットの模様ばかりが目に映る。
     「やめろ? ……あんな目ェしといてよく言う」
     「……ッ………ホント、に……違う……凛……!」
     するりとスウェットの下に凜の手が入り込んでくる。
     これまで直接触れた事の無い掌。見た目の美しさ同様に、一切無駄のない手つきでカトラリーを扱っていたあの手が、脇腹をくすぐっていく。
     態度と同じくヒンヤリしているのかと思っていたのに、その手は温かくて少ししっとりとしていた。
     これ以上はダメだと頭の中で警鐘が鳴り響く。だって俺と凜は宿敵ライバルで、俺はコイツに勝ちたいんだから。
     ただの欲求のけ口だと割り切れるなら良いのかもしれない。だって、青い監獄ブルーロックで唯一満たせない欲がそれくらいなのは周知の事実だ。
     「何も違わねぇだろ」
     「 や、……うぐ、……い……てぇって……!!」
     うなじに荒い息が吹きかけられて、落とされた言葉に身がすくむ。
     同時に容赦なく立てられた犬歯がそこにめり込んだ。
     痛い、と訴えた俺をなだめるように脇腹を撫でている手が今度は腰骨を鷲掴む。
     巨大な肉食獣に食われる瞬間はこんな感じなのだろうかと、笑えもしない空想がよぎっては消えた。
     ただ、上に居る獣は言葉も伝わるし、なんならいつもは他人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。
     そんな奴が一体どんな顔をして俺に乗っかっているのか。
     そもそも何がトリガーになったのかも分からなかった。だって、今までこうして隣に居ても変な雰囲気になった事は一度だって無かったし、正直な話、凜がこんな行為を仕掛けてくるなんて考えてもみなかったからだ。
     「黙れ。……うざいんだよお前の視線が……事あるごとにジロジロ見てきやがって」
     「見てない……てッ……ぇ……! も、お前、いい加減……に……っ……」
     多分、血が滲むくらい強く噛まれた皮膚の上を凛の吐息が触れていく。
     そのまま固い質感が傷の上を掠めて、押さえ付けられている手首にわずかな痺れを覚えた。
     凜に対して恐怖を感じるというよりも、何も見えないのが嫌だ。
     だってこの部屋に入ってきてから凜はたったの一回しかこちらを見なかったし、今だってそうだ。
     大体、『見るな』だとか『視線がうざい』だとか言うクセに、触ってきているのは凜の方なのに。
     「……おまえ、だって……」
     「なんだよ」
     こちらの言い分を聞く気になったのか、凜の低くて脳に残る声が耳に響いた。
     その声は苛立っているようにも聞こえるし、何も感じていない平坦な音にも聞こえる。だから必死に頭だけを動かして視界の端に凜の姿を映した。
     長い睫毛がゆらりと動いていて、何もまとっていない上半身の筋肉の質の良さに改めて気が付く。
     『なんでいつも上を脱ぐんだよ』と聞いてみたら、『お前には関係ないだろ』と切り捨てられたのは二日前の話だ。
     どうせならせめて今日くらいは上を着ていて欲しかったと思ったのは俺の我儘。
     「……俺に見られてるの分かってて、わざとだろ……」
     ああやって足で触ってきたのだってさぁ、と言い切る前に凜の顔が歪む。
     グッと近づいてきたお綺麗な顔と、カパリと開かれた赤い口の中は絶妙なまでにアンバランスで、人形めいた凜が本当に生きた人間なのだと理解させられる心地がした。
     また噛まれると身を縮こませ、思わず強く目をつむったが、先ほどの痛みはいつまでも訪れない。かわりにぬるりとした熱い何かが傷の上を撫でた。
     毛繕いでもするような舌先の動きの後、腰骨を撫でていた手がボトムスのウエスト辺りを這っていく。
     そのままカリカリと爪で引っかかれ、隙間を探る凜の指先がさらにその下にある下着のウエストゴムまで一緒くたに潜って肌に触れた途端、もうダメだと観念した。
     「凛」
     「……んだよ」
     「腕痛いし、……顔見たい……」
     こちらの要望にチッと舌をひとつ打った凜が、押さえつけていた俺の両手を解放する。
     でも顔を見せて欲しいという願いを叶える気は無いのか、自由になったもう片手が腹の下を通って腹筋を淡く撫でた。それだけで勝手に煮詰まった腰が軽く浮く。
     「命令すんな。お前にそんな権利あるワケねぇだろ」
     「……ん、……っ……」
     「……分かったら大人しく従ってろ、クソ潔」
     コイツを喰うのは俺が良いし、今後とも宿敵ライバルであるのは変わらない。
     それなのに、凜が口の中に放り込んだ肉片を、完全に喰われるだけのそれを、一瞬でも自分に重ねてしまった。
     ただの欲求不満が起こした幻覚だとしても、こうして凜に触れられ喰われる時間を、夢見てしまった自分が居た。
     「……あんま見えるとこ……痕付けんなよ……」
     それを否定したくて、視界の端に辛うじて見える凛に向かって囁く。
     これは純粋な等価交換で、ただ一方的な蹂躙じゅうりんではない。
     俺が望んだように、凜だってこの時間を自分から求めたんだと認めさせたかった。
     その言葉に俺が部屋に入ってきた時に向けた読めない瞳をした凜が、もう一回舌打ちをしてから顔を寄せてくる。
     呼吸すら奪われるキスが上手いのか下手なのかも分からない。何せ俺にとってのファーストキスだからだ。
     でも、捕食にも似たキスを仕掛けてくる凛の目尻がほんの少しだけ赤みを帯びていて、興奮しているのは俺だけじゃないんだと安心する。
     青い監獄ブルーロックなんていう平常時では考えられないくらい異質な空間で、俺達は出会ってしまった。
     もしもここで出会わなければ、絶対にこんな風にはならなかった……筈だ。
     だとしても、こうなる前に時を戻したいかと問われれば答えはノーだった。仮に時間を巻き戻したとしても、俺は凛を知りたくて傍に寄るだろうから。
     離れたと思った唇がまた重なって、そこを開くように舌で舐められ急かされる。
     開いた途端に合わさった舌の上、泡立ってとろりと口端から流れ落ちそうになる唾液すらも、余さず凛と俺で分け合っていく。
     これじゃあ捕食させているというよりも喰い合いだ。それならその方が良い。
     うっすらと笑った俺の気配を察したのか、離れた凜の目がじっとりと見つめてくる。
     あ、と思った時にはもう遅い。頸動脈の辺り、練習用の服で隠れるかどうか怪しい場所に今度こそ思い切り噛み付かれた。
     「ッ──……! ひ、……ぐ……ぁ……」
     叫ばなかったのは男としてのプライドと、ここで叫んだら誰か来るかもしれないという理性が働いたのの半々だった。
     どっと汗が噴き出る。痛みと明日どうしようという気持ちがない交ぜになったその汗を、凜が再び舐め取っていく感覚に頭が可笑しくなりそうだ。
     「……バカが。余裕こいてんじゃねぇよ」
     コイツにやって欲しくない事をやるなと言うのは逆効果だと分かっていた筈なのに。
     傷ついた首の痛みのせいだと言い訳をして、顔を前に戻し、潤んだ目をヨガマットでぬぐう。
     今夜だけの過ちで済むかもしれないという甘い考えは、とっくに捨てる事にした。
     だって"痛い"という感想以外にも、確かに俺は己に向けられた凜の欲を受け入れ始めている。
     フン、と鼻を鳴らした凜がかけてきていた体重を緩めたかと思うと、こちらの肩を掴んで反転させた。
     いきなりまぶしくなる視界と、その視界の中心にいる凛と視線が絡む。
     近づいてきた凛の目は閉じられていない。だから俺も閉じないまま、さっきよりは穏やかなキスを受け入れていた。
     『見るな』なんて言われても、こんなに目立つ人間を見ないでいる方が難しい。
     ゆったりと離れた顔の先で、特徴的なまでにハッキリと目立った下睫毛をしている凛の目元に触れたくなって手を伸ばす。
     ひたりと触れた頬は微かに汗ばんでいて、滑らかな肌を何度か撫でると煩わしそうに凜が顔を振った。それと同時に長めの前髪も揺れる。
     文句でも言われるかと思いきや、黙ったままの凜の虹彩の中心には髪も乱れてぐったりとした俺自身が映っていた。
     「……あっつい……」
     「……そうかよ」
     青い監獄ブルーロックの空調は出来る限り常に適切な温度を保っているらしいが、今の俺達にはまるで無意味な調整だ。
     どうでも良さそうな返事とは裏腹に、凜の手が胸元までスウェットをまくり上げてくる。
     その手付きが先ほど二回も思いっきり噛んできた人物とは思えないくらい優しくて、食事の仕方がセックスの方法と近いという話は、案外眉唾物では無いのかもしれないなんて愚かな事を俺はうっすらと考えていた。
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