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    凛潔ワンドロ/『バレンタイン』

    「全部、お前が初めてだよ」 「おい」
     「え?」
     「ん」
     正面に立った凛が差し出してきた物体を見て潔は瞠目どうもくした。
     それからゆっくりと視線を行き来させて困惑を露わにする。
     鳩が豆鉄砲を喰らったかのような様子の潔を見ている凛は、さらに苛立ったのを隠さないままひたすらに持っている物を潔に向けた。
     ────いや、なんか言えよ。意味分かんねぇ。
     喉元まで出かかった言葉を抑え込んだのは、凛の眉根がしかめられ何とも表現しがたい複雑な感情に満ちていて、無駄につつくのは怪我をすると悟ったからだった。
     ついでとばかりに観察してみると、風呂に入ったばかりなのかスウェットに着替えている凛は少し頬が赤みを帯びているようにも見える。
     イケメンの生まれ持っての特権なのか、肌も髪もいつだって艶々していて無駄な箇所がいっさい無い。
     だが、だとしてもやっぱり何を示したいのか分からなかったし、どうするべきなのかも分からない。
     とりあえず凛の持っている物を改めて観察した潔はより一層の混乱に頭を悩ませる羽目になる。

     凛の指先で無造作に揺れるビニール袋の中身は、綺麗な焼き色のサッカーボール型のクッキーや四角く形成されたチョコレートの詰め合わせ。
     これは今朝、館内放送で言っていた差し入れのお菓子なのだろう。
     男ばかりのむさ苦しい空間で少しでも気がまぎれるように、というマネージャーの優しい心遣いに、喜び勇んでお菓子を配っている食堂までの道をまさにウキウキと軽い足取りで進んでいた潔は、再び目の前に立つ凛に視線を向けた。
     「ッチ」
     もう我慢ならないとばかりに舌打ちを零した凛は、面倒になったのか持っていたビニール袋を潔の胸元へと押し付ける。
     カサ、という音と一緒に押し付けられたそれを思わず受け取った潔は一体何が起きているのかどうにか状況を把握しようと頭をフル回転させた。

     本日はバレンタインであり『人数分のお菓子を作ったので欲しい人は食堂まで各自取りに来る事』と伝えられたから過酷な練習をどうにか耐え抜き、いつも以上の成果もあげた。
     物に吊られるなんてと思わなくも無いが、元々母親以外からチョコレートを貰った事の無い潔にとって、例え義理だとしても初めてのバレンタインチョコになるのだから浮かれるなというのが無理な話だ。
     ましてや、閉鎖されきったこの場所では甘い物自体がとんでもなく希少で、それだけでも価値があるというのに。

     相変わらず動揺ひとつ見せない凛は、用事は済んだとばかりに潔の横を通り過ぎ、さっさと部屋への道を戻っていく。
     いくら絵心から凛の【最良】と称された潔であっても、この行動はまるで意図が読めない。
     昔から好きだった映画の作中で土砂降りの中、無言で主人公に傘を押し付けてくる男の子がいたが、潔はふとそれを思い出していた。
     だが“青い監獄ブルーロック”に雨が降る筈も無し、貰ったのもチョコレートなので、あのキャラクターよりもさらに凛の意図は分からない。
     そういえば彼の名前はなんだったか。ぼんやりと頭の片隅で記憶を探っていると、あっという間に遠ざかってしまう凛の背中を慌てて追いかける。
     鬱陶しそうに潔を横目で見るものの、興味の欠片も無いのを示すようにツンと澄ました凛の横顔はまた直ぐに前を向いてしまう。
     「ついてくんな」
     「そんなん言われたって困るよ。なぁ、何でくれたん? これ、帝襟さんが配ってたやつだろ」
     「……食堂に居たらいきなり渡された。俺は甘いモンは食わねぇ」
     「それってつまり?」
     「処理出来れば誰でも良かったんだよ。調子に乗んな」
     ハ、と馬鹿にしたように吐息を洩らしつつ言われた凛の言葉にようやく合点がいった潔は、掌に乗った菓子を見つめた。
     『いらない』と突っぱねる事だって出来ただろうに、意外にも優しい所がある凛は結局持って帰ってきてしまったのだろう。
     そこに浮かれ気分でやってきた自分を見つけて渋々渡した──凛にとっては他意など無いと理解は出来たものの、潔はポツリと心の声を呟いていた。
     「……俺、誰かからバレンタインにチョコレート貰ったの初めてだ」
     「……はぁ?」
     「いや、なんでもない! 俺も自分の分貰ってこよっかな! でも凛の分を貰ったからズルになるか!? あははー……じゃな! 凛」
     「おい、潔」
     呆れた顔で振り向いた凛が文句と呪詛を吐く前に、ぺらぺらとまくし立てて脱兎の如くその場から逃げ出す。

     以前、バレンタインの話題になった時に凛は女の子からどれだけ沢山のチョコレートを貰っても受け取る事すら拒否していたと言っていた。
     話を聞いた時はずいぶんと薄情な奴だと思ったものの、心のどこかでそういったイベントに浮かれない凛に対して、苛立ちと呆れの他に、ほんの少しだけ尊敬とカッコ良さのようなものを潔は抱いていた。
     どれだけ沢山の恋心を向けられても、それら全てを袖にするくらいにサッカーに打ち込む凛のストイックさと強さの秘訣を知ったような気がして。
     そうして、あれだけモテるだろう男が誰にもチョコレートを貰った事が無いのが何故か嬉しかった。
     自分は意地が悪いのかもしれないと思いつつも、そうでは無い気もする。
     とにかく、凛が誰かの“好き”という気持ちをまだ受け取った事が無いというのが潔を安堵させた。

     もはや小走りくらいの速度で駆け抜けた廊下の先には、通いなれた食堂への扉が見える。
     恐らく凛は潔の行動を不審には思っただろうが、流石に追いかけては来なかった。
     知らない間にギュッと握り締めていたチョコレートをもう一度見つめると、体温で僅かに溶けだしビニールの表面には茶色の跡が点々とついている。
     なんでこんなに身体が熱いんだろう。風邪でもひいたのかも。
     潔は急に訪れた自分の体調の変化に首を傾げつつ、食堂に向かうのは止め、やはり自室に戻ろうときびすを返したのだった。

     □ □ □

     「おまちどうさま」
     「……ん」
     室内に漂う甘ったるい香りは潔にとっては心地よさすら覚えるチョコレートの焼けた匂い。
     しっかり粗熱を取り、冷やしてから仕上げの粉砂糖を振りかけたガトーショコラの一片を乗せた皿をソファーに座っている凛の前へと置けば、満足そうな顔で頷いた。
     慣れないながらも何とか形になったように見えるガトーショコラは、白い皿の上で今か今かと食べられるのを待っている。
     珍しく凛からのリクエストとは言え、バレンタインにガトーショコラはベタ過ぎなのではないか? と作りながらも考えていた潔にとって、嬉しそうな凛の反応に若干の安心感を覚えていた。
     それでも気恥ずかしさと心配が相まって、凛の隣に座りながら呟いた潔の声は弱々しさを含んでいる。
     「……本当にチョコ系でよかったん? 俺が食べたいので良いって言われたから作っちゃったけど……」
     「良い」
     「あ、そう。……先に言っとくけどあんまり期待すんなよ。……練習とかしてないし」
     「いいって言ってる」
     フン、と鼻を鳴らした凛は皿に添えられたフォークを手に取るとそれを切り分けて口元へと運び入れる。
     一口サイズに分けられたケーキを咀嚼する凛の表情は心なしか明るい。
     甘い物が苦手だと言っていたから、甘さを少し控えめにしたのがよかったのかも。
     膝の上に置かれた手が落ち着きなく動いてしまうのを自覚しながらも、無言で食べ続ける凛の横顔を眺めていた潔は、ただただ凛の反応を待っていた。

     “青い監獄ブルーロック”で競い合ったのち、それぞれが違う国での武者修行に向かう事になり、そこから紆余曲折うよきょくせつあったものの、潔と凛が互いに抱いている感情を思いっきりぶつけ合う事件が起きたのはもう二年ほど前の事だ。
     世間一般で言う愛の告白には程遠いひどく物騒な会話ではあったものの、結局はどちらも相手にただならぬ想いを持っていて、他の誰にも譲れないくらいには相手を隣に置いておきたかった。
     だったら、友人でも宿敵ライバルでもなく。もっと相手の人生を縛るのに丁度良い“恋人”という立場に収まった二人は、なんだかんだ上手く交際を続けていた。
     そもそも付き合う前から凛が家族以外に連絡を取る相手は潔しかおらず、また、潔は潔で凛の隣という特等席に自分以外の誰かが座るという未来を想像すらしていなかったので多少の甘さが増えたくらいで、そこまでの変化は無い。
     けれど、こうやって凛からバレンタインに手作りの何かを作って欲しいと頼まれたのは潔にとっては初めての経験で、ドイツからフランスに向かう飛行機の合間にも緊張していたのは確かだった。

     糸師凛という人間は何事にも妥協しない。なので、必要であれば自分で食事を作るのも厭わなかったし、その腕前を潔も知っていたから余計に。
     本当なら自宅で何度か練習をしてから凛に食べさせてあげたい気持ちはあったものの、潔とて年棒数億を優に超える一流選手だ。
     オフ自体も貴重で、さらに二人のオフシーズンが重なるのなら凛と一緒に過ごす時間にあてる方が良い。
     だったらもうぶっつけ本番で作ったって何とかなるだろう。もし失敗したら近くの店で美味しい既製品を調達すればいい。
     そう考えた結果、フランスにある凛の自宅の広々としたキッチンを借りて人生初のガトーショコラを作る事になったのだった。
     「……うまい?」
     「悪くねぇ」
     「っしゃ! よかったー、めっちゃ安心したぁ」
     大仕事終えた後のように胸を撫でおろした潔を横目に、もう一度フォークをガトーショコラに差し込んだ凛は先ほどよりは僅かに小さく切れ目を入れる。
     そのままフォークの先端に刺した一切れを迷うことなく潔の顔面に向けた凛に、目をぱちくりと瞬かせた潔の青い瞳が一瞬だけ迷う。
     「ん」
     「いや、俺自分のあるし……」
     「ん!」
     問答無用と唇に押し当てられたひときれを頬張った潔は、途端にまなじりと口角を緩ませた。

     何度か噛み締めている間に今度は自分用に切り分けたそれを口に含んでいる凛を見ていると、昔の思い出が蘇ってくる。
     きっと覚えてはいないだろう、人生最初に貰ったバレンタインのチョコレート。
     しっかりとほろ苦さと甘さのバランスの取れたそれを飲み込んでから、潔はからかうように声を上げた。
     「考えてみたら、俺はもう凛に貰った事あるんだよなー。手作りじゃなかったし、ただの処理係だったけどさ」
     「……こんだけ一緒にいて、まだあの時の理由がマジだと思ってんのか」
     「は? だから甘いの苦手だったんだろ?」
     「お前の初めては全部俺に決まってんだろ」
     「……え、ちょっと待て。……お前あんとき全然そんな感じじゃなかったじゃん?! あれってそういう事だったのか?!」
     潔から繰り出される怒涛の問いかけに無言を貫く凛は明らかに『しまった』という顔をしている。
     些細な表情の変化ではあったが、その変化を読み取るくらいは造作も無い事だった。

     つまり、あの時の凛はどう考えていたのか知らないが、少なくとも潔だからチョコレートを手渡したという事になる。
     好きな子に素直に声をかけられず、普段は意地悪ばかりなのにどこか憎めない奴。
     数年越しにやっと理解出来た凛の行動の意図と、一気に思い出した映画に出ていたキャラクターの名前が混ざる。
     コイツ、俺の事めっちゃ前から好きだったって事? 今更な事実に思わず口元を抑えた。
     「……お前……勘太みたいだな、マジで……」
     「? 誰だよカンタって。このタイミングで違う奴の名前出すとか舐めてんのか」
     「違う違う! ほら、トトロに出てきたろ」
     「しらねぇ」
     不機嫌さを隠しもしない凛が発した言葉に潔はまた笑ってしまう。
     あの名作を知らないなんて言うこの男に、今度見せてやらなければ。
     学生だった頃に見ていた時は、姉か妹が欲しくなったものだが、今見たらきっと違う印象を受けるのだろう。
     「……いつまでも笑ってんじゃねぇよ」
     「むぐ!」
     怒っているクセにちゃんとまた潔の分を切り分けた凛は、くふくふと笑みを乗せたままの潔の唇にガトーショコラを押し付ける。
     勢いのついたまま口に押し込まれた物をしっかりと咀嚼しながら、凛が最後の一切れを食べているのを見て、本当に甘い物が苦手ではないのを実感してしまう。
     先ほどよりも僅かに大きめに切られたガトーショコラは、何故だか最初よりもずっと甘く感じる。
     そのまま凛の肩先に頭を乗せた潔は、かすかに赤くなった凛の耳たぶを確認してから、大切な秘密を打ち明けるようにそっと囁いていた。
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