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    simoyo1206

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    文 せむ速どすのレポート風の文章書きかけ

    ##Mマス

    『天朝秘史』にみる暴君天帝の実像・はじめに
    一昨年、とある古書収集家が亡くなる事故があった。被害者が著名な資産家であったために一時は報道が過熱したが、事件性は無かったことから早々に捜査は終了し、世間の話題からも姿を消した。しかし、遺品整理をしていた彼の息子は、氏の邸宅から『天朝秘史』という書物の写本を発見する。この書物は、暴君であった時の天帝が改心し、荒廃した国の再興を決意するに至るまでの一連の事件を記録したもので、著者は銀帝軍の第二近衛隊長を務めていた陽炎という人物である。銀帝軍は天帝の私兵とも言える存在であり、非常に天帝に近しい人物による記録であるから、全てを鵜呑みにするわけにはいかないが、この時代の史料は、正史である『蓬莱書』以外は散逸しているものが多く、まとまった記述があるだけでも大変に史料的価値が高いことには変わりない。彼は学生の時分に歴史学を専攻しており、ために、これはとても貴重な物なのではないか、と思い至ったと後に述懐している。後日、この書物は彼の友人であった大学教授を通じて学会にもたらされ、日の目を見ることになったのである。
    史官ではなく、一介の武官が見た天帝暗殺未遂事件及び大将軍青龍の謀反の記録という、特殊な性質の史料が完全な形で見つかったことは、我々研究者にとってはまたとない僥倖であった。全体的に簡素な記述の『蓬莱書』に対して『天朝秘史』のそれは細部まで詳細に記されており、この度の発見によって新たに判明した事実も多い。本稿では、『天朝秘史』を中心に、天帝の実像について迫っていきたいと思う。

    ・『天朝秘史』前史
    『天朝秘史』に登場する天帝の名は今日に伝わっていない。『蓬莱書』には先の帝の庶子であるとだけ記されていて、生母の名も不詳だが、身分の低い宮女であったと判明している。彼はそのことを理由に、異母兄弟やその側近に蔑まれていた。父帝は常軌を逸した好色との悪名が高く、落胤であった彼を気にかけることもなく、生母も彼を産んだ数年後に亡くなっている。宮中にありながら、孤立無援の過酷な幼少期を過ごした彼は猜疑心が強く、腹心の大将軍青龍や銀帝軍を用いて大粛清を行った暴君として有名だが、『天朝秘史』によると、即位以前は「民衆とともに国の幸福を願う聡明な王」であったという。その片鱗を窺わせる発言が記録されている。罪人の処刑見物に誘われた陽炎が武術の稽古があるからと断ると、若年であるのに感心だとした上で、「人生には、理論も経験も役に立たない」と返している。挫折の経験があるからこそ発せられた言葉であることは想像に難くない。
    しかし、先帝の崩御直後に皇太子が殺害され、その同母弟であった某王が帝位を僭称したことをきっかけに、跡目争いの内乱が勃発する。王族同士が殺し合う様を間近で見ていた天帝は、人間に激しい憎悪を抱くようになった。また、当時は人間と敵対関係にあった神獣が、隙を突いて帝都を急襲し、多くの死傷者を出す事態となった。結果的には人間の勝利に終わったものの、宮殿の奥深くまで神獣の侵入を許し、大将軍を始めとした高官が次々に殺害されたことが露見し、王室の権威は大いに失墜してしまう。彼はそんな混迷を極めた情勢の中で、天帝として即位した。
    かつては英明な王として民を安んじていたという天帝であるが、帝位に就いてからの所業は暴君そのものである。まず初めに、彼を推戴した諸侯らが粛清された。これは、彼の王位継承順位は相当に低かったと推測されていることに関係する。
    生母が卑しい身分であった彼には、順当に代替わりが行われていた場合、帝位を得る可能性などまず無かった。彼は帝都から遠く離れた自らの封邑で、民を慈しみ、有力な諸侯や中央の貴族と関わることもなく、ひっそりと生を終えるはずの人物であったのだ。そんな彼の運命を狂わせたのが前述の内乱である。
    殺害された皇太子は温和な性格で、妾腹であった自分にも差別することなく接してくれたと、後に天帝自身が述懐した記録が多数の史料にみられる。実妹を目の前で惨殺されたとする史料も存在するが、その他の部分に創作が目立つものが多く、概して信憑性に乏しい。なお、『天朝秘史』には妹の記述は存在しないが、天帝に関する部分はやや偏った記述もみられる。しかしその他については同時代の史料と大きく矛盾する点はみられず、比較的中立的な視点で書かれていると思われる。
    皇太子の死を釁端として、文字通り血で血を洗う政争劇の幕が上げられたが、諸侯らが彼を推戴すべく表立って画策するようになったのは、内乱の後期になってからのことである。若年で諸侯との繋がりが薄い彼は御しやすく思われたのであろう。彼を傀儡として推戴した諸侯らは政府内の要職を占め、権力を恣にした。本来帝位に就くはずもなかった彼が即位するに至った経緯は以上のようなものである。
    ところが即位から十日後に事態は一変する。諸侯らが謀反の容疑で逮捕され、即日処刑されたのである。更に翌日にはその一族も皆滅せられた。この時に天帝の手足となって活躍したのが銀帝軍であるが、正規軍の将軍であった青龍も粛清に加担している。青龍はこの時の功績を以て大将軍に任じられるが、実は即位以前から天帝に接触していたようだ。その具体的な理由は判明していないが、青龍が神獣であり、秘かに国家転覆と天帝暗殺を企てていたことから鑑みるに、天帝への接触もそれに関連する目的であったのだろう。実際に、この粛清事件を機に青龍は天帝の右腕として重用されるようになり、権力は増していった。片田舎の王に人脈などあるはずもないと侮っていた諸侯らにとっては、正に青天の霹靂であっただろう。
    しかしながら天帝の権力基盤は実に脆かった。曲がりなりにも後ろ盾といえる存在であった諸侯らを誅殺した後も何度も粛清を行った結果、穏健派の貴族や諸将からの支持も失うこととなる。彼らが誅殺された主な理由は謀反の容疑をかけられたためであるが、冤罪も相当数あったと思われ、官僚や貴族たちは、いずれ自分も謂れのない罪で処刑されるのではないかと恐れるばかりであったという。青龍と銀帝軍以外からの支持を得られぬまま恐怖政治を続けた天帝は、孤立を深めていくこととなる。
    また、内乱で荒廃した国土と疲弊した民を顧みず、幾度も周辺国への侵略を試みている。西方諸国を平定するなど一定の成果は上げているものの、戦費は嵩む一方であった。当然それを負担させられるのは民衆である。特に辺境の村落の困窮ぶりは目も当てられぬものであり、人肉を食らうことすらあったとする記録が残されている。にも拘わらず、中央の貴族はといえば私腹を肥やすばかりで、貧困にあえぐ民のことなど眼中にない。これでは暴動が起きるのも無理からぬ話である。
    天帝ははじめ、暴動に対し正規軍ではなく銀帝軍を差し向けて鎮圧させていた。この時代の暴動や反乱の多くは、西方諸国にほど近い地域で起こっていて、戦地となったこの地域では、単に食糧の不足だけではなく、兵士による略奪にも見舞われ、特に天帝への不満が高まっていたことが知られている。貴族や官僚からの支持を得られていない天帝にとって、これらの暴徒達が結託して、朝廷に反旗を翻すことだけは避けなければならなかった。そのため、暴動が起きたこと自体を秘匿する必要があり、銀帝軍の特殊工作部隊によって内密に処理するほかなかったのである。しかし、情勢の悪化に伴い、数の少ない銀帝軍だけでは対処できず、正規軍をも暴動鎮圧のため投入するようになる。これによって更に戦費は増し、民衆の不満も比例して高まるという悪循環が生まれてしまう。『天朝秘史』に記される一連の事件は、このような状況の中で起こった。

    ・『蓬莱書』の信憑性と時代背景
    『天朝秘史』は、著者である陽炎が、帝都近郊で多発する襲撃事件の原因と思われる、謎の化物の討伐を天帝に命じられ、この化物、もとい神獣と思われる生物を討伐すべく、滅んだはずの神獣が未だ潜んでいると伝えられている蓬莱山を訪れるところから始まる。神獣と対峙した陽炎は、その強大な力を前になす術もなく敗北し、一度は帝都まで撤退する。彼は天帝に気に入られていたのだろう、敗戦の責を負わされることもなく、再び神獣討伐を試みることとなるが、この時に白蛇という神獣が陽炎に助力している。白蛇は、先帝の跡目争いの際に宮殿内に侵入し、多数の死傷者を出した強力な神獣である。また、当初は陽炎は知らなかったようだが、彼の両親を殺害したのが他でもない白蛇であった。
    白蛇の協力を得た陽炎が神獣との再戦に至るまでの間に起こった重大な事件として挙げられるのが、天帝暗殺未遂事件と大将軍青龍の謀反である。後者に関しては次節で詳しく述べたい。
    暗殺未遂事件の約一月前、皇城に侵入したとある吟遊詩人がいた。厳重な警備体制が敷かれていたであろう皇城へどのように侵入したのかは不明だが、玉座の間まで到達した彼は、罪を得るどころが天帝に見初められ、寵愛をほしいままにしたという。
    『蓬莱書』では、この吟遊詩人が青龍の謀反勃発と、その後の天帝廃位の遠因とされているが、注釈を付けた東湘の鄭風はそういった見解には否定的である。というのも、蓬莱を滅ぼした天完は、北方で遊牧生活を営んでいた異民族から成る王朝で、その天完を滅亡に追い込んだ漢人王朝の東湘に仕えた鄭風は、天完の正当性を否定する必要があった。天完の史官である丁冰の編纂した『蓬莱書』、特に蓬莱の滅亡を早めたとされていた天帝の記述に認められる偏向を糾す目的で、注釈書を著したのである。
    当時、大司農の地位にあった常冬の伝に引く『常氏家伝』には、「恩倖により国政は乱れ、大将軍の謀反のみならず廃位事件まで勃発してしまった。嘆かわしいことだ。」という常冬の発言が記録されている。吟遊詩人は天帝を意のままに操って、権力と富とを手にした邪悪な人物であり、天帝の暴政をさらに悪化させたとされているのだ。しかし、常冬は高位にありながら私服を肥やすことに執心するだけではなく、朝議を欠席することも多く半ば職務放棄の状態であったため、流石に天帝にも咎められて、青龍の謀反直前に南方の僻地へと左遷されている人物である。左遷の原因となった自らの失態を、吟遊詩人を悪者に仕立てることで隠蔽しようとした可能性が高いと鄭風は評している。
    この吟遊詩人については『天朝秘史』に詳しい。彼は名を琥珀といい、西方諸国に近い辺境の出身であるとされている。貧しい村で育った彼は、天帝の粛清によって故郷と両親を失ったため、敵討ちのためはるばる帝都までやってきて弑虐を企てた。ところが、思いがけず帝に重用され凶行に及ぶのを躊躇している間に、青龍の術にかかり天帝を殺めようとしたのを白蛇と陽炎が阻止、そして謀反を起こした青龍の討伐のため行われた親政の際に、天帝を庇って殺害された。興味深いのは、暗殺未遂事件後に天帝は改心し、それまでの暴政を深く悔い、陽炎や白蛇と共に善政に努めようとしたという記述である。『蓬莱書』では、青龍の謀反に遭った天帝は辛くも勝利を遂げたものの、より一層孤立を深め、最終的には廃位されてしまうが、『天朝秘史』では善政を敷こうと努めたにも拘らず、腐敗した官僚や貴族層の支持を得られなかったために失脚した、悲劇の皇帝として描かれているのである。無論、事件以前の天帝が暴君であったことは概ね事実であろうから、『天朝秘史』の記述は天帝擁護にやや偏っていると言わざるを得ないが、前述の通り、『蓬莱書』における天帝は、天完の正統性を示すために不当に貶しめられている節があるのも事実であるため、全くの創作であるとは考えづらい。それでは、陽炎はどのような目的で『天朝秘史』を著したのであろうか。

    ・銀帝軍と天帝
    『天朝秘史』の著者である陽炎について記す史料は少ない。『蓬莱書』には単に近衛隊長の一人として名前が挙げられるばかりである。
    『蓬莱書』の百官志に見える銀帝軍の項目には、職務は帝の警護と雑務であると記されていて、その長の官位は五品である。正規軍の長が一品の大将軍であるのに、近衛兵でありながら官位は非常に低く設定されている。これは、銀帝軍の本分が正史の記すところの雑務の方にあるからである。『天朝秘史』の冒頭部分に、陽炎はこう書き記す。

    天帝の王朝絵巻、華やかなりし頃、蓬莱と呼ばれる美しい山々に囲まれた、大国があった。その帝都に、先祖代々王家に仕えて、様々な荒事をこなしてきた名家がある。現在の当主は、知力武力ともに優れた青年。その名を、陽炎と号す。
    この書物は、陽炎とその一味の活躍、そして数奇な運命を綴ったものである。

    荒事をこなしてきた、とは穏やかではない。代々そのような役目を請け負う一族が存在しなければならないほどに、政局が乱れ続けていたと考えるのが妥当である。陽炎の一族は密勅を受けて不満分子の拘束や抹殺の実行犯として暗躍し、その功績を以て粛清の嵐の中を生き延びてきたのだろう。銀帝軍に所属する兵は彼のような出自の者で占められていたと考えられている。前述の通り銀帝軍は天帝の私兵に等しい存在であり、表沙汰には出来ない任務を担ってきた。その任務を知られぬために、表向きは官位の低いポストとして運用されていたのである。
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