熱帯魚胃袋を満たすためにじめじめした夜の裏路地を歩けば、廃墟のような建物が並ぶばかりで、そこには青白い水槽が並ぶ熱帯魚の店だけしか無かった。
熱帯魚の可食部はどこだか一瞬だけ考えて、踵を返す。
安全と睡眠の為だけに押さえたボロいホテルに戻れば、ベッドサイドの小さなライトだけが暗い部屋の一角を照らしていて、そこではアンジェリカがダブルベッドを占拠していた。
ローランは仮面の奥で顔をしかめた後、スーツを脱いで、少し汚れたワイシャツのままそこへ入り込む。アンジェリカはローランの分の場所をすんなり開けてくれる。
「夜ご飯、見つからなかったんですね」
「まだ何も言ってないだろ」
「機嫌が悪そうなので分かりますよ」
アンジェリカから背を向けて、目を瞑る。今日出来ることは終わった。「血染めの夜」の手掛かりは今日も得られなかったのだ。
一人でふて腐れたまま眠りたいところだが、一定の治安が無ければ単独で行動することは出来ない。それは睡眠時もそうだった。これまでアンジェリカと同室で夜を明かすことは何度もあった。ダブルベッドで眠ることは初めてだったが、ただの仕事仲間なのだから余計な気が起こることは無い。
「あなたって……」
ふとアンジェリカが背後から声をかけてくる。空腹を紛らわすために早く眠りたいローランは、「あ?」と適当に返事をする。
「眠る時もその不気味な仮面つけてますよね」
「……別に、いいだろ」
ローランは黒い仮面の奥で不服そうに返事をする。自宅に一人でいるときくらいは外すのだが、任務をしているときはずっと付けたままだ。
「隣にいると悪い夢見そうなんでやめてもらっていいですか?」
「お前の夢見が悪いのはいつもだろ」
「あなたほどじゃないと思いますけど?」
アンジェリカにそう言われて、言い返せる言葉は無かった。数えたことは無かったが、少なくとも彼女より安眠出来ている自信は無い。
「それとも、あなたはそれが無いと眠れないんですか? 小さな子がテディベアを抱きしめて眠るみたいに…」
「そこまで言わなくていいだろ……」
「じゃあ別に良くないですか?」
アンジェリカはそう言ってベッドサイドに手を伸ばす。するとわずかに照らされていた寝台がぱっと暗くなる。ライトを消したのだった。
「こうすれば誰も見てないし、何も見えないですよ」
「うーん……」
「それに、もしあなたがうなされてたら、私もそれに対抗するくらい大きい寝言を言うんで大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろそれ。でもまあ、うん…。分かったよ……」
ローランは少し不満に思いながらも、しぶしぶ仮面を外した。そしてベッドサイドに置く。もぞもぞと仮面を置く姿は見えたのだろうか、アンジェリカのふふ、と笑う声がした。
「何も見えないからって、どさくさに紛れてエッチなことしないでくださいね」
「え、寝言ってもう始まってるの?」
「あなたってこういう話全然興味ないですよね……」
その後アンジェリカは何も言わず、ローランも何も返さず、ただ沈黙だけがあった。暗くて静かな場所で眠りついた二人はその日悪い夢を見ることは無く、ローランはただ熱帯魚の夢を見た。