アクアリウム組+レオ+るり1回目
「まってください、まだら」
幼馴染の後を追う青い髪の少年は、その髪の色とよく似たランドセルを背負っていた。
そのランドセルの中には、大好きなお母さんが作ってくれたお弁当が入っている。鮭の切り身がご飯の上に乗った自慢のお弁当。本当は魚だけのお弁当が良いけれど、ちゃんとお野菜やご飯も食べなさいと今朝怒られたばかりだ。
朝早くから宗教の勧誘が来たから時間が取られてしまったと、母親はほんのり不機嫌そうだった。
日本の家庭では珍しくもない無宗教の家で育った少年は、そんな母親の愚痴を聞き流していた。
なんの変哲もない、いつもの日常。
神崎颯馬は、産まれなかった。
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るるる……☆
初めましてですか?初めましてでしたね!
何故彼らは地面に足をついて空を見上げるのでしょう?
明日は昨日かもしれません!
人は月にだって降り立てます!ブラックホールだって導き出せます!
彼らは人類ですか?人類ですね!
あれは星です!るりは肯定します!
「宇宙人!また会おうな〜!うっちゅ〜☆」
音楽のひとは普通のひとに!るりは否定します!
あの人はきっと、るりの隣に来てくれると思っていました。けれど今あの人は『アイドル』という重力を捨ててもただの人です。
るりはここにいますか?いませんね!
るりはあそこにいます!
あの真っ暗な宇宙の片隅、星の死骸が降り注ぐ墓場、そこには誰もいない。るりしかいません。
るりはあそこにいますか?いますね!
るりは!あそこに!いるのに!
大宇宙〜☆
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14回目
退学届を出したレオは、単身フィレンツェの地に居た。
この地であることに深い理由はない。ただ、日本という国は彼にとってあまりに狭すぎたのだ。
「ん〜っ!世界は広いなあ!」
辞めてしまえば、なんてことはなかった。アイドルという肩書を捨てたところで、レオには自他ともに認める作曲の才能があった。
アイドルはキラキラした存在であると、果たして誰が言ったのだろう。
全てを捨て去ったレオの目には太陽の光が眩しく照りつけ、新緑の瞳を灼く。日本にいたときよりもずっと、世界は明るく見えた。
そうして月永レオは、一人の作曲家として晩年まで生き、人々に惜しまれながらその生涯を閉じることになる。
幸せな人生だったと、彼は笑った。
74回目
彼が眺めているのは、有名進学高校の願書だった。
「偉いな、薫」
大きな父親の手で撫でられることは心地よく、薫からは寂しいという感情が崩れ落ちていく。
勉強のしすぎで視力が落ちて似合わない眼鏡をかけ、面接の印象を良くするために髪は黒く染めている。TVから流れる誰かの歌声はただの雑音にしかすぎず、煩わしそうにリモコンの電源ボタンを押した。
そして彼は仏壇の前に正座をした。写真の中で優しく微笑む母親に手を合わせ、照れくさそうに微笑む。
そして羽風薫は偏差値の高い学校に進学し、偉大な父の下で働き、美人で従順なお嬢さんと結婚し、とてもとても、幸せな人生を送った。
86回目
ファンファンファンと鳴り響くパトカーのサイレン。けたたましく雄叫びを上げるマスコミ。
とある極道は警察により壊滅的に潰されたというニュースは、お昼のワイドショーで繰り返し報道された。
これで大勢の人間が救われますねと、アナウンサーは宗教のように警察を讃えた。
反社組織の一掃に最も貢献したとされる一人の警察官の男は、やがて出世し、警察庁のトップまで登りつめたという。
めでたし、めでたし。
三毛縞斑は、産まれなかった。
+
一十百千万億兆京垓𥝱穣溝澗正載極恒河沙阿僧祇那由他不可思議無量大数それっぽっちの数では足り得ないほど無限に広がる分岐世界の一つにあたしは立っていてそれっぽっちぐらいの数のあんざんぐらいすぐにできるあたしはいつの間にやら世界から弾き出されて寂しくて憧れて海に飲まれて空に食われて陸に潰されて宇宙人ごっこをしてじゃああたしは神さまなのかななんて気取ってみせて神さまのくせにたかが人にもなれないならきっとあたしは神さまではなくてだからあたしはひとではなくて宇宙にだっていばしょはなくてだからうちゅうじんですらなくて
さびしい
あたしは、ただ、さびしかった
+
345回目
「奏汰さま」
つまらない、という感情すら奏汰にはなかった。
真ん中にぽつんと座り、大人たちに囲まれてただ呼吸をしている。
ただ、みんなが喜ぶ顔を見るのは好きだった。
自分が歌うとみんな笑顔を浮かべてくれるから、歌も大好きだった。
けれどそれは、大人たちが奏汰を勝手に解釈したもの。
奏汰には、好きという感情すら知らなかった。
いつも周りにいる人間たち。それらは奏汰より大きく、いつも見上げなくてはいけなかった。にんげんは大きいものだと奏汰は思っていた。
自分と同じぐらいの大きさの人間を、奏汰は知らなかった。
そして深海奏汰は、生涯神であり続けた。
それなりに、幸せだった。
457回目
深海奏汰の首は、一振りの刀により斬り落とされた。
666回目
この家の長男からの電話を受けたのは、彼の妹だった。
『ルカ、……ルカ。お前が出てくれて良かった』
お兄ちゃん?と呼びかける妹に帰ってきたのは、無愛想できつい物言いをするいつもの兄だった。
『ルカ。要領が悪くて、人見知りで、かわいい、おれの妹』
それは会話というよりも独り言だった。電話の向こうから聴こえる風の音が煩くて、兄の声は掠れて聴こえた。
『愛してるよ、ルカ』
止めて、と、ルカと呼ばれた少女は叫んだ。
大きく見開かれた目から大粒の涙が止めどなく溢れ、電話に縋り付く。
少女は、大声で母を呼んだ。けれど、母は来なかった。
少女は、大声で父を呼んだ。けれど、父は来なかった。
当然のことだった。このとき一家は総出で、他ならぬ兄の捜索を行っていたのだ。
ある日急に不登校になり、部屋に引きこもってしまった兄。その兄が、誰にも告げることなく部屋から消えてしまったのだ。
家族だけではない。彼の友人も、必死になって捜索してくれている。ある者は兄の名を叫びながら。ある者は、自分自身のことを責めながら。
『ごめんな』
月永レオは、羽ばたいた。
1742回目
地響きのような音を立て、一人の男が床に叩きつけられた。
「……え?」
階段の上で呆然とする彼は、父親を突き飛ばしたそのままの姿で固まった
階下の父親は、ピクリとも動かない。その首は不自然に大きくねじ曲がり、まるで自分を突き落とした犯人へ視線が引き寄せられているかのようだった。
「あ。……あ」
殺すつもりはなかったんですという、有り触れた台詞。しかし犯人の少年には嘘偽りなく殺意などなかった。
この日は、ほんの少し彼の機嫌が悪い日だった。そこに突き刺さる、父親からの口論。普段ならば生返事とともに聞き流しててしまったはずのそれに、真っ向から反論してしまった。
高校の同級生たちはみんなもっと生きているのに、なんて、それまで羨ましいなんて思ったことすらなかった堕落しきった同級生たちへの言葉だけの嫉妬心を父親にぶつけた。それがきっと、良くなかった。
まるでその一言に引きずられるように、彼の心は暗い深海へ引きずり込まれていった。どろりとした黒い何かが胸の内を満たし、そして、気づけば両腕を父親へ向かって突き出していた。
けれど、誓って言う。彼は父親に死んでほしいなどと願ったことはなかった。それなのに、どうして――などと考えたところで、もう遅い。
彼は腰から力が抜け、その場にへたり込む。救急車を呼ぶこともできなければ、逃げることも出来ない。
帰宅した姉に抱きしめられるまで、彼はただ呆然と父親を見つめていた。
婚約が破談になった姉は、その後も献身的に彼のことを支え続けた。
羽風薫は、生涯姉に謝罪することしか出来なかった。
5913回目
ーー続きまして、速報です。本日、多くの有名アイドルを排出している夢ノ咲学院で殺人事件がおきました。この学校では、先月も逮捕者が出ておりーー
ぷつ、とニュースが切られた。
「せっかく日本から離れたというのに、そんなもの観ない方が良いぞお」
かつてお祭り男を名乗っていたその男は、そんな過去も忘れ去ったかのような覇気のない声で奏汰の手からスマホを取り上げた。
ここは日本から遠く離れた異国の地。それでも日本のニュースを観る術などいくらでもある。
「……『わるいもの』が、はびこっていますね」
「そんなもの、昔の人が作り出した幻影だ」
奏汰の声に重ねるようにして告げられる、強い口調。しかし奏汰はまるで彼の声など聴こえていないかのように、ぽつりと言葉を落とす。
「ぼくがいたら、きっと、とめられたでしょうね」
「そんなこと君がする必要はない」
日本を離れた日から、奏汰に対して彼は繰り返し同じことを告げていた。それでも奏汰は毎日日本のニュースを観て、毎日嘆くのだ。
「……どうしてなんだ」
彼はまるで縋りつくように奏汰の手を握った。
「君を処刑しようとした連中のために、何故君が心を痛める?」
あの日、奏汰を日本から逃したことを彼は後悔などしていなかった。そうしなければきっと、全校生徒からまるで親の敵のように石を投げられることになっていた。
浦島太郎の亀は、心やさしい青年から手を差し伸べられた。奏汰にも、そんな青年がいたら事態はまったく違うものになっていたのかもしれない。
「だって、ぼくはたすけられましたから」
たった一人でただ石を投げられていた奏汰は、石を投げつけてきた人間のことを想ってはらはらと涙をこぼした。
「たすけられたのに、たすけませんでした」
たどたどしく不明瞭に語られる理屈は、斑には到底理解出来なかった。それでも一つだけ、分かることはある。
それは、奏汰がとてもとても優しい人間であること。
「ぼくなら、たすけられたのに」
大粒の涙から奏汰の頬を伝う。
斑はその涙を拭うことすらできなかった。
+
ごめんなさい。
全部、あたしのせい。
一十百千万億兆京垓𥝱穣溝澗正載極恒河沙阿僧祇那由他不可思議無量大数それっぽっちの数では足り得ないほど無限に広がる分岐世界。
世界と同じだけ広がる人生。
そして、悲劇。
それらは濃縮され、ぽろぽろと時空に零れ落ちる。
あたしはそれらをエビデンスにすることしかできない。
拗ねた子どもでしかなかった、数多の世界の天宮るり。あたしはそんなのに負けたりしない。
この世界を、バッドエンドで染めてしまわないように。
ねえ、ほとりちゃん。
あたしはね、あなたが追いかけてくれたこの世界を愛してしまったんだよ。
+
xxxxx回目
罵声飛び交う、到底アイドル育成学校でのライブとは思えないステージ。海神戦。
そのステージは今、阿鼻叫喚へと変貌していた。
「……か……」
敬人の声は喉に貼り付き、目の前の後輩の名を呼ぶことすらできない。
客席からの罵詈雑言は悲鳴へと塗り替えられ、観客たちは雪崩のように出口へ向かう。
「迷われた神をお隠しするには、随分と仰々しい場で行ってしまったが、まあ良い」
晴れやかに笑うその少年は、真っ赤な紅月の衣装をさらに赤く染め上げていた。
足元にころがるのは、首のない誰か。青いステージ衣装に身を包んでいるその人物は、ステージに真っ赤な水たまりをつくっていた。
「蓮巳殿、鬼龍殿!」
敬人と紅郎の元へ走って近づく少年は、まるで主人に褒めてもらおうと尻尾を振る子犬のようだった。
「我、たくさん考えたのである!蓮巳殿のおっしゃるように、『悪いもの』はお伽噺なのであろう。ならば、神という存在はこの世に不要なのではなかろうか?」
敬人は、少年から一歩下がる。顔面蒼白な敬人の背中を支えようと紅郎は手を置くが、その手は震えていた。
「無論、不要ゆえに神を消すというわけではない。しかし、我らが神は最早神ではなくなっておった」
少年は、自分がたった今斬り捨てた人物を見向きもしなかった。
敬人と紅郎へ向けられるキラキラとした瞳は、いつもと変わらない少年の瞳だった。
「我は神をお隠しせねばならなかった。そこに躊躇がなかったわけではない。しかし、蓮巳は教えてくださったのだ。『悪いもの』はお伽噺である、と」
この場で敬人が嘔吐しなかったのは、彼がアイドルであるからだ。こんな状況でもなおその信念は揺るがない。
敬人は逃げることもなく少年と向き合った。付き添うように紅郎もまたその場から動かなかった。敬人も紅郎も、この少年のことが大切だったのだ。
「これぞ『はっぴぃえんど』であるな!」
負の感情とはまるで無縁であるかのように、颯馬は無邪気に笑った。