いざとなれば斬り捨ててしまえばいい。
その心情で生きれば、感情が乱されるようなことがあってもそれなりに飲み込むことができる。
例え目の前の相手がどれほど気に食わず不躾で不真面目で助平であろうとも、その気になればすぐさまその首を落としてしまえると思えば怒りは胃に落ちて消化されてしまう。
しかし、中々世の中そうはいかないらしい。
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「で。俺にまとまりついてると」
「三毛縞殿ならば斬りかかれるので」
「そう断言されると否定したくなってしまうぞお」
腕にしがみつく後輩兼親戚もどきの頭に生えている尻尾を引っ張る。そんな斑に颯馬は痛いと抗議の声を上げるばかりで離れようとはしなかった。
「三毛縞殿ならば我が斬りかかってもどうにか出来る」
「信頼が鬱陶しい…。なら君ごときの刀なんて受け流してしまえるよう俺も鍛錬してみるかあ!ははは」
「我が刃を愚弄するな!」
「なんなんだ君は」
ぐずぐずだ。話が見えない。
嫌なことがあったんだろうなあと、その程度の推察しかできないくらいに颯馬から語られる情報は少なかった。
ならば多分、颯馬が悪いのだろう。深く考えることも面倒で、斑は直線距離で結論を出した。
情緒不安定であることは零すくせに、内容は言わない。それは感情を乱してきた相手を庇っているか、颯馬本人に自身の非の自覚があるからだ。どちらにしても、相手が悪いのだと感情任せに喚くよりはずっと誠実に思えた。
力付くで引き剥がそうとしてくる斑と争っている間に多少落ち着いたらしい颯馬は、それでも斑の腕からは離れないままにきちんと人間らしく喋り始めた。
「……若輩者の癇癪に付き合わせてしまって申し訳ない」
「ははあ。そういう系かあ」
自身を卑下するタイプでもないのに、妙に自己評価が低い。それほど敬人や紅郎、あるいは奏汰への尊敬の念が強いという表れでもある。それは向上心にも繋がることであり、是正するべきではない。
「紅月が沖縄に行ってどうたらこうたら、紅郎さんも何か言っていたなあ」
「仰っていたならばきちんと聞け」
「紅月がどうなろうと興味がなさすぎる」
「ざまあみろ、と言わぬだけは愛していただけているようである」
斑は何も言わず颯馬を見下ろす。陰々滅々とした様子の颯馬は地面へと顔を向けており、目は合わない。肯定しても否定をしても自分が恥ずかしい思いをするような予感がした斑は、返答を避けた
「すっきりしたいなら紅郎さんに組手でも頼んだらどうだあ?」
「鬼龍殿は『悪いもの』の対処法をご存知ない」
「……なるほど」
全てを理解するには十分すぎる言葉だった。
先程から颯馬と目が合わない。情緒不安定かはたまた単に引き剥がされないようにしているためか、そのように理由の見当をつけていたが、どうやら違ったらしい。
「『悪いもの』なんて存在しないと思った方がいいと思うけどなあ」
「……『存在しない』とも言い切れぬだろう」
珍しく歯切れが悪い。『悪いもの』という、深海に纏わる宗教の天敵。切っても切れない2つの存在において、斑は自分の家がかつて所属していた宗教について快く思っていないことは赤裸々にしている。
だからだろうと、斑は理解する。宗教を嫌う斑を『悪いもの』に関わらせることに躊躇があるのだろう。
今更だと、斑は思う。クリスマス直前、マヨイ捜索のために颯馬に家の力を使わせたのも禁忌に近づけさせたのも斑だ。
颯馬もそれを忘れているわけではないはずだ。ただ、斑に嫌なことをさせたくないだけなのだろう。
「そりゃあ俺の側にいるしかないよなあ、君としては」
「まさか深海殿に頼むわけにもいくまい」
「俺ならいいと?酷いなあ酷いなあ!傷ついちゃうぞお!」
「喧しいわ。そういうわけではない」
そうはいっても、颯馬の背中にはしっかりと刀袋が背負われている。万一颯馬が『悪いもの』に影響されてしまえば、この身の無事は保証されない。
斑は『悪いもの』の影響を受けた颯馬に斬られてやる気など、さらさらない。そこにきっと、正義はないのだから。
「……どうしても、三毛縞殿のお力添えが必要だったのだ」
颯馬は本当に斑の身を危険に晒す気などなかった。無論、斑ならばなんとかしてくれるという確信めいた信頼もある。そもそも、『悪いもの』など己の刀で駆逐してくれようという意気込みすらあった。
それでも、颯馬には自分が『悪いもの』の影響を受ける可能性がわずかにでもあるならば、それを決して無視できない理由があった。
「我、『悪いもの』の影響を受けると――多分、深海殿へ斬りかかってしまう」
『神裂き』。斑の腕に絡みついて離れないこれは、そんな家に刀として生まれ、刀として育った。斑は決して他人事であると斬り捨てることができない彼の本質に触れ、一瞬呼吸を忘れた。
颯馬はやっと斑の腕から離れる。先程までとは打って変わって今度はまっすぐ正面から斑と向き合い、そして、一振りの短い刀を差し出した。
「我が万一『悪いもの』に精神を喰われ、深海殿に斬りかかってしまったら、首を斬り落としていただきたい」
まるでランチにでも誘うような軽い調子での頼み事。だから斑もまた、軽い気持ちで脇差を受け取った。見た目よりも重く、これが決して玩具や模擬刀ではないことを物語っていた。
「命を投げ出すには根本の理由が軽すぎないかあ?」
「投げ出す気などない。心身未熟な己を罰し更なる鍛錬を重ね、蓮巳殿が思い描く紅月の高みへ導くまでよ」
「前途遼遠だなあ」
「望むところ。勘案を極め『悪いもの』の懸念をするほどに、我は紅月を愛しておるのだからな」
照れもせずに言い切られてしまっては、斑もからかいようがない。手持ち無沙汰に脇差を指先に乗せて回転させてみると、大切に扱えと怒声が飛ぶ。
奏汰を守るためとはいえ、紅月のごたごたに巻き込まれる形でこのような大仕事を受けることは気が乗らない。報酬がほしいが、金銭がほしいわけでもない。
そこで斑は、ふと思いつく。脇差をしっかりと握りしめ、彼はたった一つだけ颯馬に尋ねた。
「……俺が『三毛縞』だからの頼み事か?」
「否、例え三毛縞殿の御父上が相手であろうと、この首を預ける気などない」
迷うことなく即座に返された言葉。それは、報酬としては申し分ないものだった。
しかしきっと、刀としては失格だ。折られる相手を選り好みする刀など、聞いたことがない。斑はそっと、脇差の鞘を颯馬の首に添わせた。
「君、ずいぶんと人間みたいだなあ」
「紅月にいて、人間――つまり、『あいどる』になれたので!」
颯馬は高らかに宣言して、胸を張る。結わえられた髪が大きく揺れ、項が晒された。