脱皮の話 穴ぐらと形容するに相応しい室内は外からの光を拒むように遮光の布で窓が覆われ、室内の灯りも消されている。
中央に置かれた布団の上には猫が丸まるようにとぐろを緩く巻いて寝息を立てる一振りの刀。きゅ、と寄せられた眉根を見て、灯りを点け、傍に腰を下ろした。
「……悪夢でなければいいんだが」
柔らかな髪を撫でてやると、平常よりも体温が低いことに気がつく。ろくに動かず、飯も日に一度しか食べないのであれば当然なのだが。
着物の裾から伸びる黒い鱗が並ぶ見事な龍の身は、数日前に比べると微かに色が薄くなってきたように思える。
──この身体が成長することなど無いというのにどうして「脱皮」などというものがあるのだろうか。
この部屋にいると、今が昼か夜かも朧げになってくるのだろう。小さく身動ぎをした大倶利伽羅は薄く目を開いて、こちらの姿を見つけた途端に目が覚めたらしい。
「お目覚めかい?」
「……起こせ」
「ははは、気持ち良さそうに寝てたもんでなあ」
日に一度の飯を運ぶことと、その身の手入れ。
鶴丸に任されたことはその二つだった。脱皮中の大倶利伽羅はどうしたって無防備になる。そんな番の姿を他の刀に任せられようか。
「今日は茄子と鶏の揚げ浸しにきのこの炊き込みご飯、それと里芋の味噌汁だ」
そう言いながら布団から少し離れたところに置いた膳を台ごと引き寄せる。むくりと身体を起こしたのを見ると食欲はあるのか。何よりだ。
「"あーん"してやろうか?」
「……」
視線だけで返事をされた。
膳を確認するように見渡した大倶利伽羅は躊躇うことなく小皿のひとつに箸を伸ばした。唯一この期間は変わることない献立である、この刀好みの甘めのだし巻き玉子。
「こら。食べる前に茶を飲めといつも…」
「腹の減る匂いが悪い」
「噎せても知らんぞ」
それ以外は基本的に朝餉や昼餉で出た好物だとか、夕餉の残り物が殆どだ。出来たてが特に美味そうに見えるのは分かる、が。
呆れたようにため息を吐くと、しっかりと咀嚼して飲み込んでからようやく茶を飲んだ。
「食べてる間に身体を拭いてやろう」
ぬるま湯が入った桶と柔らかな手拭いを持って大倶利伽羅の隣へと移動する。
以前は「独りにしておけ」と言われた通り、脱皮の期間は様子を見ながらも手を出さないようにしていた。だがある時、中々出てこないのを気にかけて見てみれば、所々に皮が残っていたり鱗が剥げていたり、脱皮前よりもぼろぼろになっていたものだから、独りになどさせておける訳もなく。
脱皮の期間は一週間ほど。
最初の数日は眠気が凄まじいらしく、一日の殆どを寝て過ごす。それからは日を経るごとに怠さが増していき、半分起きながらも半分寝ているような状態になるらしい。おまけに腹も減らないと言っていた。
脱皮自体は丸一日かけて行う。脱皮をしている姿を見られたくないと何度も訴えられてはいるが、脱皮不全を起こしてからは毎回傍についている。「勝手だ」と謗られながら。
湯で濡らした手拭いを軽く絞り、鱗の流れに沿うように表面を拭う。そもそもあの失敗はどうやら乾燥していたのが原因らしかった。だからこうして適度に湿らせてやるのがこの期間の日課になっている。
ぼんやりとした橙色の灯りが、黒い鱗に混じる赤みを帯びた鱗を照らす。くすぐったいのか、時折尾の先がふるりと揺れるのがたまらない。
食べ終わったのを見計らって手拭いを渡す。
あとは自分で手が届く範囲だろうが、と分かっていながらもつい世話を焼きたくなるのが性分というものだ。けれど、器官が集まる下腹部や、肌と鱗が交じる部分は触られることを良しとしない。
「膳を下げてくる。…俺が帰る前に寝てくれるなよ?」
「……そうだな」
──そのくせ、無防備に肌を晒すのだ、この子は。
部屋を出て、ため息を吐きながら廊下を歩く。食べ終わった膳と一緒に回収した脱ぎ捨てられた寝間着からは汗の匂いがした。
胸元から腰にかけて、柔らかな肌に硬質的な鱗が浮かぶ様はどうにも触れたくなる。その理由は好奇心だけではない。
「……困ったものだ」
手を出すわけにはいかないというのに。
「ただいま。起きてるかい」
「ああ」
部屋に戻ると身なりを整えた大倶利伽羅が布団の上でぼんやりとこちらを見つめていた。どうやら待っていたらしい。
「子守唄は?」
「……いらない」
ゆるく巻かれた龍の身は誘うようにひとり分の空間を作っている。身を滑り込ませて、座ったままの大倶利伽羅の肩を軽く引くと、素直にとさりと倒れ込んでくる。この時うっかり角に頭をぶつけたりすれば双方痛い思いをするので気をつけながら。
首の辺りに擦り寄るのを宥めるように撫でながら口を開く。
「今日は柿がたんまり採れてな、光坊と小夜が大福でも作るかと話していた」
「そういえば物吉が貞坊に練度が追いついてきたらしい。そろそろ同じ部隊になれるんじゃないか?そうなるときみとも同じ部隊だ」
「うん?俺の話か。そうだなぁ、馬当番だったからついでに馬の鬣を編み込んでやっていたら長谷部に見つかってな……」
そんな、とりとめのない、何でもないような話をひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。重ねていくうちに反応が鈍くなる。
「伽羅坊」と呼べば眠そうに瞬きをしながら見上げてくるのをふっと笑って口づけで返せば、寝かしつけのように思ったのか「まだ、寝ない」とあどけない声が返る。その背をゆっくりと叩くと「つるまる」と抗議の声。
「明日もまた来る」
春も夏も秋も冬も。眠る季節が訪れる度、祈りのようにその約束を交わしている。
寂しい、と口に出さないために。
「いい夢を」
眠りにつくきみが、どうか悪い夢を見ないように。
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この二振りでスリット姦書いたときのやつ↓
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