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    さえこ

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    さえこ

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    ヒバハン✂️🔥
    私にしてはちょっと如何わしい
    いつも通りお家芸の捏造と幻覚
    それぞれの関係模索中だから呼び名とか安定しません。教えてくれ公式。

    酒精と夢と熱と「ヒバサくん、俺の代わりに愛弟子迎えに行ってあげてくれない…?」
    「は?」

    ころころと‪‪鳴く虫の音と、濃い黄金の満月を肴に酒を愉しんだ。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
    秋の終わり、冬の足音が聞こえてくるような澄んだ冷気が酒で火照った体にちょうどいい。
    そのまま敷きっぱなしになっていた布団の上に転がって、晩酌終わりのとろとろとした眠気を味わう。ちょうど、夢と現の境目でふわふわと揺蕩う意識に身を委ねていると、戸を叩く音と、己を呼ぶ切羽詰まったような男の声がした。真夜中に、いきなり訪ねてくるのはどこのどいつだと苛立ちながら迎えれば、松葉色の毛髪と頬に走る傷が特徴的な元狩人の男だった。

    思わぬ訪問者になんだなんだどうしたと土間に引き込むと、やけにしっかりと武具を着込んでいる。今しがた翔んで来たのか整えるように深い息を吐き、やや途切れ途切れに「夜中に、ごめん」と謝られた。せっかく気持ちよく惰眠を貪れそうだった手前、苛立ち紛れに「こんな夜更けになんだよウツシ教官?」と少しの嫌味を混ぜてやると、困ったように眉を下げられた。
    続けざまに冗談めかしてわざとらしく嫋を作りながら、「夜這いか?」とにやにやしていると、流石に眉根に皺が増えた。本気にするな。

    かつて狩場に一度入ると任務を完遂するまで殺意だの敵意だのを駄々漏れにする気性の荒さから、雷狼竜のようだと畏怖された天性の狩人が歳と共に少し下がった目尻をさらに下げて申し訳なさそうな顔をしている。若かりし頃は狩場の外と中で別人のように振る舞うこの男が何を考えているのか掴むことができず、抜きん出た狩りの才への嫉妬もあわさった複雑な感情はまだ青いヒバサを彼から一方的に敬遠させた。それが、互いに角が取れた今、漸く何の蟠りもなく振る舞えるようになった。
    十云年ぶりに再会したかつての天才は、今は教官の地位に落ち着いて後進を育成する側に回っているという。その技量は衰えるどころか今でも百竜夜行の最前線に飛び出せるほど研ぎ澄まされているというのだから、現役を続けるヒバサも負けてはいられない。
    縁あって禍群の里に再び根を下ろしてから、時折共に酒を呷るくらいには親交を深めた二人だが、約束もなく夜中に訪ねて来たのは今日が初めてのことだ。
    何かあったのかと無下にしきれずに聞いてみれば、どうしても急ぎで任務に出なければならなくなった。酒席に弟子が呼ばれているが、迎えに行ってやれなくなったのでヒバサに代わりに行って欲しい。という。正気か?と聞き返しそうになって、歳若い弟子に並々ならぬ愛情を注ぐこの男なら言いかねないことを思い出した。酔いも眠気もとうに醒めているというのに、こめかみがじくじくと痛む。

    弟子。ウツシの言うところの、「愛弟子」は、ヒバサが妹分と共に禍群の里に舞い戻る少し前に正式に狩人になった、ごく若い里付きのことだ。天才が天才を育てたのか、知らぬ間に怨虎竜を打ち倒すわ、百竜夜行の最前線で飛びまわるわその根源たる番の古龍を討ち取ってくるわの向かうところ敵無し、化け物だとか人外だとか言われる実力の持ち主だ。あの領域まで到達してしまうと、嫉妬の念どころか尊敬すら危うい。生まれたのは畏怖だった。
    古龍を沈めるような狩人というのは、余程の戦闘狂か長い年月をかけ、膨大な知識と経験則を駆使して対峙することができる歴戦の猛者だけだろう。そもそも古龍を目の前にして立ち竦むことなく、ましてやそれを幾度も沈めて無事で帰るなど、御伽噺の主人公と見紛うばかりだ。里はあの子供を中心として成り立っていると言っても過言にはならないだろう。稀代の英雄、猛き炎。今や里の外にも轟くいかつい称号は、師であるウツシが呼び始めたものらしい。本当に、彼は弟子を愛しているのだ。
    初めて噂の「猛き炎」と相対したとき、ヒバサの口から漏れたのは「嘘だろ?」の一言だった。どんな筋肉隆々の大男…例えば、里長のような…いかにもな豪傑が現れるかと思えば、年の頃は成人したて、背はヒバサやウツシよりもずっと低く、狩人としては随分華奢な部類に入るような、やけに幼顔の若者だったからだ。
    ちなみに天才が育てた英雄は、数日前にすれ違ったら天彗龍の武具を担いでいた。意味がわからなくて二度見どころか三度見くらいして、お前は鬼神か何かか?と言いかけたのを寸でのところで飲み込んだ。
    無難な挨拶をしてやり過ごしていると、じと…とした湿り気を帯びた陰鬱な視線を感じた。
    振り返ると、集会所の入口からウツシが体を半分見せてこちらをじっと見つめているではないか。あの無、とも言えない微妙な表情はどういう感情なのか久しぶりに読めなかったが、迂闊なことを言って命を無駄にするようなことはしたくなかった。

    そんな愛弟子とやらをどうして迎えに行く必要があるのか。もう成人してるんだろう?と訝しめば、「お酒呑んでるんだよ?危ないでしょ?」とけろりとした様子で言い放つ。
    確かに稀代の英雄というには些か華奢な印象を抱かせるかの若狩人は、夜道を歩いていたら恫喝やら人攫いやらに当たっても不思議はない、とは思う。だが、それは外見の話である。
    人どころか竜、それも古龍をも沈める相手に喧嘩を売るような命知らずは、この里にはいないだろう。
    「ヒバサくんにしか頼めないんだよ…頼むよ…今度奢るから!」
    「あーもう、しかたねぇな…んで、どこだよお前の可愛い愛弟子殿は」
    「集会所!そろそろお開きになる頃だと思うから、ぼちぼち向かってあげて」
    いつかの日に天才だと謳われた狩人に、こんな風に頼りにされては仕方がない。
    こういう所で断りきれずに一肌脱いでしまうヒバサは、周りから「兄貴」と呼ばれがちだ。
    実際はウツシの方が普通に歳上なのだが、今のやり取りではどっちがどっちかわからない。次の酒席はウツシの奢りだと約束を取り付けて、言うが早いか散歩支度を始める。
    「頼んだよ!」とやや遠くから聞こえてきたので振り返ると、既に狼の姿は戸口から消えている。随分と白くなった天満月の浮かぶ更深の闇に、ちらりと光る翔蟲の軌跡が見えた。徐々に遠ざかって消えた光の線になるほど本当に急いでいたのだとようやく納得できた。

    「…で、こりゃ一体どういうことだ?」
    「ヒバサじゃないか!なんだ?お迎えか?ウツシ教官が来ると聞いていたんだが都合が悪くなったのか!いやあ、助かったよ!なんか色々悩んでるみたいでさ、気がついたらあんな感じにになってしまっていたんだ!」
    丸い月がぽっかりと空に光の穴を開けている様に惚けて、翔蟲もなにも持たずに着流しのまま集会所に来てしまった。橙の光の中に浮かぶ花弁の下、口を開けて客人を誘うように生える木の根を跨げば奥の方で延々と猪口を傾ける爺共、山盛りの料理を一瞬で消し去った竜人姉妹の姉、そして、何事かふにゃふにゃと喚きながら二人の女狩人に慰められている猛き炎の姿があった。
    その周りには、中身のない瓶、徳利、猪口、桝…様々な容器が散乱していて、これをあいつが?と思わず妹分の顔を見てしまう。
    ヒバサの顔を見て長い付き合いの賜物か、目の前の光景を受け止めきれていないのを察してか「いや、あの子が飲んだのはあまーい果実酒をこれだけだ!」とごく小さな切子の中程を指でなぞる。
    「その程度であれか…」
    「今日が初めての宴会だと言うからあたしも姐さんも甘くて飲みやすくてきつくないのから勧めたつもりだったんだけどなあ。それもだいぶちまちま飲ませて、これを空にする頃にはべろんべろん!びっくりしちゃった!稀代の英雄もお酒が弱いとかあるんだね!」
    若者自身はモンジュの指した切子半分程度しか飲んでいない、というのなら、目の前に散らかる色とりどり種々様々な入れ物たちは一体何なのだろう。
    奥の方で昔話自慢話に花を咲かせている三老は元々あの位置にいたのだろうし、竜人の姉妹は酒よりも料理の方に夢中になっている。つまり。
    「この辺のはお前らが飲んだのか?」
    「…ナカゴたちの分もあるよ?あたしとモンジュちゃんだけなわけないだろ?」
    あらぬ想像に、姉御肌の女狩人はやめてよね、大酒飲みみたいな目線で見るの、と呆れたように言う。彼女たちもそれなりに飲める方だったような気がするのだが、薮蛇を突いて噛まれるようなことにはなりたくない。最悪命に関わる。とはいえ、流石に二人で飲んだわけでないことが確認できて安堵した。禍群だけに限らず、狩人の拠点となりやすい地域は酒豪が集まっている印象がある。狩人が酒豪になるのか、酒豪が狩人になるのかは定かではないが、この量を飲んでおきながら顔色ひとつ変えないのは、と肝を冷やしたのだが他に鍛冶見習いの青年たちがいたのであればおかしなことは何もない。
    彼らは明日もあるから、と月が昇った頃引き上げていったらしい。では昔馴染みの元豪傑達と今も尚杯を酌み交わしている我らが師匠はいいのだろうか。あれだけ飲んでいればヒバサが知る限りの師の様子からして、明日は二日酔いで使い物にならないだろう。最悪ナカゴが引き受けるのだろうか。優秀な弟弟子のげっそりとした笑顔を何となく思い浮かべて、苦笑する。師匠の尻拭いは明日の弟弟子たちが何とかしてくれるはずだ。

    ヒバサは視線を集会所の奥から手前に、項まで真っ赤にして机に突っ伏している若狩人に戻す。先程からうーん、とかうう、とか呻くような声しか出していないが、傍らには空になった杯がある。酒かと不安になったがモンジュが水だと言うので信じることにする。
    とはいえ、お迎えが来たよ、家に帰りな、と声をかけられてからも何事かを呂律の回らない口で嘆き続けているのをいつまでも放置してはおけない。そもそもヒバサは若者の回収をその師であるウツシから頼まれているのだ。酔いが醒めるのを待っていたら朝になりそうだった。引きずってでも帰すしかないだろう。
    仕方なしにその背に狩人を背負い、邪魔したな、と声をかけると、二人の女は神妙な面持ちでぽつりと言った。
    「ねえ、あんた、もうちょっとこの子に優しくしてやんなよ」
    「この子の悩み、ちょっと聞いてられなかったというか、いじらしすぎるというか、その、小さな子供じゃないんだからちゃんと向き合った方がいいぞ?」
    「あ?」
    狩人の悩みの内容は語られることはなかったが、ヒバサに関わることだということは二人の言からわかる。
    ただ、全くといっていいほど心当たりがなく、訝しむような声しか出ない。
    まあ、分かってないからあんなに悩んでるんだろうね、と呆れたような声で言われてますます首を捻る。喧嘩もしてないし、意地悪をした覚えも最近はない。それをしようにも、真面目すぎる狩人に冗談を殺される事も多い。
    なんなんだよ…と呟くヒバサをよそに、あたしらもそろそろ帰るよ。とアヤメに囁かれて、漸く「うん…」と小さく返事をしたのが聞こえた。まるきり子供のようなふやけた声で、ヒバサは昼間の姿からは大きく違ったその幼さに昔を思い出す。昼間の若者は、どこかの師匠に似たのか何を考えているか分からない。
    かの天才と違うのは笑顔を貼り付けているわけではないことと、機敏を悟られたくないのか面をつけていることだ。その中性的な雰囲気が、神性を帯びた稀代の英雄、猛き炎なのだと言われたら、信仰の対象でもあるまいに人間味が薄いことを是とする周囲の人間に喉の奥に小骨が引っかかったような気分になった。この里で研鑽を積んでいた頃。少しだけこの子供と関わったことがあるが、その時は大人びた振る舞いを鎧として纏いながらもそれらしい振る舞いはしていたように思う。いつから、あんな感情を押し殺したような振る舞いになったのかは十年以上里を離れていたヒバサには知る由もなかった。

    「おっっっっも」
    結局、立てと言っても掴まれと言っても何の反応も示さない若者を背負って帰ることにしたヒバサは、己の選択を若干後悔している。
    目の前で伸びていた若者はどう見ても己より華奢で小柄。現役の狩人でありながら鍛冶職人としても腕を奮っているのだ。ある程度、力には自信があった。だが、所詮「狩人にしては」である。武器をとる手は肉刺や胼の痕で皮が厚くなっていて、古いものから比較的新しいものまで瘡痕や瘢痕で歪んでいる。これまた狩人にしては白い肌と、まろい顔つきに似つかわしくない、いくつもの死線をくぐり抜けてきた証だった。背丈ほどもある武器を自由自在に振り回すのだ。周りと見比べて小さく細いからとただの人と同じように考えてはならないことは明白だった。おまけに、今背に負っている若者は、意識がほとんどない。脱力状態の人間は自立できない故に一番重いのだ。

    暗い夜道をじゃりじゃりと引き摺るように歩く。途中で何度も背負い直して、狩人の家に向かう。数歩進んでは背負い直し、息を整え、少しずつ進む。旧知の知り合いの愛弟子かつ己の可愛い後輩だからといって、里の端から端まで馬鹿正直に重たい体を背負って運んでやるのは馬鹿らしくなってきて、若狩人の心の安寧よりも今にも腰を痛めそうな己の身体を優先して己の借家に戻ることにした。明日、狩人は目覚めた時に見知らぬ天井を眺めることになるだろうが、そんなことは知ったことではない。初めてのお試し一杯で酩酊した若者に自業自得と言うのは酷かもしれないが、とにかくさっさと背の上の存在を床に転がしてしまいたくて、歩調をできうる限り速める。こちらはぜいぜいと息を切らしているのに、呑気に眠る若者に微笑ましさと苛立たしさでなんとも言えない気分だ。冬も目前で随分と冷えた空気の中歩いているはずが、この重労働で汗だくである。帰ったら湯浴みだ。

    集会所から、己の根城まで。行きの倍どころか三倍以上の時間をかけて漸く敷居を跨ぐことができた。すやすやと眠る若者は数刻前に自分が転がっていた布団に置いた。
    適当に背負って、かなり乱雑に運んだせいで袷や裾はぐちゃぐちゃに乱れている。布団の上に仰向けに転がっている肢体がもそり、と身動ぐと、視界に生白い肌が飛び込んできた。ちらりどころの騒ぎではない露出に、見てはいけないものを見ているようで目を逸らしたくなる。
    ヒバサにとっては子供にも等しい若狩人に、疚しい感情を抱いているつもりは、毛頭ない。好ましいとはずっと思っているし、手に入れたい欲はあるが、そんなものはもっと大人になってからでいいと思っている。成人したとはいえ、まだ幼さを残す若者を手篭めにするには早い気がして、機会を窺っている所なのだ。一回りも年下に情を抱いておいて説得力がないことこの上ないが、少なくとも稚児趣味はないし、そもそも本来のヒバサはもっと艶かしい、色香ある大人の女が好みである。ただ、女よりも固く、男よりも柔らかな曲線を描く中性的な作りの体に、冷たい月明かりで生まれた深い陰影が不均衡な色気を強調していて柄にもなく妙な気分になってしまう。無意識にこく、と上下した喉には気がつかなかった振りをして、そっと体を隠すように綿布団をかけた。
    己の知っているかつての童と比べて、体は随分と靭やかに育っている。それでも、うっすらと開いた唇に微かに幼さを残す寝顔はいつか見た幼子のそれとほとんど変わっていない。ふ、と自然に笑い声が漏れたが、随分と疲れ切ってしまった。熱源を失ったことでまとわりついていた熱気はとうに過ぎ去っていて、皮膚に湧いた汗が急速に冷やされる。血の気が引いていくような冷えに、このままでは本当に風邪を引いてしまう、とヒバサは湯浴み場へと消えた。

    ふわふわと、酷く心地のいい気分だった。
    せっかく成人したのだから、と初めて夜の集会所にお呼ばれした。
    いつもは早寝早起きは狩人の務め、などと言っている師も、「はじめてだからね」と夜間の外出を赦してくれた。その代わり、迎えに行くと言われてしまったが。
    珍しくそわそわと、浮き足立った気分で植わった薄墨の根を越えれば、橙の光に包まれたそこは昼間とは違う、ゆったりとした時が流れていた。
    狩人が宴席に顔を見せた途端、先に飲み始めていた三老も姉妹も職人の弟子たちも、待ってましたとばかりに、ぱっ、と顔を輝かせた。
    ここに、と若い衆たちが席を空けて、落ち着かない気分で着席した。なんだか、酷く大人になったような気分で、背筋が伸びる。
    真向かいに座っていた雷狼と迅竜の女狩人が、初めてならこれを、とさらさらとした液体を薄青色の差し色が入った切子に半分ほど注ぐ。弱めのものなのか、仄かな酒精の匂いに混じって、果実のような甘やかな香りが漂う。
    液体が切子に注がれたことで、室内の光と硝子の反射が机の上に美しい模様を描いている。その様をしげしげと、ため息すら出そうなほど見つめてしまって、くすくすと笑う声にかあ、と耳元が熱くなった。

    「それでは主役も来たところで、」とどこからともなく声が上がって、三老たちが乾杯の音頭をとる。
    既にだいぶ飲んでいるようだったが、彼らの顔色は変わらない。
    「あなたはあんな風になっちゃだめよ」
    「今はけろっとしてますけど、明日は顔出さないんでしょうねぇ」
    「酒精は一気に摂取すると危険だからきみは少しづつ飲もうね。慣れてきたら量を増やすといい。今日はこれくらい。ゆっくり飲んで。気分は悪くないか?」
    乾杯した途端にわっ、と賑やかになる。気後れしてしまってきょろ、と視線を彷徨わせるとやや引き気味に三老の方を見ていたナカゴやアヤメが声をかけてくれる。
    次いで、モンジュが酒の飲み方を伝授してくれて、くぴり、と人生初の酒精の味を知ったのだった。

    禍群の猛き炎が覚えているのは実はここまでだ。
    一口、甘やかで冷たい、喉を灼くような蒸留酒を流し込んだ後、狩人の記憶は急速にふわふわと曖昧なものになっていく。
    回る口そのままに滑るように抱え込んだ悩み事を吐露して、緩む涙腺からは溜め込んだ不安の象徴かほろりと雫が零れ落ちた。
    霞む思考と、滲む視界に悩みの種が見えたような気がしたが、都合のいい夢かもしれない。
    暫くそうして感情の奔流に逆らわずにいると、温かい何かが触れ、心地のいい音が落ちてくる。低く、沁みるような音。あやすように何事かを狩人に語りかけてくるが、よく聞き取れなかった。

    次に意識が浮上した時、誰かの背中に背負われて、揺さぶられているような感覚があった。夜道を吹き抜ける晩秋の風は冷たかったが、酒精で火照る体と縋る人肌の温もりで寒くはない。
    きっと、迎えに行くと言っていたから師の背中なのだろう。幼い頃、夕方まで師と野山を駆け回った時のことを思い出して、体を包む心地よい熱に懐かしさを覚える。もう子供じゃないのに、起きているのに、ああ、でも気持ちがいい。何度もずり落ちないように背負い直してくれるのが申し訳ない。起きたら謝らなくては。

    漸く重い瞼が開く。暗闇に一度、二度瞬きを繰り返して、あやふやな視界に天井が映る。
    月明かりを頼りに部屋を見渡せば、柔らかい布団に包まっているようだった。ここは何処だろうか。自分の家でないことくらいしか分からないが、未だくらくらと廻る世界のせいで起き上がることもままならない。
    ふと、己にかけられた綿布団から、ふわりとよく知る香の匂いがすることに気がついた。
    深く吸い込むと甘さを感じるそれは、狩人を大いに悩ませる兄貴分のものだ。
    何故、彼の香の匂いがするのだろう。記憶も視界も思考も風吹く湖畔のようにさんざめいていて、纏まらない。気持ちよく酔っ払っていたはずの自分が、彼の部屋で彼の布団に包まれて寝ているなど夢に違いない。すん、と息を吸うだけで肺いっぱいに甘さとほろ苦さが広がっていく。夢ならば、目が覚めたらきっと忘れてしまうだろう。今だけでも彼に包まれているような、涙が出そうな程の安寧を享受していたかった。

    「起きたか?」
    顔の半分ほどまで綿布団に顔を埋めて、ぼんやりと床を眺めていたところに背後から声をかけられて、きゅう、と心臓が締め付けられた。
    紛れもなく布団に染み付く香りの持ち主の声で、ざわざわと心が落ち着かない。
    「ヒバ…サさん?」
    緊張か、酒精のせいか、それとも寝起きのせいか、ひどく掠れた声が出るのみで、やっとの思いで名前を呼べばほらよ、と椀が差し出された。
    体を何とか起こそうとしても、眩暈のようにまだ視界が回っている。雷狼の女狩人の言う通りに少しずつ飲んだつもりだったのに、いまだ取れぬ酔いにやきもきとしているとことり、と椀が置かれた音と共に腕がとられ、背が暖かなものに支えられた。
    ヒバサの手だ。狩人のそれよりも大きく、逞しい男の手が、上へ下へと背を擦る。
    湯浴みでもしたのか、例の香の匂いはしないが腕を握るそれも背を擦るそれもしっとりと、明確な熱を持っている。
    「気分は?気持ち悪くねぇか?」
    寝落ちる前に聞いたような、穏やかな低音だった。後輩を茶化す意地悪な声色でも、竜を眼前にした際の好戦的な声色でもなく、子供を相手取るような、甘やかな声。
    現実の彼からは与えられぬであろう愛情さえ感じさせるそれに、止まったはずの涙が零れる。
    「…おい、なんだよ、どうした?」
    「う…」
    ほろほろ、と零れる大粒の涙が止まらない。焦ったようなヒバサの顔を見ると、さらに涙の量が増える。なんて都合がいい夢なのだろう。一等優しくされたい相手に、子供をあやすような優しさを向けられて胎を針で突くような痛みが走る。
    こんなにも都合よく想い人は優しくしてくれるのに、泣き出した狩人の涙を拭うでも、肩を抱き寄せるでも頭を撫でるでもしてくれない所に妙な現実感が伴っているのが悲しくてたまらない。
    「落ち着けって。ほら、水飲め」
    珍しく動揺したように視線を彷徨わせると、背を擦る前に脇に避けた椀をとって狩人の口元に寄せた。揺らめいた双眸からなおも零れる水滴に構わずに、椀を素直に受け取っていまだ冷たさを保つそれを飲み下す。喉を流れる冷たさが、少しだけ酔いと涙で熱を帯びた思考をすっきりとさせてくれる。
    涙に濡れ、水の中にいるようにぼやけた視界で想い人を捉えて、ひとつ瞬きをする。
    閉じた目を開けばぼろ、と最後の一雫が零れて、漸くはっきりと男の姿を見ることができた。
    見慣れた青熊の鎧でも、手作業をする時の作務衣でもない。
    ほとんど見ることの叶わぬ着流し。湯浴み直後の熱のせいか、はたまた元々そういう着こなしなのか、胸元が緩く開いていて見ていられない。どうせ夢なのだから凝視したい所ではあったが、狩人は初心だった。

    「落ち着いたか?」
    空になった椀を受け取りながら、ほっとしたような声がする。そんなに弱いんじゃ、次は果実水だな、と揶揄う口調はいつも通りの彼だ。くつくつと喉で笑いながらくしゃりと髪を撫ぜられ、「悲しいことでもあったか?」と宣う男に、急に怒りが湧いた。夢のくせに。肩を寄せて、口付けのひとつでもしてくれればいいのに。
    何よりも怒りの矛先は己へも向かう。撓垂れ掛かるくらいすればよかった。意気地無し。
    感情の奔流は止まらない。つい、誰のせいだと、夢とはいえこんな風に優しくして、期待させたのは誰だ、と声に出してしまった。

    「あ?夢?」
    狩人の口から吐き出された言葉に、思わず聞き返してしまう。
    今目の前で起きていることは夢でもなんでもない。ただ、布団の上でぐずぐずと鼻を鳴らす酔っぱらいの若者は、自分の身に起きていることを夢だと思っているようだった。
    「夢じゃねぇよ」
    「嘘」
    「嘘じゃねぇって」
    言った言わないの水掛け論のように、夢だ、嘘だ、違う、と何度も繰り返す。酔っぱらいに真剣に取り合うだけ無駄なのだが、暴れられても困るので優しく宥めざるを得ない。言葉だけでは信じられないなら、と手を握ってやったが、逆効果だったらしい。本当のヒバサさんはそんなことしてくれない。と拗ねたように唇が尖る。すん、と小さく鼻を鳴らした若者は一体己に何を夢見ているのだろう。いくら酔っているとはいっても、この面倒ごとを押し付けてきた男に大事な弟子を泣かせたと知られては大目玉を喰らうことが目に見えているので、早く正気に戻ってほしい。
    だが、再び口を開いた狩人から零れた本音に、ヒバサの願いは儚くも散る。
    「じゃあ、なんで、優しくするんですか。そんな気もないくせに、触ったりするなんて卑怯だ」
    「は?」
    「声だって、なんでそんなに優しい声出すんですか。子供だからって相手にしないくせに、ずるい」
    「まてまてまて」
    ずい、と身を乗り出して捲し立てる若者に思わず体が仰け反る。
    ヒバサが仰け反れば仰け反るほど、ずい、ずい、と若者は迫ってきて、とうとう腹の上に乗られてしまった。
    本当にこれはいけない。どこでこんな勘違いをさせてしまったのかだとか、そもそも腹の上の若者が己の事を好いているようなことを言っているがそんなことは初耳だとか、先ほどまで寝ていたせいか布団に転がした時に隠した裾やら衿やらが再び派手に乱れているのに気が付いたことだとか、一挙に処理すべき情報が現れて思考が追いついてこない。
    焼き付いたからくりのようにちぐはぐに動いてしまって、何から考えるべきかを冷静に判断できないでいると、若者はさらに身動ぎをする。
    「だから、こんなに都合がいいことが、現実なわけがないんです」
    ずり、と狩人の薄い臀がヒバサの下腹部を擦って、思わずなおも迫ろうと蠢く脚の付け根を掴んで止める。
    「待てって。流石にやべぇから…おい!」
    「夢なら、何しても、いいですよね?」
    「よくねぇよ!夢じゃねぇって言ってんだろ!よせ!」
    ヒバサの必死の制止虚しく、腹の上の子供は上半身を折って床に縫い付けた男の顔に自らのそれを寄せる。
    流石天性の才能を持つ狩人といったところか、力は強い。流石に体格が一回り近くも違う相手の拘束など、やろうと思えば抜け出すことはできる。ただ、全力を出せば怪我をさせかねないので無闇に押し返すこともできない。
    やめろ、と再び懇願しようと動かしかけた唇は、若者の柔いそれに塞がれた。
    「…っは、」
    「んん、」
    子供騙しのような、重なるだけの稚拙なそれに、妙な背徳感と征服欲が生まれてしまいヒバサの理性を焼く。
    止めねば、止まらねば、と思うもいつとって喰おうか機会を狙っていた相手が自ら囲いの中に飛び込んで来たのだから、この幸福を逃してたまるかと貪ろうとする己に自己嫌悪が募る。
    相手は酔っ払いだ。都合がいいと言うのならばヒバサも同じである。
    思わぬ形で両想いが発覚したことへの喜びよりも、都合がいいから夢なのだ、と言い張る狩人にいかにしてこれが現実だと教えてやれるのか、と思考を巡らせたところで唇に何度も触る柔らかいもののせいで霧散する。
    いっそ、めちゃくちゃに貪ってしまえば目が覚めるだろうかと凶暴な欲が首を擡げている。何も知らない初心な若者だということは知っていたから、できればゆっくりと教えてやりたいことが沢山あった。
    触れ合っているのは唇だけではない。先程押さえた下半身も、一番嫌なところで触れ合ったままになっている。このままでは情けなく欲が凝固してしまいそうで、脳裏に冷ややかな視線を送るウツシの姿を思い浮かべて無を保とうとする。

    「…ん、」
    ちゅ、と音を立てて、漸く唇が離れる。
    啄むような口付けに耐える時間も漸く終わるのだ。頼むから、寝るか醒めるかしてくれ、ともはや祈るような気分で「満足したか?」と余裕な風を装う。実際は鬼のような形相の師匠やら、殺意増し増しの天才やらを思い浮かべることでなんとか理性を保っていただけだ。
    「…」
    やけに静かに、大人しくなった若者に、お、醒めたか?と顔を見ると、いやに青褪めているように見える。
    嘔吐を警戒したが、完全に醒めている。ふわついていた目はしっかりとヒバサを捉えているし、飛び退こうとしたのか体を動かした瞬間触れ合うそこに気が付いて猫の尻尾を踏みつけたかのような声が出た。
    「よォ、お目覚めか?マセガキ」
    「えあっ」
    仕返しとばかりにしっかりと腰を掴んで、逃げられないようにする。
    散々夢だのなんだのと騒いだ挙句理性を焼切る寸前まで大人を追い込んだのだ。
    少しくらい、やり返してもいいはずだろう。これに懲りて酒を飲まない選択をしてくれれば、なお良いのだが。
    「散々煽りやがって。悪い子にはお仕置きが必要だよな?」
    「え、なんで、ぎゃ!」
    ずっと好きにさせていた体を反動をつけて起こす。あっという間に上下が逆転して、今や狩人は獰猛な顔の男の下だ。
    色気のない悲鳴にはこの際目を瞑る。
    「本当に都合がいい夢だったかどうか、教えてやるよ」
    狩人がしたそれよりも、深く噛み合った唇に驚いたのかくぐもった声が漏れる。
    瞬間触れるだけの口付けと、しっかりと確かめるような口付けを繰り返して、息継ぎの合間に「まだ夢か?」と聞く。
    ふるふると何度も顔を振り、その勢いで離れた唇を追いかけるように啄む。酔いではない火照りで肌が染まってきたのが、夜空を進んでちょうどいい角度になった月の光のおかげでよく分かる。だが、言葉で聞かなければ、分からないこともある。
    意趣返しも兼ねているのだ。振り回してくれた礼は、しっかりしなくては。
    「なァ、まだ夢か?いつになったら信じる?」
    「…っ、し、しんじるから、待って」
    「待たない」
    漸くヒバサの行動も感情も現実であることを受け入れたところで、火がついた欲に変わりはない。
    ちょっとやそっとでは鎮火できないのが情欲というものだ。
    今更待てをされたとて、素直に止まれる地点はとうに過ぎ去っていた。

    濡れた舌で小さな口を舐り、息継ぎもままならないそこを強引にこじ開ける。
    驚き逃げ惑う舌を男の肉厚な舌が絡めとってくちくちと音を立てた。ひどくはしたない水音の合間、拳が白むほど握られているのをやんわりと解いて布団に縫い止めて、口付けはそのままに小さな指と柔い掌を何度も親指の腹でなぞってやると少しだけ体の力が抜ける。慣れぬ口付けに震える身体は愛おしいが、窒息されては適わない。
    名残惜しげに狩人が立てたそれよりも水気を含んだ音を立てながら唇が離れる。繋がる露の糸がふつりと途切れるのを慈しむ間もなく溺れていたかのように急激に酸素を取り込んだ肺はぜいぜいと鳴った。深い口付けの作法すら知らぬ相手に興奮を煽られて、意趣返しの事などすっかり頭から吹き飛んでいた。どうしても手に入れたい。なりふり構っていられるものか。
    「もう一回すっから。息は鼻でしろ」
    「っん、う、ん…っ」
    「上手だな、いい子だ」
    教えたことをすぐに飲み込む狩人に征服欲は膨らむばかり。褒めれば健気にももっと、と強請るように軽く吸いつかれてもどかしくも抗いがたい快楽に首筋が粟立つ。そうして幾度も口付けを繰り返せばしんと冷えていた空気が濃密な熱気と湿り気を帯び、酒精のせいではない体の熱にたまらず着物を肌蹴た。

    狩人の目の前で突如顕になった逞しい裸体を直視できずに視線を右往左往させていると、素肌に熱を持った掌が触れた。
    背を撫でてくれた時とも、頭を撫ぜてくれた時とも違う、燃えるような熱だった。そっと這うように添えられた指に軽く鎖骨の当たりを撫でられただけなのにふつふつと鳥肌が立って、上擦った声が漏れる。恥ずかしくて堪らない。
    きゅう、と胎が締まるような未知の感覚にほんの少しの恐怖心を覚えて男を見上げれば、ぎらぎらとした目で狩人を見下ろして獣のような獰猛さで舌なめずりをしている男と目が合った。
    こんないやらしい男とのあれやそれやが、夢でなくて良かった。
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    Replies from the creator

    さえこ

    DONEヒバハン✂️🔥
    私にしてはちょっと如何わしい
    いつも通りお家芸の捏造と幻覚
    それぞれの関係模索中だから呼び名とか安定しません。教えてくれ公式。
    酒精と夢と熱と「ヒバサくん、俺の代わりに愛弟子迎えに行ってあげてくれない…?」
    「は?」

    ころころと‪‪鳴く虫の音と、濃い黄金の満月を肴に酒を愉しんだ。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
    秋の終わり、冬の足音が聞こえてくるような澄んだ冷気が酒で火照った体にちょうどいい。
    そのまま敷きっぱなしになっていた布団の上に転がって、晩酌終わりのとろとろとした眠気を味わう。ちょうど、夢と現の境目でふわふわと揺蕩う意識に身を委ねていると、戸を叩く音と、己を呼ぶ切羽詰まったような男の声がした。真夜中に、いきなり訪ねてくるのはどこのどいつだと苛立ちながら迎えれば、松葉色の毛髪と頬に走る傷が特徴的な元狩人の男だった。

    思わぬ訪問者になんだなんだどうしたと土間に引き込むと、やけにしっかりと武具を着込んでいる。今しがた翔んで来たのか整えるように深い息を吐き、やや途切れ途切れに「夜中に、ごめん」と謝られた。せっかく気持ちよく惰眠を貪れそうだった手前、苛立ち紛れに「こんな夜更けになんだよウツシ教官?」と少しの嫌味を混ぜてやると、困ったように眉を下げられた。
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