駒損「なあ水上~『終盤は駒の損得より速度』ってどゆ意味?」
「はい?」
昨晩の金曜□ードショーで放映されたアニメのせいだろう、先月でランク戦も一旦終わり、隊務のない土曜の昼下がり、「こんなん作ってみたいんやけど!」とキラキラ顔で突き出された大皿に山盛りのミートボールパスタでぱんぱんになった腹をなだめながら皿を洗っていると、突然生駒がそんなことを訊ねてきた。
「たぶん将棋の格言やんな?」
「へえ、そうですけど」
どこぞでそないな言葉仕入れてきたんでっか、と水上は彼の傍らに腰を下ろす。すると生駒はこれ、と覗き込んでいた携帯端末の画面を見せる。見慣れた有名ネット通販サイト。
そこに表示されていたのは、今しがた生駒が口にした格言が胸に大きくプリントされたTシャツだった。
「こないなグッズになっとるわけやから、ええ言葉なんやろなぁ思うて」
はあ、と頷きながら、そっと手を添えて画面をスクロールすると、これを買った方はこちらにも興味を持っています、というエリアには口から大量に光る何かを吐しゃする猫や全面にべったべた貼られた半額シールの柄のTシャツが居並んでた。
(いや、これただのオモロジャンルTやん……)
いやちょっと待て。その下、「もう一回購入する」のエリアにはムキムキマッチョで腹が六つに割れた柄のTシャツもあった。
『イコさんあんた自前でカニパンみたいなシックスパックあるやん! ていうか、こんな一発オモロネタのウェア何度も買うか、ここのおすすめAIはアホか! 白ビール(将棋AI)を見習え!』という脳内をノータイムで過ったツッコミをすべて水上は呑み込んで「買うつもりなんです?」と伺う。
「おん。おまえにプレゼントしてやろうと思うて。……ってなにその顔? おそろがええの?」
だったら、と生駒のごつい指がなめらかに画面をすべって、数量を2に変更する。
「いやいやいや。わざわざ通販なんてせえへんでも、どうしても揃いのT着たい言うなら、アベイルあたりのリアル店舗で今度見繕いましょ? ね?」
「ええ、でもこのかっこええ文字のとかあるぅ?」
「ありますあります。出水とかあそこでよう買うとるって隠岐が言うてましたで~」
「そうなん? 確かに出水くんイカす名言の入ったシャツよう着とるもんな! だったら今度行こ」
嘘つきブロッコリーの二つ名躍如とばかりにぺらぺらとでまかせを紡いで何とか乗り切った水上はタチの悪い通販サイトから意識を逸らすべく、つまりですね、と生駒の部屋の片隅に置かれた、プラスチック盤を取り出しながら、格言の方向に舵を切ってみる。
馴れた手つきで水上は記憶の中にある棋譜のひとつから終盤のかたちを作る。
「前にも言うたと思いますけど、将棋の駒には価値の高低があります。あ、高いのはお幾ら万円するんとか、ボケようと思うたでしょ」
「さすが先読み早いねんな」
「そらもう。イコさんのことやし。あ、ちなみにお宝鑑定団で盤とセットで一千万ついたのを見たことならあります」
マジか! と息を呑む生駒の様子があまりにも純粋で愛らしく、水上は思わず微笑みを浮かべる。
「イコさんが使うとる刀やてなかなかのお値打ちちゃいます? 新選組の土方の愛刀で有名な之定がそんくらいって聞きましたけど?」
「まーさーかー。そら俺が生まれた時にまだ生きとったひい爺ちゃんが誂えてくれたんはそらまあええ刀やけど」
生駒はぶんぶんと首を横に振る。
「だいたい稽古で真剣使わなあかん時は数打ち使とるし」
「そうなんです?」
「せやで」
ほーん、と水上はしみじみとする。生駒のこととはいえやはり知らないことは結構ある。
「じぶんがこうして気楽にプラスチックの駒で気楽に指してくれるんと似たようなもんちゃう?」
「なるほど」
生駒が駒台に置かれた歩の駒を弄びながら、そんな風に告げる。
水上は生駒側の歩を進め、自陣の歩でそれを取る。
イコさん、と促すと、生駒は少し考え、手にしていた歩を今しがた突き捨てた筋にあった金の後ろに打った。
「これでええ?」
「正解です」
同じ筋に歩を二つは将棋の数少ない反則のうちのひとつで、それをあえて避ける為に歩を「突き捨て」――わざと
利きがあるマスへと進め、そしてその筋により得な手を選ぶ。
「例えば持将棋では飛車角の大駒は五点、それ以外の小駒は一点って勘定しますけど、その大駒かて終盤では犠牲にしてもうても、相手の守りを剥がして玉を追い込むほうを優先する。そういうことですねん」
「それが、終盤は駒の損得より速度、ってことか」
「そおです」
水上が淡々と告げると、くく、と生駒は笑いをこぼした。
「どないしました?」
「いやな、こないだ、おまえが隠岐に言うとったやろ。将棋はゲームで、ランク戦とは別物やて」
「ああ、そう言えばそんなこと言いましたね」
その時生駒は脂汗を流しながら盤面とにらめっこをしてたというのに、きっちりやりとりは聞いていたらしい。
「やっぱり役に立っとるやん。前のシーズンのしまいの試合、うちの戦力の大黒柱は俺や言うてくれたけど、一点は一点や、捨て駒になってください言うたやん、二宮さんと当たる時に」
「言いましたね、確かに」
そして生駒と二宮をぶつけることによって、盤面を乱し、時間切れを狙って、一点差で逃げ切った最終局。降格してきた元A級の二部隊を覆すことこそできなかったけれど、実質B級一位である三位を獲ることはできたのだ。
「おおきに、俺を特別扱いせんでくれて」
「当たり前ですやん、そんなん」
水上はほろ苦い笑みを浮かべた。
隊長だから。恋人だから。大切な人だから。あなたを犠牲になんてできない。そんな甘さで唯一の武器を鈍くしてしまったら、それこそ自分の価値なんてなくなる。
でも、もし。
それがランク戦という安全な盤上ではなかったら。
水上は討ち取られるであろう王将に、そっと手のひらをかぶせ。
「おおきになんて、俺にはもったいないですわ」
そうとだけ答えた。