強く儚いきみだから ここやな、と水上が作ってくれた隙に気づいて、生駒は勢いよく駒台の飛車を掴んで盤に打ちおろす。
その時、盤の上に駒が置かれた時とは違う、ペキッと乾いた鈍い音が響いた。
「あ」
驚きの声は生駒と水上、双方から洩れる。
生駒隊作戦室の畳敷の一角に座した足つき盤の上で、飛車の駒が綺麗に真ん中から縦に真っ二つに割れてしまっていた。
「あかーん!」
任務前に指さん?と早めに来ていた二人きりの空間に生駒の声が高らかに響く。そして2つになった駒をそうっと上向けた手のひらの上に置いて、生駒はそれと水上を交互に困り顔で見やる。
うん予想通り、と直後に想像した通りのリアクションに満足そうに頷きながら、水上はめったに拝むことのない駒の断面図をしみじみと眺め入る。
「どないしょ、こうやってぎゅーっとくっつけたら張りついたりせえへんよな。コレ、プラと違うて高うてええ奴やろ。いくらするん? 弁償するわ、ナンボ?」
「いやいやいや何じゃんくさいこと言うてるんですか」
生駒の手のひらから駒を取り上げ、磨かれた表面とは違う、木地を指でつうとたどりながら水上は笑う。
「せやかてあないに力入れて打ってもうたから」
「駒はごく稀にですけど割れることがあるんですよ。特に飛車は」
「そうなん?」
「ええ、ほら、飛車の飛も車も真ん中を貫くみたいに線が縦に入っとりますやろ。こういう盛り上げ駒言うんは、字ぃ彫り込んだ上に漆を重ねて立体的にするんですけど、彫りの按配が深うなって、そんで飛と車の縦棒が繋がりそうだったりするとなんかの拍子にヒビが入って割れてまうらしいですよ。木地の目ぇ言うたらいいんですかね、そういうのもあるんかも。実際に対局中にも起きたこともあるいうし」
「へー」
生駒の手に欠けた半分だけを戻す。
「俺は見たことはあらしませんけど、師匠がプロになる前、記録係しとる時に出くわした言うとりました。そやから……」
『すんません、せんせえ、すんません』
『ええてええて』
『そうやけど』
真っ青になってしまったまだ小学生の水上の足元にあったのは、自分の失態で割ってしまった、ガラスの表彰楯。それは師匠が子供の頃、はじめて将棋大会で優勝した時にもらった記念の――思い出の品だった。
だけど、彼は。
そんな懐かしくも遠い記憶をよぎらせながら水上は、狼狽と呵責をくっきりと男らしいその顔に浮かべた生駒のその面へとひたと視線をあてた。
「……世の好物は堅牢ならず」
「ん?」
「いえ、昔そう言われたことがあって。幼くして死んだ娘さんを惜しんで泣くご両親に贈った詩らしいねんですけど、世間好物不堅牢、彩雲易散琉璃砕、きれいな雲もすぐ散ってまうし、ガラスは砕ける。ええもんほど儚いもんやって」
きっと、と手の中に残った半片を水上はひょいと摘む。持ちなれない頼りなさ。
「だからきっとこれもそうなんでしょ」
もしかしたら役割を果たした言うことで、それが生駒の手によるものだとしたら。
――いっそ、羨ましい。
「やったらせめて新しいん買わせてーな」
「ええですて。部屋にあるん持ってくればええし」
「せやけど」
困り顔の生駒の分厚い手の中の割れた駒ごと水上は握り込む。
ええもんほど儚いのなら。
イコさんがくれる綺麗な気持もいつかはのうなってまうのかもしれんのかなあ。そんなことをつい考えてしまった。
そんなことがあった翌日。
「なんですかー、それ」
生駒隊みんなでケーキバイキングへと向かう道すがら、水上と一緒に最後に合流した海が生駒を指さした。正確には生駒本体ではなく、斜めがけしたメッセンジャーの、更にそこからぶら下がったキーホルダーだった。
言われて水上もぎょっとした気持ちでそれを目の当たりにした。
それはナスカンがつけられた、あの時割れた飛車の駒だった。おそらくはアロンアルファあたりでその断面をくっつけた。
「ああ、ええやろ。割れてもうた将棋の駒、転生させてみてん」
転生て、と隠岐が笑う。
「キーホルダー作りたい言うから、一〇〇均でもアクセサリーパーツあるでって教えてあげたんやけど、上手にこさえられたやん」
真織の言葉に、うんうんと頷いた隠岐は、「イコさんけっこうに手先器用やから」と続けた。
「どないしてん、水上。え、まさか、加工してもうて不味かった? 直して使うつもりだった、とか?」
隊の皆のやりとりの間、ぎょっと目を丸くしたまま凝視している水上に、生駒がおそるおそる訊ねる。はっと我に返った水上は「いやいやまさか」となんとか応じる。
「なんで持ってってええかなんて言うと思うたら、こないな手悪さするつもりやったのかと仰天しただけです」
「だってなあ、捨てるのもったいないやん。割れた言うたかて、刀で言うなら鍛え傷みたいなもんやなと思うて」
「鍛え傷?」と海が首を傾げる。
「そや。刀身を研ぎに出しとるとこうちょこっと線が引いたみたいに瑕が出たりすんねん。ちゃあんとしたやり方で打たれた証みたいなもんやで。美術品としては価値が下がるかもしれんけど、刀としての在り方はちっとも揺るがへん」
生駒はカバンからぶら下がってゆらゆらと揺れる、生駒旋空のように縦横無尽に盤上を駆け抜ける最強の駒を慈しむように見下ろした。
「こいつかて水上が長う使うとった末にお役目果たした健気な子ぉや」
えらいえらい、と生駒はその武骨な指先で撫でる。
「……かなんわぁ」
「ん?」
ため息のように思わず呟いた水上に、生駒はきょとんと目をぱちぱちとさせた。
「いいえ、イコさんやったらなんでも頑丈なんやろなあって話です」
みくびってました。
そうですね。
よきものだけでできたあんたなら、きっと。