チョコレイトとぼくたちのレシピ ぼくはね、と王子は紙袋の中身をテーブルの上に広げながら、しみじみと告げた。
防衛任務を終えて、作戦室には王子と蔵内のふたりの姿しかない。
「以前から思ってたんだけど、特別な日だということについては異論はないけれど、一年に一度のチャンスだということには異議ありって」
「ん?」
こちらも色とりどりの包装に包まれたひとつひとつにつけた付箋を確かめながら取り出していた蔵内は、含みのある物言いに少しばかり首を傾げて王子の言葉を脳内で繰り返す。と、自然にメロディーがそのフレーズに伴う。それはいままさに王子と共にテーブルの上に開陳されつつある、二月のスイーツ売上トップに君臨する甘いものに関する歌だ。
「ああ、歌の歌詞のことか」
「おやクラウチの重複表現はレアだね」
碧水色の瞳をぱっと輝かせながら王子はそんなことを告げる。
両親がこどもの頃くらいに女性アイドルグループによって歌われたバレンタインをテーマにしたその歌は、リリースから三十年以上経った今もこの季節になるとあちこちで流され、あまりアイドル―まして昭和―に興味がない蔵内ですらぱっと脳裏に蘇らせることができた。
競合曲があんまりないから年一で作詞や作曲の人は印税ガポガポでいいね、と指を硬貨の形を模してくすくす笑いながらそんなことを言ったのは確か犬飼だ。
「きみもそう思わないかい? 誕生日は言わずもがな、学園祭や体育祭みたいなイベントだってそれなりの口実になるし、なんなら二週間後くらいに場合によってはラストワンチャンがある!」
「卒業式のことか」
そうそう、と王子は頷く。
「ホワイトデーにはもう三年は卒業してしまっているから卒業式にお返しっていうのもありかな」
「だがそれだとかなり忙しくないか?」
「ん? クラウチってば勘違いしてないかい」
「何をだ」
「卒業式なんてそれこそ特別な日にお返しするのは特別な人だけに決まってるじゃないか。その他大勢ではなくて」
「それは、そうだな」
なるほどその「特別」の化身が言うのならば否やはない。蔵内は粛々と返礼のTODOリストを卒業式の日程から前倒しにすることを決める。幸い推薦が取れている身の上でスケジュールは融通できるので良かった、と思う。
「そういうことさ」
悠然と首肯する佳人に、だったら俺は再来週の卒業式には期待していいのかな、と喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。荒船犬飼神田の「同僚」兼同級生たちがこっそりと卒業生代表として答辞を読む時にどうなるかを賭けていたのを知っているからだ。なお、賭けの内容は泣く泣かないではなく、「送辞の途中で大号泣」「答辞を読み終えたと同時に落涙」「式の最初から嗚咽」だ。
おい。
もっとも。
(王子がそれを知ったら自分も賭けに乗るんだろうな)
柔らかい苦笑を口元にうっすらと剥いた蔵内に王子は「?」と小首を傾げる。
「いや、ランク戦の日にはさすがにどこの高校も卒業式を当ててこないんだな、と思って。星輪が日曜、六頴館が月曜」
「そして三門一高が火曜、と。さしもの未成年どころか義務教育中の少年少女まで個人事業主扱いで真夜中までこき使うボーダーとはいえ、それはさすがにね」
「辛辣だな。事実だが」
蔵内のいらえに我が意を得たりとばかりに王子は微笑む。
「さて、だったらデュエルしようか。これがきみの分」
「すまないな。じゃこっちはおまえに」
交換するように互いの前の、厳かに、あるいは愛らしい包装されたチョコレートであろうものたちの小山を押し出し、引き寄せ交換する。
「お、ピエール・エルメだって。このコ一年なのに奮発してくれてる~」
「味も一流だが、勇気ある夫人のロゴが美しいな、ゴディバは」
「きっと勝つのキットカットじゃん。受験に向けてかランク戦にあててなのか分からないけど、嬉しいよ」
「期間限定味のブラックサンダー? へえ、こんな味があるんだな」
「あとでぼくも味見させてくれる?」
「ああ」
「楽しみだ! さて、これは…へえ、鹿のやの羊羹いりチョコだってさ。和洋折衷だ。紅茶と緑茶、どっちが合うかな」
「どっちも楽しめそうだ」
「だったら両方用意しなくちゃ」
ひとつひとつパッケージを開いて、贈り主と「中味」を確かめながら丁寧にはじから並べていく。
「さすがは蔵内だね。気負わないでいい駄菓子系から高級チョコまで壮観だ」
「おまえこそ好みを心得たプレゼントで羨ましいよ」
「でもこの勝負は質より量だからね。我ながら野暮な判定法だとは思うけど」
王子はテーブルに肘をついたまま器用に肩をすくめながら、上目遣いで蔵内を見上げてみせた。
『蔵内くん、王子隊なんでしょう? もしよければこれ王子くんに渡してもらえるかな』
きっかけは去年の王子の誕生日の何日か前のことだった。蔵内のクラスの女生徒がそう言って手渡してきたのだ。
話を聞くに、以前警戒区域内に取り残された実家にどうしても取りに戻りたいものがあり、立ち入り申請をした時に護衛についてくれたのが王子だったと聞く。
『担当だから当たり前のことだって王子はたぶん言うと思うけど』
実際、後日それを受け取った王子はそう口にした。でも。
『だよね。蔵内くんだってそう言うと思う。でもあたしがそうしたいんだ。駄目かな』
『……いいよ』
蔵内はそれを受け取った。今年度で彼女は単身赴任している父親のいる少し離れた県へと引っ越すことが決まっていた。断れるはずもない。
『何を取りに戻ったか、聞いていい?』
蔵内の何気ない問いに、彼女は少し考えてから、小さな声で打ち明けてくれた。
それは小学校の時に、大好きだった従兄と三門神社のお祭りに行った時に買ってもらった、ペンギンのモビール。従兄が結婚してしまっても、その夏の思い出は彼女の部屋の片隅でゆらゆらと揺れていた。
第一次大規模侵攻の直後、いつ何時再びネイバーによる襲撃があるか分からない中、被害を受けた家から両親が持ち出せた私物の中にそれは入っているはずもなく、三年の月日は過ぎた。
『でもね、部屋から探し出して持ってきたのを見ても笑わなかったんだ、王子くん。それどころか、それ、いいねって言ってくれた』
素敵なひとだね、って言い添えた彼女に、蔵内が『そうだろう』と応じると、惚気みたい、と笑われた。
ともあれ、そんなやりとりがいつの間にか女生徒(そして極少数の男子生徒)の間でどういう形では分からないが噂となって拡がった結果、蔵内の手元に二月上旬を過ぎた頃から王子宛へとチョコレートが託される仕儀となったのだった。
『それならボーダー宛にって言えば良かったのに』
自分へのものと併せたチョコがあふれ出しそうになっているサブバッグを担いで生徒会室に現れた蔵内(当時副会長)に、そうにこやかに告げたのは、片っ端から嵐山隊への贈り物を「市民の応援の声は隊員への評価にも繋がるので、お手数で申し訳ないけどできれば本部に直接」と処している綾辻(当時書記)だ。
『きみのところは迂闊に呑めば台車でここと本部を往復する搬入業者みたいになりかねないけど、こっちは年一のことだし。それに、二カ月遅れのサンタクロースの真似事とでも思っておくさ』
そう応じた蔵内は、任務もランク戦もない二月十四日当日、経緯の説明ごと王子の家に甘い甘い贈り物を届けに行った。
結果、蔵内へととっておきの紅茶をふるまいながらも王子は喜ぶには喜んだが、たいそう憤慨したのだ。
『ずるい! ぼくもクラウチのモテの塊の実存をこの手に感じたかった! だったら来年勝負しよう』
『しょ……勝負?』
『ああ、ぼくも来年蔵内へのバレンタインを受け付けることを学校中に知らしめる。きみもそうしたまえ。そしてどっちがよりお互いの愛のかたしろを託されるに値する存在か競い合おうじゃないか』
だが、王子によるそんな素っ頓狂もとい奇抜もといオリジナリティに富んだ提案はある意味綾辻の杞憂にも対処できるものだった。そこで、王子と協議した上で蔵内が提案したある一定の条件を提示し――ホワイトデーのお返しのメッセージカードにその旨も記載した――、それは六頴館高校の生徒たちの間に共通認識として広がり、翌年二月十四日まで誕生日やクリスマスの贈り物が蔵内を悩ませることはなかったのだった。
つまるところカカオの香りに祝福された茶番やろが、と言ったのはその経緯を聞きかじったとおぼしき水上だったとか。なるほど彼にしてはなかなか風情がある言い回しじゃないか、と王子は爛漫と哄笑したものだった。
ともあれ。
「ぼくから言い出したことだからね、改めて、Tusen takk(トゥーセンタック)、クラウチ」
「ん?」
「ノルウェー語のありがとうさ!」
「なんでノルウェーだ? 三門大の第二外国語にあったか?」
「ははは、大学で習えるならぼくは近界の言葉を習ってみたいけどね」
でも残念ながら、と王子は愛らしいおとがいを肘をついた手の甲にちょんと乗せながら、続けてみせる。
「『遠征組』から聴くところによると、トリオン体では自動翻訳されるらしくて異世界の言葉を堪能するには生身になるしかないんだって?」
「ああ」
「となると、協定でも結ばれた治安の安定した近界の国じゃないと、か。楽しみだね」
無理、とは言わずに楽しみと言う彼に、蔵内もそうだな、と頷く。
そんな未来の果てがあってもいい。あって欲しい。
この、異世界によって傷を負った街の人間だからこそ望むことは許されるだろう。
「クラウチは」
「ん?」
「トリオン研に入るんだろう。きみがこれから深く学び、携わるトリオン技術の深化と進歩もきっと役立つね」
ぼくと一緒に行こう、とまでは彼は言わない。言わなくても、分かる。少しばかり驕ることを許されると思う。漂う甘い香りに免じて。
だから蔵内はただ静かに首肯するだけだった。
「ああ、そうそう、今年のチェスのグランドマスターがノルウェー出身なのさ」
と王子は謎解きにお手本みたいなウィンクをしてみせてから、改めてテーブルに麻雀の牌山のように置かれたバレンタインギフトを前に両腕を大きく広げた。
「さて、ところでクラウチ」
「なんだい?」
王子は片方の眉だけ器用に引き上げて、目をすがめた。
王子が決めたレギュレーション通り、大小高安は問わず、彼らがそれぞれ互いに託され、一つずつ突き合わされたギフトの個数は拮抗していたものの、ついに蔵内側の最後のひとつが差し出されても尚、王子の元には一個が残されていた。
「惜しいが俺の負け、だったな」
「形而下ではね」
王子こそが負け惜しみみたいに告げる。
「きっときみにはまだまだぼく経由では渡せないような、恥ずかしがり屋で引っ込み思案のファンがけっこういるに違いない! うん、そうだ。ぼくのクラウチがぼくよりモテないはずはないからね」
ふん、と鼻息も荒々しく王子は高らかに宣言する。
「そうだね~」
その時、開け放たれたままの作戦室のドアから、ひょい、と顔を覗かせたのは北添だった。
「あ、今日の射手訓練の教官はおまえだったか」
「そうそう。だから今になっちゃった。はい、これ」
北添はポケットから取り出したのは。リボンのかけられたものと、小さな薔薇のシールが貼られたもの――おそらくはチョコレートをふたつ。
「え、ゾエくんからぼくとクラウチに友チョコ?」
「違う違う。それなら影浦隊の作戦室来てよ。ヒカリちゃんが『モテねー奴らにも季節のお裾分けだ! アタシに感謝しろ野郎ども』ってお得意用のチョコの大袋を置いてくれたから。3キロもあるんだよ、すごいでしょ」
3キロものチョコレートの大袋を抱えてわざわざ本部まで来たであろう仁礼の様子を想像して蔵内は顔をほころばせる。
「業務用かな?」と王子は小首を傾げてから、だったらコレは?、と改めて問う。
「うん、蔵っちに、だって。昨日、王子が帰った後にふたり、一年生の女の子が教室に来てさ。友達同士なんだろうね、誘い合わせてって感じで。王子先輩やっぱりもういないよ~って廊下で困ってたから、きっと持ってくる勇気がなかなか出せなかったんだろうね」
だから経緯を察し、見かねた北添はそんな後輩の少女たちに声をかけたのだと言う。「どっち?」と。
サポートにも長けた立ち位置の面目躍如だ、と蔵内はその心遣いに感心する。
「本部に送るからいいですって言ってたけど、それじゃバレンタイン過ぎちゃうからね。いつ貰っても嬉しいけど、やっぱり当日のほうがお互いに悪くないとゾエさん思うし」
と言うわけで、蔵っちに追いチョコ置いておくね! と北添は告げると、ヒカリちゃんに全部食べられちゃう前に戻らないと、どすどすと早足で己の作戦室へと戻っていった。
「自分で持ってきて自分で平らげちゃう可能性があるのか。さすがハルニレだ」
コタツオペレーターがチョコをほおばる様子を想像してか、くすくすと王子は笑みをこぼし、それから、わざとらしくあーあ、と肩をすくめた。
「これでぼくの負けだね。なんてことだ」
わざとらしく嘆くポーズまで取る王子に、こほん、と蔵内は軽く咳払いすると、ふたつばかり増えた自分の前に並べたバレンタインギフトたちの中からこのイベントのアイテムにしては珍しく、王子の瞳のような青色の包装を施されたひとつに手を伸ばす。
「だったらこれはキャンセル、ということで。これで引き分け《ドロー》だな」
「あ」
蔵内はその青のパッケージに添えられたカードを引き抜くと、愛をこめて、という短い文面の下にしたためられた贈り主の名前のイニシャルを指先でなぞる。
K・O。
「こうして見るまでは思わなかったけど、おまえの頭文字はボクシングのノックダウンみたいなんだな。意外と気づかないものだな」
「どちらかというと、立ち入り禁止のほうがぼくは好みかな。……ところで小田和正や小野花梨みたいにKOがイニシャルの人間は三門一高にだってぼく以外にもいると思うけど?」
「あいにくだが、誰かさんが書いた字くらいかは分かるんだ」
分からないとでも思ったか、と紅茶色のインクで書かれた文字をもう一度愛おしそうに伝った。
「ダメダメダメ、もう受け取ったものだから返却は認めないからね! ノットクーリングオフ!」
「いや、やはり当事者が贈答に関わるかについてはルールに定めていないとはいえ、こういうのは牽強付会が過ぎる」
ぐい、と蔵内は王子へとその青い箱を押し戻す。
「そもそもレギュレーション違反だ。現物入り《・・・・》は」
きっぱりと告げられ、一拍の間を置いてから、しまったとばかりに王子はその花のような顔をしかめた。
「気がついたのは、それ、もだね」
「当然だ」
「なんだ、ぼくからだって気づいたのそれが理由じゃないか」
「さてな」
「きみのぼくへの愛に感心したところなのに」
開封され、机上に並べられたとりどりのパッケージたち。だがその中身は紙片だけ。例えばブランドチョコレートのギフトカードや、グルメチケットやカフェチケットやプリペイトカード。
王子と蔵内がオーディエンスへとお願いした条件。それは贈りたいチョコレートのギフトカードあるいは相当額の商品券のみ受け付ける、というものだった。そしてそれはすべて三門市内の児童福祉施設への寄付にさせてもらう、と。六頴館高校及び三門一高有志の名義で。
――だってとてもじゃないけどぼくもクラウチもみんなのあふれるほどの愛といえど簡単には食べきれないし。それに例えばゾエくんみたいなボディも魅力的だけど、換装体のデータとの差異が出てしまうといざという時の齟齬に困るかもしれないだろう?
愛は与えあうほどに豊かになるものさ。
王子は堂々と言ってのけたもので、蔵内を通じてそれを聞いた者も含めて今回はそれでも尚付き合ってくれた気持のいい人間たちからの贈り物は、口にしなくても蔵内の心を甘くしてくれたのだ。
それはそうとして。
「……ぼくからのチョコは欲しくないとはね。残念だ」
カードではなく、ショコラのささやかな重みでボロを出した王子はビスケット色の髪の毛をふわりと躍らせるように緩くこうべを振る。
「いや、欲しいに決まってるじゃないか」
「だったら」
問いを浮かべた碧玉の視線が蔵内へと向けられた。
「他の人からのプレゼントに紛れ込ませないで、ちゃんとおまえから俺に渡してくれないとイヤだ」
「クラウチ」
「引き分けになる前のかりそめの勝者の権利としてそれくらいは望んでもいいとは思うんだが」
「きみは意外と我が強いことだ。だがぼくの愛は百人の愛の中でもきみに届かないとは思わないけどね。……こうして見つけてくれたみたいに」
すると王子はぺりぺりとその包装を突然破き始めた。
「王子?」
「突っ返されたチョコなんて験が悪いし。ヤギの手紙じゃあるまいし、行ったり来たりするくらいなら食べてしまおう。きみのお望み通りホワイトデーに改めて、クッキーなりマカロンなり贈るとするさ。それでいいだろう?」
「三月までもったいをつける必要はないんじゃないか」
「戻したのはクラウチだよ」
ラッピングの下から出てきたのは、ホワイトチョコとダークチョコの二色で形作られた、丸い頭にずんぐりとした体形と短い嘴と、先の尖った短い翼とちょこんとした水かきを備えた、ペンギンを模したチョコレートだった。嘴と水かきはちゃんとイエローでレモンピールが使われているようだ。
「これは、ジェンツーペンギン、かな?」
カチューシャのような白いベルト状の白いラインが頭部にある細かい造形に感心しながら呟く。
「うん、ぼくもそう思った。これならクラウチも喜んでくれるかなって」
「?」
「ジェンツーペンギンはコウテイと違って、オスメス交代で抱卵するから、オスだけで長い間卵を抱いて絶食したり、その末につがいが戻ってこなくて雛ともども死んだり、メスと交代して海に餌を取りに行く途中で力尽きたりはしないからね。やだな、もうちょっと目が潤んでるじゃないか」
悪気はないらしく、目のふちを指先で押さえる蔵内を映した瞳を戸惑うように王子はぱちぱちとさせた。そして、一匹をひょいと指先で黄色い水かきの片方を摘まみ上げる。
「ふふ、可愛いよね」
「そうだな」
と蔵内が頷くと同時に、王子は逆さづりになったペンギンの頭部をもう片方の手の指ではさむと、
「あ」
「せっかくだからはんぶんこ。……泣きそうな眉になった。チョコレートは食べられるためにここにあるって言うのにクラウチときたら!」
胴体のあたりで容赦なくまっぷたつにしたペンギンの下半分を王子はテーブルの反対側から大きく身を乗り出すと、ぐいと蔵内へと突き出した。
「でも、きみらしい」
有無も言わせずとばかりに、王子の手によって蔵内の結んだ唇の間にチョコレート製のペンギンの成れ果てがさしこまれる。
体温を得て、唇に忍ばされたチョコレートはやんわりと柔らかくなる。王子の指先は更にチョコレートを口内へと押し込む。甘い香りと味が口腔へと広がる。
王子のそんな指の腹はついでとばかりに唇の弾力を堪能して、それから離れようとするのを、だが蔵内の手はとっさに捕まえた。そしてもう片方の手に残されたペンギンの残り半分を奪うと、今し方自分がされたように王子の唇のはざまに挟み込む。
クラウチ? と唇を封じられた王子が表情だけで訊ねる。
甘いカカオの結晶を呑みくだした蔵内はそのまま王子を引き寄せてチョコレートごと咬みつくみたいに彼の唇を自らの唇で覆った。
はんぶんだけじゃ物足りなかったのかい、と重なった唇で王子が囁いたようだったけれど、それには答えず、二月十四日に祝福された愛たちに見守られながら蔵内はひたすらに甘い口づけを味わった。
2025/03/05