つのあるきょうだい、つのるしんあい ミルクはなしで、砂糖はみっつ。あの頃気に入っていたコーヒーはもう飲めないが、文明の復興を機にゆっくりと、美味いコーヒーが生活の中に帰って来ている。その中でもSAIが淹れてくれたものが一番、スタンリーの口に合う。コーヒーソーサーに素っ気なく乗せられた、小さなビスケットも併せて。
「ああ、昔飼ってた虎の名前だよ」
「……虎?」
「そう、虎。龍水が小学生の頃かな、叔父様があの子の放蕩ぶりに手を焼いてお小遣いを減らしたことがあって……この話は聞いてる?」
「ちっとだけ聞いたことあんな。雲上人はやっぱちげえなって腹立った」
「うーん、まあ。否定は出来ないね……?でね、その後龍水は結局株だの何だの……結局やりたい放題して自分でお金を稼いでね?その時に連れてきたんだよ」
「全っ然分かんねえ。株と虎は関連性ねえだろ」
「ふふ、再建させたサーカスから引き取ってきたんだって」
「サーカスと株の繋がりも分かんねえ」
SAIとはスタンリーがロケットへ乗り込むことが決まった時に初めて話し、そこからぽつりぽつりと事務連絡とも情報共有とも取れる雑談を交わす仲が続き、こうしてコーヒーを挟んでテーブルを囲むようになったのはスタンリーが龍水と一緒に住み始めてからだった。「アンタの弟と一緒に住んでるよ」と言ったらひどく狼狽し、弟とスタンリーの性格の違いからルームシェアなど早々に崩壊する、止めておいたほうが懸命だと必死に訴えてきたので「アンタの弟とヤってるよ」と説明する羽目になった。それからのSAIはあの時の慌てようが嘘のように穏やかになり、どうにもスタンリーという同じ生まれ年で、性格も生まれも違う、腹違いの弟の選んだ男の恋人を、受け入れた末に義弟が出来たのだと結論付けたらしく何くれなく世話を焼いたり、龍水の昔話をしてくれたりする。スタンリーも昔話をしたがらない(正確には何の昔話をさせてもどうにも主観的部分を欠けているように思える)龍水の幼い頃の話を聞くのが楽しいので、同年の義兄に敬意を払って接している。例えば土産にSAIの好きな、スタンリーには甘すぎる焼き菓子を持っていくとか、あるいは彼の実弟の近況をそれとなく伝えるとか。
「分からなくても……嘘じゃないよ。虎の名前。ちなみにアイリーンじゃなくて愛鈴ね。中国生まれの女の子」
「そうかよ……」
クスクス笑うSAIは目を細めて「だから浮気じゃない」と言う。スタンリーは居心地悪そうにしながらも「ま、分かってたけどね」だなんて答えてみせる。
「そう?心配しない?世界中の老若男女が自分の恋人だなんて吹聴して回る軟派者だよ、龍水は」
「ガキの言うみんな大好きと変わりゃしねえだろ、アイツの恋愛観は。……七海のお家は情操教育どうなってんだ?百戦錬磨かと思って粉かけたら、バードキスすらこなせねえガキで騙された気分になったかんね、俺は」
「さあ?弟のそういう話、生々しいから気にしないようにしてたし」
「俺が苦労して生々しくしたんだかんね?」
「なのに寝言で出た女性の名前には動揺したの?君って案外可愛いね」
スタンリーが足を組み直す。ビスケットを齧り、コーヒーを一口。SAIはニコニコ、楽しそうに義弟を見てる。この穏やかな、優しい、一見良識のある男は、されど恋人と同じ家に生まれて育った、紛れもない雲上人でもある。博愛主義を御覧じろとばかりのアルカイック・スマイルには、スタンリーが恋愛に振り回される様を慈しむような傲慢さが含まれているに違いない。龍水と半分同じ血が流れているというのは、半分しか、とも、半分も、とも取れるのだ。そうして恐らく半分も同じ血が流れているならば、有象無象より余程彼に近いのだから。
「龍水には内緒にしておいてあげる。それとも内緒にしないであげたほうがいいかな?」
「……内緒で」
「いいよ」
SAIが目を細める、愛しそうに、優しく、穏やかに。その様は普段、隣にいる恋人の表情とよく似てる。スタンリーはコーヒーを一口。月に行く前は考えられなかったことだけれど、スタンリーは今、恋愛とこの兄弟にも振り回される毎日を謳歌している。