二日目の彼 千空は研究所へ、司は外交へ。数年会わない日々が続いて、やがて二人の関係性が過去になっていく。笑顔を作って世界を周り、過ごす日々がつまらなかったかと言うとむしろ真逆で、科学王国時代からしても仲が深まったゲンと肩を寄せ合って思い出話をするのも、五年の月日の間に丸く大人しくなったゼノが幼馴染との再会をきっかけにまた口数が増えたのも、普段は煙草をくわえて静観しているのに四人の中で一番喧嘩っ早いスタンリーに慣れていくのも、世界を石に変え、全てを奪い、けれど確かに司の妹を助けた機械生物と明日の天気のことを話すのも、司は楽しかった。何もかも分からない中で命を懸けていた冒険の日々よりは穏やかで、旧時代に生きていたころよりは治安が悪く、でもあの頃よりずっと愛に溢れ、優しい世界のひとつひとつに触れていく毎日が楽しかった。けれど晴れた日に移動のために乗った車の中で十年でも二十年でもこうしていられると思った時……思ってしまった時に、司はふと「ああ、千空に会いたいな」と気が付いてしまったのだった。千空に会いたいな、十年、二十年、彼と会わない生活を続けて過去の人になってしまうのが、何よりも嫌だな。真っ白なテーブルクロスに落ちた、ワインの染みみたいにその気持ちは残って、徐々に広がっていく。
千空に会いたいな。
千空と会い続けたい。
千空の過去になりたくない。
千空が家族だったら、いい、のになあ。
司にとって、家族とは最上級の愛である。自分の拠点、原点、帰るべき場所。世界中のどこにいても中心であるところ、それが司にとっての家族なのだ。
千空が俺の世界の中心でいてくれたら、いい、のになあ。
昼ごはんに出されたカルパッチョをフォークでつつきながら、考えた。家族になっちゃえば、いいんじゃないかな、うん。
・
「家族と言えば、カレーだよね」
いつに増してもにこやかな恋人の手には巨大な寸胴鍋。中身は分かっている。昨日千空がいそいそとベッドシーツを整えている時に、司が鼻歌をうたいながら作っていたカレーである。フランソワとSAIからスパイスの調合を教わり、海の幸、山の幸、珍味と具材の研究を重ね、辿りついたという司のカレーは陽たちの住む警察寮によく差し入れされるらしく、その味はなんと「めっちゃ美味いけど、なんだろ?結局おうちのカレーが一番だよねって味すんだよなー」らしい。なんだそりゃ。
「おー……カレー」
「うん。カレーと言ったら二日目だからね。昨日の昼から張り切って作ったよ。玉ねぎを炒めて、生姜と林檎ももすりおろして……蜂蜜も入ってるし……」
「昨日食ってねえんだから、そりゃ一日目のカレーじゃねえのか」
「一晩煮込んだんだから、二日目のカレーじゃないかい?」
「そりゃよく煮込んだ一日目のカレーだろ」
千空が言い切ると司はムッとして「二日目だよ」と小声で反論を続けている。だがそんなことも千空にはどうでもいい。どうでもいいというか、どうにでもなれというのか。
「それ、初夜の翌朝に抱えてくるもんか?」
「うん?」
寸胴鍋を抱えてきた司は裸である。もちろん千空も。ついでに言えば世界はまだ早朝だ。昨晩はお楽しみでしたねと庭の木の上で鳥たちも眠そうに鳴いている。何より起き抜けにカレーは三十半ばの胃には辛い。
「……昨日の夜の余韻とかねえのかよ」
「うん、良かったよ」
「あー、お可愛い笑顔で肯定されて嬉しいわー、はいはい、それベッドの中で言ってりゃ満点なんだがな?」
「でも千空もお腹すいてるだろう、昨日はたくさん運動したからね……♡」
「デレられても寸銅鍋邪魔で顔見えねーんだわ」
これが本当に見えないのだ。如何せん鍋がデカすぎる。それ容量いくつ?へー、20リットル?二人暮しの新婚夫婦が使う鍋じゃねえな、マジで。
「でも俺、ずっと思ってたんだ。千空と家族になれたら一緒に二日目のカレーを食べようって。家族の特権だろう?」
「いや、だからそれ一日目のカレーな。昨日俺たち何食べたと思ってんだ?」
「鰈の煮付け」
「そう、カレイな。なんでだよ、狙ってんのかよ」
「だって新婚祝いに大樹からいい鰈を貰ったから……」
「普通、結婚祝いに鰈寄越さねえんだけどな……」
「俺が千空と家族になったら、カレーが食べたいって言ってたからかもしれないね」
「ああ、もうごちゃごちゃになってんじゃねえか、そんでなんで大樹には言って俺には言ってねえんだよ」
ドン!再び音をたてて、寸胴鍋が置かれる。いや、新婚夫婦の寝室のサイドチェストに寸銅鍋を置くなよと千空は思ったが、もう今更なので何も言うまい。
「千空」
「お、おう」
「俺とこれからずっと、一緒にカレーを食べてほしい……」
「インド人もしねえわ、そんなプロポーズは……」
「だめ?」
「だめって言っても、もう出来てんだろ、20リットル」
そう、20リットル。カレーなら大体100人分くらいの量。
「……出来てる」
「全部は食えねえぞ」
「うん」
「二日目までだぞ」
「うん?」
「今日が一日目で明日が二日目だ」
「ッ!千空!」
司が抱きついて、千空はベッドに倒れ込む。嬉しい嬉しいと力いっぱいじゃれつく愛しい人に、千空も微笑む。これでカレーの匂いが部屋に漂ってなければロマンチックなのだが。
「じゃあ、俺着替えっから寸銅鍋とりあえずキッチンに戻してこい」
「うん、温めて待ってるね」
「いや、朝は要らねえ、夜食う」
「でも千空、夜はまた……その……するでしょう?おなかいっぱいだと、苦しいよ?」
「いやぁ……二日連続は体力的にちょっとキチィかなあ……」