皿に炒り卵、声に出して愛を 夜勤帰りの兄と、日勤に向かうための弟と、家のリビングではたと会い朝食を取る。これはありふれた光景だったし、二人とも案外この瞬間が好きだった。
「トーストでいい?ジャムがあとちょっとだから、俺はバタートーストにするつもり」
「ん。ウインナーある?」
「あるけど、夜勤明けでそんなに食べてお腹壊さない?」
「腹減ってんだよ」
「そう。まあ、兄ちゃんがいいならいいか」
電気ケトルが二人分のお湯を沸かす間にとテレビをつけたら、朝の情報番組が映る。賑やかな笑い声の芸人やタレントやアーティストがフリップに今おすすめのインスタントコーヒーの銘柄をぞろぞろ書いてコメントを見せ合う。幸志朗が「これ、このコーヒー!うちのと同じだね」と嬉しそうにテレビを指差し、あごをさすりながら堅志朗が「まあ、安いからなあ。売れてんだろ」と興味無さげに返す。その内にケトルが電子音を鳴らし、今しがた番組の中で紹介されたコーヒーが二人分カップに入れられて、丁度よく焼けたバタートーストと、洗わずに食べられると大きくパッケージに書かれたサラダが菜箸で皿に盛られていく。
「ウインナーはぁ?」
「あ、忘れてた」
「マジ?じゃ、焼くかあ」
「ありがとう。あ……たまごもまだあるよ」
「あー、本当じゃん。お前も食う?」
「スクランブルエッグなら欲しい」
「牛乳ないから炒り卵だぞ」
「甘いやつにして」
「ん。先に顔洗ってこいよ。時間なくなるぞ」
「はあい」
洗面所でバシャバシャ音がする間に、堅志朗はたまごを割る。みりんと砂糖を入れてほんの少しだけ醤油を垂らし、フライパンが温まっているか見るために上に手をかざす。
『お次の商品はこちら!フランス製の羽毛布団……』
テレビはいつの間にかCMになっていて、慣れ親しんだBGMをバックにテレビショッピングが始まった。陽気なニコニコ笑顔の男性が今どきのインテリア専門店ではついぞ見かけない古臭い花柄の掛け布団を紹介している。
『今ならなんとブルーのお色ももう一枚!』
「何枚追加されるかな?俺あと二枚!」
「『さらにさらにもう一枚!』」
「そぉ!それ!兄ちゃんモノマネうまいねえ」
前髪の濡れた幸志朗が、くふんと笑ってリビングに戻ってくる。堅志朗はタオルでよく拭けと促しながら、たまごを炒めていて、テレビ画面の男性は『さらに』と続けた。
『さらに今回は送料無料!オペレーターを増員して待ってます!』
「えっ、二枚だけ?」
「まじか、ケチだなぁ」
「なんか拍子抜けだね」
「あったらあったで要らないけどな、もう二枚とか」
「そうだけどー。なんでかな、不景気?」
「不景気だとテレビショッピングの布団も減るんだな」
菜箸でたまごを崩し焼きながら、終わってしまったテレビショッピングの話をしている。と、同時に幼い頃の羽振りの良かった頃のテレビショッピングと母の冗談も思い出す。
『これじゃ足りないわ、うちは四人家族だし……あら!四枚になるのいいわね〜買っちゃおうかしらピポパ!』
そう言いながら子どもたちのおもちゃの電話で、テレビショッピングが提示するフリーダイヤルに電話をかけるフリをする母。幸志朗は信じきって『新しいお布団!』と喜んで、堅志朗は『いらない!母さん、こんなのいーらーなーいー』と母を諭す。母は快活に笑って『冗談、じょぉだん!』とおもちゃの電話を置くのだ。どこにも繋がらない、おもちゃの電話を母さんが耳に当てる時はいつでもそうやってごっこ遊びをする時だった。むくれた俺たちの頬をつついて喜んで笑った。
(家族が減った時は、別に不景気じゃなかったのに)
おもちゃの電話は携帯やスマートフォンじゃなくて、昔ながらの黒電話を模していた。それでも、テレビショッピングでは掛け布団が一枚の値段で四枚買えたし、母と父がいた。
(……不景気で掛け布団が減っても)
そう、不景気でテレビショッピングの掛け布団が減っても関係ない、もう家族は減らない。堅志朗は炒り卵を弟の皿と自分の皿に盛り付けて、油を引き直しウインナーを二本、フライパンに乗せる。だから……だから景気が良くなっても家族も増えない。永遠にふたり。一生ふたり。
「幸志朗、ちょっとこっちこい」
「なあに兄ちゃん」
「ん」
「えー?朝から……」
「俺、今から寝るもん」
「しょうがないなあ」
唇に柔らかい感触。一生ふたり、永遠にふたり。
「兄ちゃんのすけべ!」
嬉しそうに幸志朗が言う。ウインナーの皮がぱちんと弾けて油を飛ばした。堅志朗は火を消して、もう一度、もう一度、もう一度とキスをした。