【アレクの話】碧落に願う碧落に願う
この戦いの日々が、いつの間にやら革命と言われたこれが終わったら、お前は何がしたい?
”大いなる厄災”と呼ばれる大きな月が闇を連れて太陽の代わりに空を飾る頃、焚き火ゆらめくいつかの夜。親友とそんな話をした。
それは一度だけではない。これから戦いに向かう夜、あるいは命からがら一つの戦いを終えた後。しょっちゅう、というほどではなかったけれど、時折、思い出したように。
人間と魔法使いと、同じ軍にいても部隊や役割が違っていて、規模が大きくなるにつれいつも仲間の誰かが周りにいた。宴や軍議が終わればそれぞれ個々に別の仕事が待っている。そんな中で不意に、時にはどちらかが意図を持って二人きりになった時。
そういう時間が必要だった。重たく尊い役割からはなれたただの友人としての時間が。彼はどう思っていたのかはわからないけれど少なくとも自分には。
そんな時話すことといえば、気安い、互いがまだ本当に幼かった頃の思い出話や、いまいる仲間たちの日常の中の小さな出来事。
普段は眉間に皺を寄せていることが多いファウストだけれど、酒が入ると色々なものが緩み柔らかな表情を見せる。焚き火の灯りに照らされて、陰影が揺れるその横顔はいつだってアレクを原点へと立ち戻らせた。
ファウストが、魔法使いと呼ばれるものたちが、隠れることなく、己を隠すことなくのんびりゆっくり暮らせる世界。そういう世界、そういう未来。
自分の村で始めたことが、こんなに大きくなるだなんて思わなかった。一歩一歩目の前のことをに取り組んでいったらここまで大きくなってしまった、と思うのは少しばかり無責任だろうか。
変わってほしいもの。道を切り拓けばその先にまた大地が続いていくように、終わりを感じることができない。本当に終わるのだろうか、終わりは来るのだろうかと不安に襲われることもある。
そういう時、この、となりにいる、唯一無二の親友の横顔を、笑顔を思い出した。
彼が、彼らが自分含めてみんなで笑って暮らせる世界が欲しい。
焚き火を見つめていた彼の横顔が上を向く。見上げる先には満月ではなく、月の光に照らされて今宵はその輝きを小さく見せている数多の星たちだ。
「そんな話、レノともしたな。レノには望みはないらしい。終わっても僕について来ると言っていた」
「あいつらしいな」
「無欲すぎて困る。レノはもっと望んでいいのに」
「本人からしたら、大きな望みなのかもしれないぞ」
誰かのそばにずっと。そんな願いが小さいはずないのに。ファウストは小さく首を傾げ、ぼくは、と言葉を続ける。
「僕は、旅に出ようかな。短い間だったけれど、学びを得た時間は尊かった。もっとたくさんのことを知りたいと思ったよ。それに、探したい人がいる」
「師匠だったか」
「うん」
アレクの小さく心を刺した言葉があった。それは、彼が自分達のそばを離れて旅に出ることではない、探したい人のことでもない。
「短い間……か」
「なに?」
「なんでもない」
一年、ファウストはアレクたちの元を離れていた。戦いが大きくなり、そして軍が大きくなるにつれ、己の魔法に、その知識に不安を覚えたからだと。周囲に魔法使いは少なかったし、仲間の魔法使いの中にもまともに魔法を学んだものもいなかった。知っていることが増えれば、できることが増える。そういう方法があるはずだと。
一年の期間を区切って、軍を離れる決断をした。旅に出て、どこかにいるであろう伝説級の魔法使いに教えを乞うのだと。
彼が魔法を極める間に、人間であるアレクたちは小さな戦いを繰り返しながら大きな戦いはなるべく避けて、協力者を増やしていく、そいういう期間とした。
そうして一年、あちこち飛び回ったのだろう、ファウストは確かに魔法の知識を得て戻ってきた。以前と何かが違う、それは気配でわかる。存在感とでもいうのか、まとう雰囲気がすこしだけ。
けれども見た目はアレクの記憶の中のファストのまま、ほとんど変わっていなかった。少しだけ、背は伸びたような気がする。体つきは、もとから細くはあったが鍛えてもいる、頼りなくはない薄さのまま。
そう、ほとんど、なにも変わっていなかった。
別れたときにはほとんど同じ目線であったが、そのときにはアレクがすこし彼を見下ろしていた。背が伸び、戦いと訓練で鍛えた身体には筋肉がついた。一年前まで着ていた服の丈や裾が足りなくなって、新調した自分とは違う。
時を止めたまま、あの日のまま。
変わらない。長寿の魔法使い、その片鱗を見た。
一年は長い、長かった。けれども彼は短いという。それは確かにそうなのかもしれない。体感などひとそれぞれ、同じ時間軸を生きる人間だって感じ方は異なる。けれども、それがこの、ほとんどあの時のまま時を止めた、自分とは全然違う時間をこれから生きる、いや、いままでもそうだったのかもしれないファウストの口から出た言葉にその違いを感じ、すこし寂しい。
俺を置いていくのか。置いていくのは俺なのか。
「俺は、村に戻って絵を描きたい!」
小さな棘を飲み込んだ、その痛みを表に出さないように努めてアレクは明るく言った。空を見ていた彼の紫眼がこちらをむく。目が合えば、呆れたように半眼になった。
「おまえ、それは無理だろう」
「だよなあ」
王という冠をつけてその座に戴くのはひとり。人間の王か、魔法使いの王か、という話題が戦いの日々に終わりの見えてきた昨今、軍の中で緩やかにのぼっていることをアレクもファウストも知っていた。
「おまえが出て行ってしまうなら、俺になるのかな」
軍の大将は、アレクということになっている。始めたのはふたりだった。それからずっと二人でやってきたから、古くからの仲間は二人を大将だと思っている。けれども軍としての規模が大きくなった一年の中、目に見えている大将は人間のアレクひとりだった。戻ったファウストは、自分達からしたら戻ってきた、という感覚だけれど、新しい者たちからすれば新顔とおなじなのかもしれない。そんな彼らが、何を望むのか。
「……魔法使いは、寄り添うくらいがちょうどいいんだ思う」
「おまえにそういうことを言わせない世界を目指したはずなんだけどな」
「僕は上に立つような者じゃない」
「ファウストに心酔してるやつらの名前あげてやろうか? 筆頭にレノ」
「いまだけだよ」
アレクは大きく息を吐いた。堂々巡りの問答もこの話題になればいつも繰り返される。柔軟さも得て戻ったファウストだけれど、こういう頑固として譲らない部分は変わらなかった。
「じゃあそういうことにしておくか」
むっとして言葉を続けようとするファウストを片手で制して、アレクは手にした木製の器に注がれたワインを飲む。
「そのこともあって、旅に出たいんだろ」
沈黙は正直なり。政治向きではないファウストが王になったら大変だろう、得意不得意でいえばきっと己はそれなりにやれる。王がどんなことをどこまでしなければならないのか、全てを知っている訳ではないけれど、けれどきっと。
「楽観的な俺に感謝しろよ」
「してるよ、いつも」
空になったアレクの器に向けて、ファストがワインのボトルを掲げてみせる。注がれるままに受け止めて、アレクは再び器に口をつけた。
そんな夜があった。
***
終わった。と思ったのは束の間だった。本当に、ほんの一瞬。最後の戦いだと思ったものが終わったその晩。"大いなる厄災"がその姿の全てをあらわにした満月の晩だった。
この国中で権力を持つものはそのほとんどがアレクたちの手に落ちている。これが最後おわったのだ。
そうして待っていたのは、これからのこと。今と、ほんの少し先だけ考えてきた日常が、これから、を考えていく日々に変わった。
ファウストにはなかなか会う時間を作れないまま、時が過ぎていく。たくさんの人間に囲まれて、毎日なにかを決めていく。時間はあっという間にすぎ、これならファウストの入った”短い一年”というものを実感できてしまうかも、なんて考えていた。
しばらくした後、ファウストが旅に出たと報告を受けた。
そうしたいと言っていた。その彼の願いを知っていたから、薄情なと憤慨はしたのだけれど、忙殺される自分に気を遣ったのかもしれないと考えれば納得ができる。そういうやつなのだ。けれど、深夜などに寝室としてあてがわれている部屋のベランダにでも箒できてくれればいいではないか。それができる力を持っているのだから。
もしかしたら自分が寝ている間に来て、起きなかっただけかもしれない。体力がありあまり早起きはするが、一度眠りに落ちればなかなか起きない自覚があった。
寝室に彼の置き土産でもないかと探してみたけれど、それらしきものはなにもなかった。
手紙くらい書けるだろ。
レノックスもついていったのだろう、穏やかな男だけれど、ファウストににて頑固者だった。譲らないと決めたことは、穏やかな様相のまま譲らない。意志という根を深く張り決して動かない大樹のようになる。
レノックスがそうなればてこでも動かず、彼の意志は揺れず、折れるのは自分達になるのだと、アレクもファウストも身に染みて知っていた。彼がそばにいるなら安心だ。
そういえば、仲間だった魔法使いたちの姿も最近見ていない。周囲の人間に聞けば、彼らもファウスト共に散り散りに自分達の在所にもどったという。戦いは終わり、望んだ未来がやってくる。ファウストもいなくなる、ならばここにいつづけることもない、と。
彼らの誰からも挨拶がなかったのはさすがし訝しくおもったが、その疑問は解消することになる。
人間と魔法使いの不和をもたらさんとするささやかな噂が、流れていたから。
仲間の中の魔法使いに裏切り者がいた。たしかに、人間と魔法使いの共存する国の王に、人間である自分がついたことを快く思わない者がいることはわかっていた。
話せばわかってくれたかもしれない。けれども規模も大きくなり、ひとりで全てを把握することが難しくなっていた。多くの人間も魔法使いも関わる中で、すべての者と心を通わせることは難しいと理解している。
まずは噂を否定し、拡大を防ぐこと。まだ人々の心が不安定な中、火種ともならないように秘密裏にそのものを捕らえよと命令したのは自分だ。
古くからの仲間たちは、アレクの立場とやるべきことを理解していたのだろう。仲間を捕える命令を出すアレクの心情も。人間と魔法使いの共存する国を任されたと思うことにした。彼らが健やかに暮らせるように努めるのが、自分の役目だと、身が引き締まる思いだった。
裏切り者の魔法使いは火刑に処されたという。アレクは牢に囚われたその者に会いにいくことすらできなかった。何を望み、なぜそんなことをしたのか。共存する、共和する、そのために仲間になったのではなかったのか直接問うてみたかった。
処刑の丘は禁足地となり、封印された。それをしたのは、城に残った数少ない魔法使いだ。彼は確か、ファウストが不在の一年のなかで仲間になった数少ない魔法使いのなかのひとり。
新しい者は残り、古い仲間はいなくなる。そこに寂しさを感じてしまうのは、仲間に優劣をつけているようで、心苦しいのだけれど、けれどもしかし、感じるものは仕方ない。心の中だけは自由なのだから。
懐かしんで絵を描いた。まだ記憶の中で色鮮やかな戦いの中、彼らとどうあったのか。
ファウストの帰る場所を、残しておきたい。いつかまた、学びたいだけ学んで、探し人を見つけて、おちついた頃でいい。それまでに俺は、お前がのびのびと暮らせる国を作っておく。
人々が、お前のことを忘れてしまわないように国の中にたくさんお前のことを残しておくから。
胸を張って、夢を叶えたといえる国を作っておくから。
また、お前に会える日を楽しみに待っている。