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    雑伊で小説を書いています

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    深夜に🍫を置いて帰るつもりの雑さんと風邪っぴきの伊くん

    『雑伊版深夜のワンドロライ』で書いたSSです(お題:看病、バレンタインデー)

    如月の贈り物おぼろげな月明かりが雲に隠され、墨汁を流したような漆黒の夜気だけが辺りに残った。暗闇に紛れた雑渡昆奈門は、しなやかな猫のように軽々と塀を越える。季節はまだ冬だというのに、何故だか暖かい夜だった。
    いつものように枝から枝へと素早く飛び移り、雑渡は学園内を進んでいく。梟すら寝静まる夜更け。やかましい事務員が駆けつけてくる心配は皆無だ。身を隠す必要などないのだが、人目を避けたこの道順はもう雑渡の巨体に染み付いてしまっていた。
    忍術学園に足繁く通うようになって、もうどれくらいが経つだろう。天井板をきしませぬようにゆっくりと前進を続ける。
    幼い忍たま達はぬくぬくと布団に包まり、鼻ちょうちんを膨らませたり、寝ぼけて友人を蹴っ飛ばしたりしているに違いない。保健委員長の彼もまた、自室ですやすやと健やかな寝息を立てているだろうか。彼の無防備な寝顔を想像するだけで、雑渡の心に暖かなものが芽吹く。例えるならば、梅の花が綻ぶような心地がした。
    しかし、今の雑渡が目指すのは忍たま達が寝起きする長屋ではない。きっと丑三つ時も近い今頃は、骨格標本がひとりで羽根を伸ばしている頃合いだろう。
    校舎の屋根裏を進みながら、雑渡は忍者装束の懐へ視線を向けた。菓子の小箱が無事であることを確かめると、つい口元を緩めてしまう。雑渡がこんな夜更けに忍び込んだのは、この菓子を医務室に置き去ることが目的であった。
    主君・黄昏甚兵衛が取り寄せた非常に珍しい南蛮菓子。殿からの信頼が熱い雑渡は、特別にその相伴に預かった。茶褐色で硬そうな見てくれに反して、ひと欠片を口に含めばもう夢見心地。口の中でとろけて広がる濃厚な甘さは、これまで舌鼓を打ってきたどんな高級な甘味だって足元にも及ばぬ美味であった。
    「その菓子はワシが南蛮から取り寄せたのだ!」と憤る殿を宥めすかして、なんとか分け与えてもらったというわけである。
    食べ物には頓着しない雑渡が天に登るほどなのだ。いつも陽だまりのような笑顔を撒き散らすあの素直な少年の口に放り込んでやったら、一体どんな顔をするだろうか?
    そう考えるだけで口布の下で「ふっ」と鼻息が漏れ出てしまう。現実にその笑顔を眺めてしまったら、きっと戻れない場所に行ってしまう気がした。だからこうして深夜のうちに医務室に忍び込んで、そっと机に置いて去るのが無難と判断したのだ。

    おおよそ医務室の隣室まで来た所で、雑渡は想定外の事態を察知する。医務室の中に人がいる。しかし、その気配は弱々しく、ごくわずかな動きしか感じ取れない。また、それは雑渡にとって馴染みが深く、暖かなあの気配に良く似ていた。
    天井板を外して逆さまに顔を出すと、雑渡が予想した通りの光景がそこに広がっていた。暗がりに響くのは微かな息遣い。呼吸の間隔からすると、寝入ってるわけではなさそうだった。
    「おーい、伊作くん。どうしたの?」
    「え……っ!?そのお声は……?」
    「うん、曲者だよ」
    「雑渡さん!?こんな夜更けにどうされたんですか?」
    布団に横たわっているのは、保健委員長の善法寺伊作であった。天井から音もなく飛び降りると、雑渡は布団の脇に横座りする。
    「それは曲者なりの事情があってね。伊作くんこそ、なんで今夜はここで寝てるんだい?」
    あえて理由を問うてはみたが、大方の予想はもうついていた。いつもは草花の香りを纏う伊作なのに、今は汗の臭いが立ち昇る。
    枕元の行燈に明かりが灯されると、ふんわりとした癖毛が額にぺったりと貼りついていた。
    「風邪を引いてしまったんです……それで……」
    同室の者に感染さぬように気遣ってのことらしいが、病人が自ら出ていくとは。医者の不養生とはまさにこのこと。雑渡は小さくため息をついた。
    「伊作くんらしいね。でも、もうちょっと君自身の身体も大事にしてね」
    雑渡がやんわりと嗜めると、伊作は「でも!夕方からよく寝たので、今はもう熱も下がったし……」と口ごもった。こんな強情さもまた彼らしい。
    「伊作くんが病気だと、私が悲しいでしょ」
    「ううっ、それは……。善処、します……」
    雑渡は「良い子だね」とさりげなく伊作の頭に手を伸ばすと、彼の言葉の通り熱はほとんど下がっていた。伊作は一瞬だけ身体を強張らせたが、すぐに力を抜いて雑渡の無骨な掌を受け入れ、くすぐったそうに目を細めた。彼と再会してからこの数カ月、足繁く訪れただけのことはある。雑渡の掌の感触を伊作はすっかり覚えていて、まるで飼い猫のように心地良さげに喉を鳴らした。
    「とにかく今は早く治さなくちゃ。じゃあ、私はこれで……」
    名残惜しさに後ろ髪を引かれながらも雑渡が立ち上がろうとしたところで、静かな室内にきゅるきゅると悲しげな音が響き渡った。
    「伊作くん、もしかしてお腹が空いてるの?」
    「……はい。夕方からずっと眠りこけていたので、夕飯も食べそびれてしまって……」
    恥ずかしさと情けなさが同居した顔で伊作はうなだれた。
    「これ、良かったら食べなよ」
    雑渡が懐から取り出したのは、例の菓子箱――ではなく竹筒とストローであった。
    「えっ?良いんですか?」
    その中身が雑炊だと知る伊作の瞳に喜色が浮かぶ。人に施してばかりで自分を蔑ろにしがちなこの少年のことだ。雑渡からの施しに遠慮を見せぬのは、非常に珍しいことだった。よっぽど腹が減っているに違いない。
    雑渡が大きく頷いて手渡してやると、伊作は夢中でストローをちゅるちゅると吸い上げている。食欲が湧いてきたのなら回復も近いだろう。
    「雑渡さん、ご馳走様でした……!とっても美味しかったです!」
    竹筒の中身をすっかり平らげると、冴えなかった顔色に生気が戻っていた。何とも幸せそうにふにゃりと相好を崩す伊作に、雑渡の胸は自然と鼓動が速くなっていく。よく見れば下ろした栗毛は汗で乱れ、寝間着の襟元はゆるくはだけていた。
    雑渡は自分が忍である幸運に心底感謝をした。頭巾から続く口布のお陰で、だらしがなく伸びた鼻の下を見られずに済んだのだから。
    雑渡は視線を外して咳払いをすると、平静を装って声色を整える。
    「ああ、それなら良かったよ。お粗末様でした」
    「雑渡さん、本当にありがとうございます!目が冷めたら夜中で、お腹がぺこぺこで泣いちゃいそうだったので……!」
    「うんうん。じゃあ、あとは朝までまたぐっすり寝なさい……と、そうだ」
    雑渡は懐から菓子箱を取り出すと、伊作へと差し出した。
    「これ、伊作くんにあげる。うちの殿が南蛮から取り寄せた珍しいお菓子」
    「えっ。そんな貴重なものなのに、僕なんかが頂いても良いんですか……?」
    「良いの良いの。お見舞いに受け取ってよ」
    伊作は細い指先で恐る恐る菓子箱を受け取ると、素直にぺこりと頭を下げた。
    「ありがとうございます!あっ、あのっ、雑渡さん!このお菓子……!」
    「うん、何?」
    ようやく雑渡の思いの丈に思い至ったのかと、雑渡が期待に胸を高鳴らせた時。
    「今すぐ頂いてもよろしいでしょうか!?」
    伊作の純朴さは時に雑渡に大いなる衝撃を与えるのだった。
    「伊作くん、まだお腹が空いていたんだね……。どうぞ、召し上がれ」
    伊作はいそいそと茶色い欠片をつまみ上げると、ぱくりと口に放り込んだ。
    一呼吸を置いて、潤んだ瞳が行燈の灯りを受けて輝く。滑らかな頬に赤みが宿ったのは、決して熱がぶり返したからではないだろう。
    ぱっと花咲くように表情を綻ぼせて、伊作は感嘆の声を上げた。
    「ん〜!美味しいです!こんなに美味しいお菓子は初めてで……口の中がとろけてしまいそうです……!」
    そう言う本人こそがとろけてしまいそうな甘ったるい笑顔。
    「……ッ!あ、ああ……。気に入ったなら……それは良かった……」
    うっとりと菓子を堪能する伊作を目の当たりにして、不屈の精神でぐらりとよろめきかけた己の理性を必死に支えた。こうなる事がわかっていたから、夜更けにそっと忍んできたというのに。
    そして、本来ならば伊作に教えるつもりのなかった、この菓子にまつわる南蛮の風習を語り始めていた。
    「ところで伊作くん。このお菓子ってさ、『ちょこれいと』って名前らしいんだけどね」
    雑渡がそのように前置きをすると、伊作は小さく首を傾げた。濡れた唇についつい目が行ってしまう。自分の邪念を振り払うように咳払いをして、雑渡は続ける。
    「南蛮ではこの『ちょこれいと』を如月の半ば、大切な人に贈る風習があるらしいんだ」
    伊作は目をしばたかせて、菓子箱と雑渡の顔を何度も見比べた。
    「そうなんですか?」
    「そうなんだよ」
    こんな遠回りな言い方では伝わらないではないか。雑渡が焦れったく思っていると、大切な少年は何やらそわつく様子でこちらを伺っていた。
    「じゃあ、雑渡さんもおひとつどうぞ!」
    「え……?」
    雑渡が面食らっていると、伊作は菓子箱の蓋をぱかりと開く。
    「この『ちょこれいと』は大切な人への贈り物なんですよね?だから、僕から雑渡さんにも差し上げたいです」
    もうそれ以上は耐えられなかった。雑渡は口布を下げて、菓子を摘んだ伊作の手首を掴む。
    「わっ、雑渡さん……ッ!?」
    細い手首をぐいと引き寄せると、茶褐色の欠片が床にぽとりと布団の上に落ちた。ずっと雑渡が味わいたくて堪らなかった柔らかな食感。とろけたチョコレートに伊作の味が混ざりあって、口の中で甘やかに広がっていく。
    「ちょ……っ、んん……ッ!」
    こくん、と喉仏が上下するとようやく我に返った。
    慌てて唇を離すと、目の前には瞳を潤ませた伊作の姿があった。頬だけでなく耳や首までも赤く染まっていた。
    ああ、やってしまった。明日からはより厳しい鍛錬に励まなくてはならない。
    「ん、絶品だった。伊作くん、ご馳走様……」
    冗談を口にするしかない雑渡は、口布を引き上げながら立ち上がる。
    しかし、そこで伊作が「あっ、あのっ」と声を上げた。
    「……お粗末さまでした。また、召し上がって下さいね」
    もじもじと恥ずかしそうに呟かれたその言葉に、布団の中からこちらを見上げる潤んだ瞳に、雑渡はくらくらと頭を揺さぶられた。
    これ以上会話をしていると気が狂いそうだった。雑渡は素早く身を翻して、天井へと飛び上がる。
    「……その風邪が治ったらね。くれぐれも、お大事に」
    一方的に言い放つと、雑渡はそのまま天井裏へと姿を消した。

    校舎の屋根へと踊り出ると、雑渡は淡い明かりに照らされた。頭上にはぼんやりとした朧月が漆黒の夜空に滲むように浮かんでいる。
    忍術学園を後にする雑渡は浮足立っていて、まるで羽根が生えたかのように身体も軽い。ふっと息を吐くと、口の中にチョコレートの甘い香りが広がった。ほとぼりを冷まそうと口布を下げると、緩やかな夜風が梅の薫りを運んでくる。もう春はすぐそこまでやってきているらしい。
    しかし、その翌日。如月らしからぬ麗らかな陽気に反して、雑渡が高熱を伴う風邪を引いたのは言うまでもない。
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