子供の嫉妬と悪い大人「雑渡さんとこうしてお茶を飲むのも、なんだかお久しぶりですね」
夜も更けた医務室への来訪者にお茶を淹れながら、伊作がそう言ったのは何気ない世間話のつもりだったのだ。
しかし、それを聞いた雑渡の三白眼は大きく見開かれる。最近の伊作は、頭巾と包帯で顔の大半を隠す彼の細かな感情の変化も読み取れるようになっていた。
「そうかい?先週もお邪魔したばっかりじゃない」
雑渡が不思議そうに首を傾げたので、言い出しっぺである伊作も頭を捻ってしまう。
「ええと、それは確かに……?」
言われてみれば、先週は保健委員のみんなで薬草を調合していていて、そこに雑渡がやってきたのだった。特に雑渡に懐いている伏木蔵を膝に座らせて、二人で楽しそうにすり鉢を擦っていたではないか。
「ああ、そうだ」
そこで雑渡がポンと手を打って、声を上げた。
「最後にこうして伊作くんとふたりっきりで話したのは、少し前のことだったかもしれない」
「あ……。そ、それは確かに……?」
最近、雑渡は委員会の活動時間中に姿を見せる事ばかりで、こうして保健委員長が残り仕事を片付ける夜の時間帯に足を運んでいなかったのだ。
「へぇ、嬉しいねぇ」
からかうような含みのある言い方をされて、伊作の頬がカッと熱くなる。茶碗に残ったお茶をぐいっと飲み干すと、慌てて弁明を口にした。
「いえいえ、そんなこと!最近は後輩たちのことも可愛がって頂いてありがとうございます。まさか、あなたが小さい子供がお好きとは意外でした」
しかし、なんだか妙な言い方になってしまった気がして、伊作は内心で冷や汗をかく。
「伊作くん。もしかして、私に嫉妬してくれてる?」
「いやいや!?そっ、そんなことは決してないです!」
「そう?ならいいんだけど、ちょっと棘がある気がしたからさ」
「そ、そうですか?確かに、少しだけ……。羨ましいなぁ、なんて思ったりはしましたけど……って、あははっ、何を言ってるんでしょうね、僕!」
ぽろりと漏れ出てしまった言葉を伊作は慌てて誤魔化そうとするが、静まりかえった夜更けの医務室に上ずった声が白々しく響くだけだった。ばつが悪くなった伊作がうなだれていると、柔らかな声がつむじに投げかけられる。
「ほら、伊作くん。ここにおいで」
伊作がはっと目線を上げると、目の前の巨躯にわずかな動きがあった。いつも部下から嗜められている座り方──横に流していた両脚をあぐらへと組み替えたのだ。それから左右の腿を両手でぽんぽんと叩いて見せた。
「あの……、雑渡さん……。それはどういう意味でしょうか……!?」
伊作が瞳をぱちぱち瞬かせながら問うと、包帯から覗く切れ長の目が弓形にしなった。
「そのままの意味だよ。私の膝に座らないか、誘ってるんだけど」
「なんで僕が雑渡さんの膝に!?もう、またご冗談を!」
「羨ましいって、そういう事じゃなくて?」
「違います!僕はもう十五歳で、もうすぐ忍術学園を卒業する身です。伏木蔵や乱太郎みたいに、まだまだ子供の忍たまじゃないんですよ」
まさか一年生達たちと同じ扱いをされてしまうだなんて。伊作の薄い胸の奥がちくちく痛む。
「君を子供だと思ったことなんて、ただの一度もないんだけどね」
飄々としながらも茶目っ気のある彼の声色に、ひやりと冷たいものが混じった気がした。
言葉を失った伊作が身を固くしていると、雑渡から「ふっ」と小さな鼻息が漏れる。口布の下で表情を緩めたのがわかった。
「それじゃあ、大人の伊作くんなら、私にお膝を貸してくれるかな?」
漆黒の忍者装束がいつの間にかこちらににじり寄っていた。
「え……?」
伊作の返事を待たずして、彼の重心は低くなった。まるで床に溶け出すような滑らかさで雑渡は仰向けに横たわる。そして、姿勢正しく正座していた伊作の膝へと後頭部を置いた。
「わわっ?ちょっと、雑渡さん!何をしてらっしゃるんですか!?」
慌てる伊作の膝の上で、三白眼が愉快そうに揺れた。
「私なんて、図体だけでかい子供だからね。大人の伊作くんに甘えてるんだよ」
笑い声にあわせて大きく上下する口布を眺めて、伊作は唇を引き結ぶ。
またもや雑渡にからかわれて、もやつく心に火がくべられた気がした。
「ははっ、ご冗談を。雑渡さんは誰がどう見ても、立派な大人の殿方でしょう?」
聴き慣れた自分の声のはずなのに、何故だか今はやけに低く響いていた。
「い、伊作、くん……?」
包帯の隙間から覗く三白眼が再び見開かれる。頭巾で覆われた口元へと、伊作は細い指先を伸ばす。露わになった唇は、息を呑んだままの形で固まっていた。
親指の腹でかさついた紫色の下唇を優しく撫でてやる。雑渡はくすぐったそうに目を細め、喉を鳴らして笑う。
そして、次の瞬間にはもう、伊作の首には包帯を纏った両腕が巻き付いていた。そのまま自身の膝へと引き寄せられて、伊作は柔らかに上体を崩してしまう。
「……ほら、やっぱり大人じゃないですか」
息と息が触れ合うほどの近さで、伊作は呆れたように声を上げた。
「うん、曲者だからね。子供の振りをして、伊作くんをたぶらかす隙を伺ってたんだ」
「ふふっ、悪い大人ですね。僕が本当に子供だったら、騙されちゃうところでした」
至近距離でひとしきり笑いあうと、二人はどちらからともなく唇を重ね合わせた。