側近マレリ×戦鎚マレびんの破滅航路 群雄割拠の時代、かつてこの国は世界を震撼させ、恐怖を撒き散らした大国であったが、後に内乱が起こり、崩壊。絶大な力は二つに分かたれた。一方はつかの間の楽園を求めて隠れ、一方はこの国に残った。それは償いなのか、執着なのか。いずれにせよ、かつてあった国は矮小化し、これまでの憎悪を一手に浴びる生贄になった。ある一族を除いて。
リヴァイはスミス家に拾われた孤児だ。マーレの血か、エルディアの血かもわからぬ風貌は何者にも好まれず、ガリガリに痩せてストリートに倒れていたところを、まだ子どもだったエルヴィンに見初められた。以来、リヴァイはスミス家に忠誠を誓い、今年で齢、三十五を迎える。スミス家に則り、リヴァイはエルディア人ということになるが、エルヴィンは不服そうだ。いつか、何者なのかを調べるべきだと何度も言う。しかしリヴァイにはそんなつもりはさらさら無かった。エルヴィンに拾われたあの時から、リヴァイの全てはエルヴィンのものだ。三十年近く自分を放置する両親や親族よりも、三十年もの間、真っ当な生活を与えてくれたスミス家に尽くしたい。リヴァイは、エルヴィンの右腕として生きる人生にとても満足していた。
エルヴィン・スミスという男は、この国の軍将校だ。はるか昔にこのマーレという国を救った英雄の末裔で、実質的に、この国の裏の支配者である。英雄の名に転がり込んできた莫大な資産と、内政へ干渉するに十分な地位と権力を有している。マーレの貴族であろうと、エルヴィンを無視することはできない。だが、実のところ、エルヴィン・スミスというのは、マーレ転覆を狙うテロリストであり内通者でもあった。
「この国は腐っている。痛みに酔いしれたマゾヒストたちが、それを大義名分として獣に落ちた。害獣は駆逐しないと。ありがたいことに、あと数年は生きていられるみたいだから、やれるだけのことはやってみるよ」
巨人継承の儀を終え、血溜まりを見て笑っているエルヴィンは涙も見せずに宣った。エルヴィンは「戦鎚の巨人」を継承する異能者だ。エルヴィンには二人の兄がいた。エルヴィンは次兄から、次兄は長男から、長男は父から、父は伯父から。脈々と受け継がれる呪われた能力は親殺しと同義だ。尊敬する兄二人を食らって、強大な軍事兵器と、スミス家の莫大な財産と権利、当主の座を受け継いだことになる。巨人の力を得るということは、余命宣告を受けるに等しい。エルヴィンは、老いることなく死んでいく。あれ以来、彼はこの国の全てを憎むように荒れ果て、同時にひたむきに働き、努め、他国と内通して祖国を弱らせていった。
◇ ◇ ◇
宵闇の中、整然と並ぶ豪奢な窓から月光が降り注いでいる。くっきりとした影が広く長い廊下へ落ちており、やけに明るい月がどこか寒々しい。首都の街にある広大な敷地を持つ屋敷の一画、長い廊下を渡った部屋から、甲高い男の喘ぎ声が漏れていた。甘ったるい、鼻にかかる声——冷たい空気が満ちる廊下で、小柄な軍人が立っていた。卑猥な音が漏れ聞こえる寝室を警護する姿は凛々しく、軍帽から覗く切長の瞳は、窓の月夜を見上げて光っている。
主人の寝室を守る兵士長 リヴァイは、天蓋付きのベッドが激しく揺れているのを想像していた。夕日に長く伸びていた影が闇に紛れて随分経つ。リヴァイは窓の月を眺めながら、月の光に似た金髪が乱れる様を考えていた。うざったいぐらいに高い男の嬌声に混じり、艶のある低い声が時折聞こえる。何を言うとも分からぬ聞き慣れた声が熱を孕んでいるという事実に、リヴァイはときめいていた。
どんなことを、どんな風にしているのだろう。きっと、想像している以上に卑猥で、淫靡だろう。汗にはりつく金髪や、熱に溶けて細められる碧眼、腫れぼったい唇から出る心地よい声。想像は想像に過ぎないが、頭の中の彼はリヴァイの言う通りに痴態を見せてくれた。
長く美しい手脚がシーツを掻く様は、きっと、この上なく淫猥だろう。
やがて、部屋の中は静かになった。
微かな足音の後、控えめに開かれた扉より青年が姿を見せる。名残惜しげに一言、二言、何かを話し、扉に手をかけたまま動かない彼は、少年とも見える若さだった。年端も行かない青少年。主人は、こういう若い男を好む。声変わりもまだなのか、女のように声が高い。
気色悪い。早く出て行けよ。
リヴァイは内心で毒づいていたが、微動だにしなかった。
「それでは、卿(サー)、またいつでも……」
漸く扉をくぐった青年は、閉まる扉の隙間を最後まで覗いた後、やっとリヴァイに気づいて跳ね上がった。「キャッ」などと悲鳴を上げ、腕にかけていた軍服のコートを落とす。リヴァイは思わず舌打ちした。
「すみません、驚いてしまって」
「かまうな。早く行け」
屈んでコートを拾い、青年に渡してやると、青年が、まだ充分にシャツのボタンも留めていないことに気づいた。ちゃんと着てから出ろよ、みっともねぇな、と思っていた矢先、青年は小さく笑ってリヴァイの肩に手をのせてきた。
リヴァイの目つきがさらに暗くなる。
「ずっと僕たちのエッチ、立ち聞きしていたんですか……?」
うっとりと、未だ熱に浮かされる瞳がリヴァイを覗き込む。仮にも国を守る兵士であるはずの青年が、まるで娼婦のようだ。目に着く男へ所構わず、声をかけるのだからもっとタチが悪い。リヴァイは下から青年を睨め付けると、肩の手を払い落とした。
「汚ねぇ手で触んな、クソが」
「恥ずかしがってるの? 僕、気になるなぁ……貴方の感想。僕の声、どうだった? 小さな巨人さん」
聞いてたのはお前の声じゃねぇよ。むしろ邪魔なんだよ、バカみたいにアンアン言いやがって、この売女が。
リヴァイの額に血管が浮く。
三日月のように細められた目は、得体の知れない化け物のようだ。性懲りも無く、再びリヴァイに触れてこようとする手をリヴァイは見逃さなかった。汗に湿る、細い手。爪に滲む血は、“彼”の背中を掻いた痕か。ただでさえ、彼の性欲という施しを受ける立場のくせに、なんたる狼藉だろう。
その肌、肉、骨の一片まで洗い清めて海に捨ててやる。
「————リヴァイ」
扉の向こうからリヴァイを呼ぶ声が聞こえた。青年とリヴァイの手が止まる。弾かれるように振り向いたリヴァイは、すかさず扉を押し開いた。「あ」と青年が何か言おうとして口を開くが、僅かな隙間から滑り込んだリヴァイは、後ろ手に扉を閉め、ガチャリと内鍵をかけた。
部屋の中は薄暗く、壁に備えられた小さなランプだけが灯っていた。統一感のある落ち着いた色合いの家具は必要最低限に誂えられ、天蓋から薄布が降りるベッドは見事な意匠が凝らされている。その中で、リヴァイの主は腰掛けていた。薄明かりに浮かぶ彫刻のような肢体は肌をさらし、油断なく整えられていた金髪は蒼い瞳にかかっている。膝に腕を乗せ、一切を纏わぬ裸体で堂々と脚を開いている姿を、リヴァイは見つめた。
「……リヴァイ」
エルヴィンはもう一度、リヴァイを呼んだ。低く、どこか疲れがみえる掠れた声に誘われて、リヴァイはエルヴィンの前へ歩を進めた。
エルヴィンがリヴァイを見つめ、顔を上げる。さらりと動いた金髪から、胡乱げな碧眼が覗き見えた。リヴァイは、臆せず邪魔な金髪を指先で拾い、元あるところへ撫でつけてやった。瞳と目があう。どうやら、エルヴィンは機嫌が悪いらしい。
「まったく、いつまで経っても趣味が悪ぃな、お前は。あんな奴のどこがよかったんだよ」
「…………」
「湯を張るから布団に入ってろ。窓、開けるぞ」
何度か髪を撫でつけたリヴァイは、そう言いながらも両手で頭をはさみ、エルヴィンの背中と首筋を覗き込んだ。血の痕が残るそこから、シューシューと蒸気が昇る音がした。舌打ちするのを堪え、リヴァイは手慣れた手つきでエルヴィンをベッドへ押し込んだ。シーツをめくり、踵から足を掬いあげると、エルヴィンは抵抗もなくベッドへ収まった。腰に枕を添え、さっさとエルヴィンから離れたリヴァイは、薄いカーテンを豪快に開き、窓を開けて浴室へと向かった。金色の蛇口を二つ同時に捻ると、すでに熱されているボイラーから熱湯が飛び出し、もう片方からは水が出た。猫足のバスタブへ軽く腰を引っかけ、湯温を確認していると、再び「リヴァイ」と呼ばれた。
颯爽とベッド端へと戻れば、エルヴィンは空っぽの指先でタバコを吸う動作をし、リヴァイへ唇を突き出した。
「た ば こ」と、口が動く。「……ったく」と、小さく呟き、ベッド横の引き出しから革張りシガーボックスを取り出し、リヴァイは葉巻を一本摘んだ。これまた慣れた手つきでシガーカッターを取り出し、カシャンと先端を切って咥えると、マッチを擦った。薄暗がりに、隈の濃いリヴァイの瞳が煌めく。小さな口でスパスパと煙草に火をつけたリヴァイは、紫煙を揺らしてエルヴィンへと差し出した。立てた膝に頬杖をつくエルヴィンは、さも満足げに微笑むと、そのまま「あーん」と口を開いて咥え、やっと指で持った。まるで餌をねだる雛鳥のようだ。エルヴィンは葉巻を深く吸い込むと、脱力して天蓋を見上げた。
「……今日のは、ハズレ、だった」
エルヴィンが漸く口を利いた。リヴァイはベッド端へと腰掛け、安堵感から肩を落とす。不機嫌は直ったようだ。その原因にも察しがつく。
「声も耳障りだったし、締まりも悪い。ベタベタと触れてきて気分が悪かったよ。おまけに次の約束を取り付けようとするんだ」
「だから最初に言っただろ。野心が見え見えの奴だって。人の話を聞かねぇからそうなる」
「怒った顔がよかったんだけどなぁ」
「……なら余計に“今日”じゃなかったな。悦ばせてどうすんだよ」
大きく紫煙を吸い込み、再び吐き出したエルヴィンはこめかみを指先で揉みながら目を閉じた。
「怒った顔が、お前に似ていた」
リヴァイはエルヴィンを振り返った。
「そう言ったら、お前、どうする?」
煽るように口端をあげ、うっすらと瞳を開きエルヴィンは笑った。顎を軽く持ち上げる所作も、長い指に葉巻を挟んで気怠げな姿を見せるのも、全て計算されている。リヴァイは舌打ちしてエルヴィンを睨んだ。剥き出しの胸筋や張り出す首筋の凹凸に視線が移りそうになる。舌打ちを聞くや否や、エルヴィンの微笑みは立ち消え、真顔に戻った。
「……どうもしねぇよ」
「嘘をつくな」
「試すような言い方はやめろと言ってる」
厳しい物言いのリヴァイに「やれやれ」と首を振ったエルヴィンは、そのまま視線を外し、再び葉巻を咥えた。
「……つまらん」
リヴァイも立ち上がり、エルヴィンへ背を向けた。何がつまらない、だ、この節操なしが。こっちは必死に興奮するのを隠してるっていうのに。満足できなかった夜は、必ずと言っていいほど色気むんむんでリヴァイを誘ってくる。リヴァイはさっさと浴室に戻り、湯の状態を再確認すると、再びエルヴィンのベッドへ戻り、掛け布団をめくってエルヴィンの腕を引いた。
「もう風呂に入って寝ろ。臭いんだよ」
「お前はいつになったら俺に抱かれるんだ?」
エルヴィンの葉巻を取り上げると、のっそりと全裸で立ち上がったエルヴィンは、リヴァイの顔に紫煙を吹きかけ、飄々と言った。げんなりする。リヴァイは努めて冷静に声を抑え、エルヴィンを浴室へと連れていった。
「お前がそう思っている内は、あり得ない」
「なぜそう思う」
「…………」
その先は言葉にならなかった。しかし確信があった。この男は、どんなに苦労して手に入れた物でも、その手の中に収まったら最後、一切の興味関心が失せる。だから、リヴァイはエルヴィンに抱かれるわけにはいかなかった。
湯気が立ち上る湯船へとエルヴィンを押しこみ、再びエルヴィンの口へ葉巻を咥えさせると、リヴァイはため息をついた。
「……湯、かけるぞ」
手桶を引き寄せたリヴァイはゆっくりとエルヴィンの金髪へ湯をかけはじめた。
続く