vault(FO76モーガン+ベネット、ボルト時代の話)この施設は、白い棺だ。
俺は、生きながらここに埋葬されている。
アラームの電子音で、浅い眠りから目を覚ます。低い天井が、視界の先を遮った。
上手く呼吸ができない。
朝日も届かない狭い箱の中で空気は澱み、
相も変わらず息苦しい。
体に張り付くボルトスーツが、それに拍車をかけていた。
起き上がろとうとする体は重く、鉛の様だ。
洗面所へと足を運ぶ。
1日に使用される水量は制限されている為
ごく僅かな水で顔を洗い、髭を剃り、
鏡を見た。
新しい髪型だった、まだ見慣れない。
刈り上げた部分に入るラインを撫でた。
valtに入って間もない頃、理髪の資格のあるご婦人が今の流行りと気を利かせて散髪してくれたデザインだった。
見た目を変えれば気分も変わる。婦人はそう呟いた。
だが、髪型くらいで何が変わるというのだろう。
じっと鏡を見つめる。
この箱に閉じ込められて何日が経った?
今、地上はどうなっている?
俺はこんなところで一体何をやっている。
疑問が浮かび、ちりちりと胃を焦がす。
鏡の中の自分と目が合った。
不快感が込み上げ、嗚咽と共に胃液を排水口へと垂れ流す。
頭蓋を揺らす耳鳴りが、鐘の音のように鳴り響いた。
口内の酸っぱい臭いと共に、項垂れた頭の中でフラッシュバックが起きる。
ウエストバージニアの美しい大地。
そこに暮らす、美しく聡明な黒髪の女性。
彼女とは小さな時から共にいた。
彼女が少女から女に変わるのを見届けた。俺の唯一の宝だった、そんな優しい妻の微笑み。
それを、俺が台無しにした。
核の落ちた世界でひとり。
割れた大地の上で妻はもがき苦しみ蹲る。髪を掻きむしり血を吐き、地獄の亡者のように血走った目で俺を睨む。
思考がぐるぐると螺旋を描き、けたたましい女の悲鳴が聞こえる。
ああ、俺が妻を見捨てたからだ。
俺を呼んでいる。早く来いと。
直ぐに行ってやらなければ。
ぐるん、と自動的に眼球が剃刀の方角へと転がる。
ダメだ。強度の妄想に慌てて手を伸ばし、安定剤の小瓶を掴むと、ひと息に中身を貪った。
蛇口を捻り掌に掬った流水ですべてを飲み干した。
どっと冷や汗が出た。衝動は過ぎ去ったものの動悸はいっこうにおさまらない。
こんな朝があとどれだけ続くのだろうか。
妄想が悪化するのは決まってひとりの時間だった。早くホールに行った方が良い。
俺は洗面所から真っ直ぐに食堂へと向かう事にした。
まだ夢か現か分からないまま、薄いスープをひと匙すくい思考を巡らせる。
『なるべく以前の得意分野に携わった方が良い』
若い女性の監督官にそう言われ、俺は民間出身者らの戦闘訓練を担当することになった。
苦しむ俺を見る彼女もまた悲痛な表情を浮かべていた。皆、何か重い荷物を抱えて此処に閉じ込められているのかもしれない。
食堂は朝食の時間という事もあり、
色々な年齢層の者が既に集まっていた。
壮年から少年、人種も様々だ。
中には母親と幼児までいる。
髪を結っていた。まだ乳離れしたかもわからない幼子。
隣に座る細くやつれた母親は黒髪で、妻を思わせた。
再び酸っぱいものが喉にのぼり、視線を外す。
簡素な食事が済み、ようやくいつもの調子を取り戻すことができた。
今日は10時から狙撃訓練を控えている。
腕に携えたピップボーイのつまみを捻り、今日の生徒の名前を確認した。
「ベネット・シモンズ…20歳。
エンジニアか。」
添付されていた写真を見る。
青白い顔の青年だった。
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訓練施設に行くと、時間ちょうどに「生徒」は姿を現した。
体躯は中肉中背。整った顔立ちの眼鏡をかけた青年だった。
だが表情は乏しく、どこか虚な目をしてい る。灰色の曇りガラスのような瞳をこちらに向け、軽く頭を下げた。
「俺はモーガン・スミス。元は陸軍に従事していた者だ。今日から君の戦闘訓練を担当する。よろしく頼むよ、ベネット君」
彼ははい、と返しただけで再び視線を俺から外す。俺…というか訓練自体に興味がないと言った風だ。専門職特有の人嫌いだろうか。
反抗の姿勢がないだけマシな方だな。
そんな事を考えながら俺はトレーニングナイフを彼に手渡す。
「これは訓練用のナイフだ。
まずは君がどれだけ動けるのかが見たい、どこからでも良いから俺を悪漢だとでも思って切り付けてみてくれ」
「わかった」
た、の言葉を聞く方が早かっただろうか。
その男、ベネットは俺の方へと一歩踏み込むと
刃を模した丸い先端を思いきり俺の鼻先へ突きつけた。
完全に、油断していた。
間一髪で後退り、俺は反射的にベネットの手を払う。
からんからん、と乾いた音を立てナイフが床に落ちた。
「ッ、何するんだ…!!」
「…?
…どこからでも良いって言ったから。」
怒声を上げる俺に対し、心底不思議に首を傾げ、抑揚のない声で言い放つ。
年齢以上の幼さを感じ、眉を顰めた。
こんな者に銃器を渡して大丈夫なのだろうか。
不安が頭をよぎるが、ボルトの職員だって馬鹿では無いだろう。ここにいる以上幾らかはまともな頭の持ち主の筈だ。
頭を切り替え、俺はナイフを拾いあげた。
「ベネット君、言葉が足りなくてすまなかった。どこからでも切り付けて良いのは、俺も防御の姿勢をとってからだよ。」
「うん」
うんじゃない。
間の抜けた返しに肩が持ち下がる。気づかれない様溜息を零し、俺はナイフをカウンターへ置いた。
「次は狙撃訓練だ。
そうだな…今日は銃の持ち方を覚えて貰うだけで良い。ゆっくりと頑張っていこうね。」
子供に言い聞かせるように、優しく伝えた。ゆっくり頑張りたいのは俺の方だった訳だが。
先程の行動を考えると、この男にいきなり実弾を撃たせるのは不安がある。
ベネットは銃を受け取り、空に銃口を向け構えた。
存外、構え自体はだいたい形になっている。ベネットは知ってる、とでも言いたげに俺を見た。
「上手だね、誰かに教えて貰ったのかな。でも、腰をもう少し引いたらもっと楽に撃てるよ。」
一歩近付き身体を屈めて背丈を合わせる。
腰に軽く手を添え、視線を隣の男へと下げる。
彼は、目を見開いていた。
瞳の曇りが急に剥がれ落ち、すっと息を飲み込むのがわかった。
肩を縮め身構えている、まるで殴られるのを怖がる子供のようだ。
成人した者の反応では無い……
咄嗟に体を離した。
「すまない」
慌てて謝罪を声に出す。
おそらくこの男にも「何か」がある。
監督官のように、俺のように。
直感だ、根拠は無い。だが奇妙な確信があった。
「…大丈夫だ。」
開いてしまった底無しの箱を閉じたくて、
なるべく穏やかに言葉を紡ぐ。
「大丈夫だよ。
ここにはもう、何も無いから。」
なぜ、そんな事を言ったのか自分でもよく分からない。
先に出た答えの理屈を導き出そうと、俺は思考を巡らせる。
このボルトには、何も無い。
俺の妻も思い出の地も、所属していた軍もかつての友もいない。
いるのは同じ青のラッピングを施された、箱詰めの人員だけだ。
だが、きっと目の前の青年を脅かすものも、
この地下室には入ってこれないのではないだろうか。
そう考えてしまうのは、自分の気休めに他ならないが。
ベネットは、再び「うん」と答えた。
瞳は再び曇りガラスの色を取り戻す。
表情は無い。
それを見届け口角が僅かに弛んだ。
俺の住む棺桶の名前はvalt。
本来は人を守るシェルターだ。
俺にとっての棺桶が、誰かにとっての砦になるなら。
屍の俺が生き続ける意味も、きっとここにはあるのではないだろうか。
俺はボルトの天井を見上げた。
銀色の空が少しだけ高く俺の頭上に広がっていた。