「おーい! 誰かいませんかー!?」
「無駄だって言ってんだろアッシュ」
ユーリスは冷静に室内を見回し、はぁ、と溜息を吐いた。埃臭い武器庫の中には、ガラクタ同然の壊れた槍や錆びた剣なんかが雑多に置かれている。先ほど魔法で灯した燭台も、蝋燭がちびていていつ消えるか分からない。アッシュは開かなくなってしまった扉に縋って、なおも大声を張り上げている。
「誰か、助けてくださーーい!」
「うるせえってば。夕食の時間が過ぎれば、お前を探して誰か来るんじゃねえの? ああ、そうでなくてもフェリクスかディミトリあたりが、食後の鍛錬をしに来るだろ」
「だから、それが問題なんだってば。夕食が終わっちゃう。僕、お昼から何も食べずに武器を磨いていたから、もうお腹がすいて……」
きゅう、とタイミングよくアッシュの腹が鳴いたので、ユーリスはぶはっと吹き出した。制服の上から自分の腹を押さえ、アッシュは顔を赤らめる。
「昼飯抜きで作業たあ、あの先生もひでえこと言いつけたもんだな」
「違うよ。先生に言われた当番じゃなくて、これは騎士の人に頼まれたんだ」
「はあ? お前、また体よく雑用を押し付けられてたのかよ。手伝って損した」
「そんな言い方……」
眉尻を下げ、アッシュは武器庫の中を見て回るユーリスを目で追いかけた。コツ、コツ、と彼のブーツの音がやけに大きく聞こえる。
手入れを終えた武器を、ここに仕舞うまでがアッシュの今日の仕事だった。使い込まれた剣を研ぎ、槍を油で磨き、弓の弦を調整した。途中で通りかかったユーリスにからかわれながら(そして、少しだけ手伝ってもらって)、やっと仕事を終え、武器庫に全て運び終わった時。後ろでギィと扉が軋んで勢いよく閉じて、ほとんど同時に外から何かが崩れる音がした。直観的に、外に置かれていた樽が崩れたのだと理解した。誰が置いたのか、中に何が入っていたのかは分からないが、いくつかの大きな樽がすぐ近くに積まれていたはず。嫌な予感は的中した。武器庫の扉は、悪い具合に引っかかってしまったらしく、それきりいくら押しても開かなくなってしまったのだ。
「せっかくだ、何か掘り出し物でもあるかもしれねえ。見てみるとするか……」
「ま、待ってユーリス……あんまり奥に行かないで」
「あ? なんでだよ」
「それは……ええと、扉から離れたら、助けが来た時に分からないかも」
「平気だろ、んな広くねえし」
「いや、でも……」
ふと隙間風が吹き込み、燭台の炎が揺れる。ユーリスの影が壁で踊り、アッシュはびくりと身を竦ませた。
「ひゃ……!」
「……アッシュ、お前……もしかして、暗いのが怖いのかよ?」
「ううっ……!」
図星だった。いや、正しくは、狭いところが苦手なのだ。おまけに暗いとあっては、その影に何かがいたら……と想像してしまう。そんなもの、いるはずがないと笑い飛ばす人もいるだろう。けれど、怖いものは怖い。
アッシュはちらりと武器庫の奥に目を走らせた。燭台の炎の灯りが届かぬ棚の向こう。あっちに、誰かがいる気がする。いや、いたらどうしよう。それが、生きた者でなかったら?
「ゆ、ユーリスは……」
また、きゅうと腹が鳴りそうになり、ぐっと押さえた。この空腹も厄介だった。腹が痛み、そしてそれを感じなくなるほどの空腹を、アッシュは知っている。寒くて、暗くて、狭い場所に潜り込み、弟妹と身を寄せ合い、空腹に耐えるしかなかったあの日々。心細くて悲しい、嫌な記憶が、ドキンと心臓を大きく脈打たせる。
「ユーリスは、怖くない?」
「……全然」
化粧の施された美しい顔が、アッシュを一瞥すると、武器庫の奥へとコツコツ歩いて行ってしまう。ユーリスが言う通り、ここは狭い。だから離れても、すぐ近くにいるのも同じはず。なのに、どうしてこんなに彼が離れていくのが嫌なんだろう。アッシュは迷ったが、扉にもう一度手をかけた。びくともしない。耳をつけて、誰かが来ていないか、気配を感じようとする。足音ひとつ、話し声ひとつ聞こえない。目を閉じた。
(ああ……今日の夕ご飯、デザートは何だったのかな……桃のシャーベット、切り分けたブルゼン、それとも……)
ぐうう、と、腹が文句を言っている。冷たい扉に額を押し付け、アッシュは心細さに蓋をする。弱気になってる場合じゃない。自分の力でなんとかしなくちゃ……!
「おい」
そう、気を取り直そうとしたとき、温かな手が肩に触れた。
「何か聴こえるか?」
「えっ……う、ううん」
ユーリスが、アッシュの後ろから覆いかぶさるようにして体を寄せ、扉に片手を触れさせた。アッシュと同じように耳をつけ、外の音を聴こうとしている。その端正な顔立ちが、至近距離まで近づいて、アッシュは目を瞬かせた。
(ち、ち、近いよ、ユーリス……!)
改めてまじまじとその顔を見ると、ユーリスの顔は男として整ってもいるし、美女と間違えてしまいそうな美しさも併せ持っている。率直に言って、彼は綺麗だ。アッシュはつい、ぼうっと見惚れてしまった。燭台の炎が揺れて、彼の顔に落ちた影を揺らしても、恐ろしくない。
「……アッシュ」
「うん……?」
「……あんまり見てると、金、取るぞ?」
「……!?」
目の前で、美しいユーリスの顔がにや~っと笑った。紅のひかれた唇が笑みの形に歪んでいる。肩に触れていた手が、いつの間にかアッシュの頭に移動して、髪を掴んでいる。あっ、と思った時には、目の前がユーリスの顔でいっぱいになっていた。
「そこに誰かいるのか!?」
ガタン、ガシャン……!
「せ、先生! 助かりました!」
やっと二人が外に出られたのは、それから間もなくのことだった。案の定昼食にも夕食にも表れなかったアッシュを心配して、担任教師であるベレトが探しに来たのだ。
「やっと出られた……! ひどい目に遭いましたよ……」
「ん~? 言ってくれるじゃねえか、アッシュ」
「……ユーリス」
顔を赤らめたアッシュが横目で睨んでも、ユーリスは涼しい顔だ。
「ま、これでお前も、暗闇なんかより生きた人間の方が怖いってことが身に沁みて分かっただろ。俺様に感謝しな」
「……? とにかく二人とも無事でよかった。アッシュ、夕食を取っておいてあるから食堂に行きなさい。ユーリスも一緒か?」
「いーや、俺はアビスに戻らせてもらうよ。それじゃあな」
ひらりと手を振って、ユーリスは訓練場を去っていく。残されたアッシュは、その背中を見送ってからもう一度ベレトに頭を下げた。
「先生、本当にありがとうございました」
「自分が見つけられて良かった。ここに物を積まないよう、注意しておかないとな……ん?
ベレトは、教え子のそばかすの散った顔を覗き込む。
「アッシュ……唇の横が赤いが、怪我をしたのか?」
「……!!!」
ひどく赤面したアッシュを、どこかでユーリスが笑っているような気がした。また風が吹き、燭台の炎を静かに揺らしている。