薄闇の逢瀬チラチラと、燭台の炎が揺れている。部屋の中は温かで、酒と料理の匂いが、ちょっと埃っぽい空気に漂っていた。ユーリスはゆったりと足を組んで座り、思い思いに酒を飲み交わしている部下たちを眺める。今日もまた、生き残った。戦争の後始末も、組織同士の抗争も、少しずつ落ち着き始めている。ファーガスの暗黒街にも、ようやっと秩序というものが訪れようとしているのかもしれない。でも、まだまだだ。
戦争によって親や故郷を失った者たちは、心が荒み、やけっぱちになって賊に身を落とす。街道の追い剥ぎやら、村々を襲う盗賊やら。そんな奴らを少しずつ懐柔して、きちんと躾けて、使える部下にしていくのがユーリスの仕事だった。無論、教育していく上で、ユーリスに絶対の忠誠を刷り込ませていくわけだが。
裏切りはもう沢山だ。グイと杯を傾けて、部屋の扉に流し目を送る。テーブルに頬杖をついて、息を吐いた。
「お頭って、いつもあんな調子なんですか?」
「いや、今日は静かだな。人を待ってるんだろう」
新入りが一人、そんなユーリスの様子を見てひそひそと仲間に問いかけた。最近仲間入りした彼は、ちょっと口がうまくて、禁制品の取引が上手いのだ。禁制品といっても、教会による厳しい制限が消えた今では、ちょっと手に入りにくいもの、程度の物品たちなのだが。そうはいっても、今でも女神を信仰し続ける者たちの間では、いまいち流行らない。だから、彼のように口のうまい者が売り込む必要がある。
(お頭のあの物憂げな顔。きっと何か裏があるに違いないぞ。ああ、俺に相談してくれたらなあ)
そんなことがあればきっと、一気に組織の幹部に昇格してもらえるに違いないのに。程よく酔っぱらった頭で考えながら、新入りはうまい酒と肴に舌鼓を打った。
その時。
「今、戻ったよ」
ギクリとした。静かな声と共に、ギイと扉が開いた。数人の部下を従えて入って来たのは、暗緑色の髪をした若い男だった。黒い外套の肩に残った雪を払い、温かい部屋に身を滑り込ませる。ヒイ、寒かった、と、部下たちは暖炉の前に濡れた上着を乾かしに行く。そのうちの一人は、ユーリスに近付くと、手短に報告を済ませている。
新入りは、その男がかつて『灰色の悪魔』と呼ばれ、恐れられていいたらしいことは知っていた。お頭の右腕ともいえるほどの信頼関係にあって、一騎当千の強さを誇るらしい。しかし実際にその強さを目にしたことはなかったし、それ以外のことは何も知らないのだ。
「そうか。下がって良いぞ」
ユーリスは椅子から立ち上がり、短く呟いた。
「酒を取って来る」
暗い扉の外へ、紫色の髪を靡かせて消えていったユーリスの後ろを、ベレトがそっと追いかけていく。新入りは、おや、と首を傾げた。
「新しい酒って、奥の蔵ですよね」
「ああ? そうだよ」
それじゃ、お頭が行ったのは逆方向だ。それに、酒ならまだ沢山あるし、なんなら自分が取りに行くのに。
(ここは気を利かせて、俺の存在をもっとお頭に知ってもらう好機だぞ)
新入りはウキウキと立ち上がり、誰も席を立たないことになど気付きもしないまま扉をくぐった。廊下は薄暗く、冷たい空気が停滞している。
(ええと、確かこっちの方へ……)
石壁造りの隠れ家には、暗闇が多い。新入りは躓かないよう、慎重に歩いて二人の姿を探す。そしてそれは、思ったよりもずっとすぐに見つけることができた。
「あ……」
薄暗がりの中、小さな燭台が頼りなく廊下を照らしている。お頭の部屋の、扉の前に二人はいた。影が重なり、ユーリスは両腕をベレトの首に回してしがみついている。唇を合わせ、うっとりと目を閉じて。ベレトは自分の体と扉に挟まれたユーリスの体をしっかりと抱き締め、その唇を貪っていた。その表情は髪に隠れて分からない。ただ、そこに流れる空気は、ただならぬ二人の関係を匂わせて、新入りの言葉を失わせるにはそれで十分だった。
「……」
ふと、ユーリスの目が薄く開かれる。長い睫毛に縁取られた鋭い眼が、新入りを射抜いた。ベレトの首を抱く手の片方が、ゆっくりと、犬や猫にでもするように合図する。シッ、シッ。向こうへ行ってろ。新入りはじりじりと後ずさった。足音を立てないように極力気を付けて、元来た道を戻る。
(し、し、失礼しました……!!)
「……誰か、いたか?」
「いいや」
ベレトはひと仕事終えたあとに味わう伴侶の温もりを決して離すまいと、両腕にしっかりとその身を抱いたまま口を開いた。ユーリスはちょっと笑って、口づけの続きをねだる。
「子ネズミが一匹、迷い込んだだけさ……」
「お前、まだ知らなかったのか。ベレトさんはお頭と結婚してんだよ」
「早く教えといてくれよ、そんな大事なことは……!!」
「それくらい察しろよ」
「二人とも滅法強いし、顔は綺麗だし、お似合いだよな」
「実は戦争の英雄らしいぜ」
「大体、本当にお頭が酒を取って来るわけないだろ」
仲間たちに散々笑い飛ばされ、新入りは真っ赤な顔で酒を煽った。それをきっかけに急速に組織内での絆が深まり、彼が組織の中で大変な役割を担うようになるのは、また別な話である。
終わり