「え、俺の恋人って都市伝説的な存在なのか⁉︎」「あなた、私に何を隠している」
違うな、私に何が聞きたいのだと村雨は小首を傾げた。それに可愛いと感想を抱くよりも先に居心地の悪さを感じる。だって誰が聞けるんだ。
――お前って都市伝説になってるのか、なんて
それは村雨の迎えに行く途中の話だ。
車の窓を開けながら公園の側を徐行で走っていると、小学生くらいの子供が数人近くで集まっていた。
理由は分からないがその中の数人がワイワイと喧嘩をしていて、一人が癇癪を起こしたのだろうボールを言い合いの相手に投げつけた。それは避けられてしまい、先を見失ったボールは丁度車の横腹に当たったのだった。子供達は急いで駆け寄り主犯も含め全員で謝罪したので、ぶつけられた事は不問にした。しかし問題はそこではなくこの後に続いた児童達の言葉だ。
「車にボールぶつけた、悪いんだー!」
「だって、コイツが避けるから」
「ぶつけようとする方が悪いんだろ!」
「悪いことしたら『ムラサメさん』が来るんだよ!」
――ムラサメさん?
恋人が脳裏に過ぎる。いや、まさか。確かに賭場では何百年モノの悪霊が身を得たものか、はたまた廃村で行われていた土着信仰の対象かと言わんばかりではあるが。いやいやいや、あの村雨だって流石に人の子だろう。(少なくとも聞いた感じでは兄貴は普通に人間であった)
だけどこういった小学生達で流行る怪談に『ムラサメ』なんて名前出てくるか。さてどうやって質問してみるかと、悩んだ挙句に口から出たものが「ムラサメさんって何だ?」という疑問だった。
訊ねられた子供達は、はたから見れば怪しい大人である自分の問いかけに訝しまずに答えてくれた。
「ムラサメさんは優しいんだよー。わかんないこと聞いたらなんでも教えてくれるの」
じゃあ違うか。甥や姪との関係を見るに、子供に対しても真剣に相手をしているが優しいと称されるにはまた別のような……。
「悪い子のねお腹を小っちゃい包丁で切ってくるんだよ!」
判断が難しい。もしかしてまだ知らないからメスの事を小さい包丁だと表現しているのか。だとしたらマジであの村雨なのか。なんで?やっぱ人間じゃないのかアイツ。
「ムラサメさんって本当は漢字なんだけどね難しくて書けないんだ。学校だとふつー習わないんだって」
それなら違うな。村雨は読みならともかく書きは小学校で教えられるはず。
試しにそこら辺にあった棒で『叢雨』と地面に書いた。子供達は「そう、それー!」「おじさんすごーい!頭良いんだね!」と口々に称賛した。おじさんという単語だけは否定しておいた。まだ26だから。この怪異と推定される人物よりは年下なんだ俺は。閑話休題。
とりあえずは恋仲にある相手が怪異ではないと知れただけ良かった。
確かに人間か疑わしい場面が多々あれど、いくらなんでも人外という可能性を本気であるかもしれないと考えさせるのはどうかと思う。
それからもきゃっきゃと『ムラサメさん』について楽しそうに話してくれたが、後は他の怪談話でも言われているような内容ばかりだった。だから思わず深掘りしてしまった。
「その『ムラサメさん』ってどんな見た目なんだ。やっぱバケモンみたいなのか」
「え〜違うよ〜。ムラサメさんってね、ちゃんと人とおんなじ見た目してるんだよ」
そう言って女児は置いていた棒を拾って地面にさらさらと描き始めた。出来上がった絵を見て息を呑んだ。
チェーンのついたラウンド眼鏡にジャケットとスラックスを着用した成人男性。その姿は幼い子供の描いた似顔絵らしく、それでいて村雨礼二そのものだった。
絶句してしまった俺をよそに子供達は元気に「おじさんバイバーイ」と公園へ走って行った。それにおじさんじゃない、と返すことすら出来ずに呆然としながら村雨を迎えに行った。病院の職員口に到着した時にはすでに村雨はそこに立っていた。こちらの車を見つけるとすぐに寄って来て、慣れたように助手席に乗り込んだ。
遅いと文句を言おうとしたようだったが、俺が動揺から目を逸らすのを見て村雨は口を閉じた。そこで何も聞かれなかったのは村雨の温情かきちんと追い詰めるためだったのかは分からない。
無言で空気の悪い中、いつもより長く感じつつも俺の家まで車は何事もなく到着した。家に着いて息を落ち着けた時、そこで「私に何を聞きたい」と村雨からすれば当然の疑問を口にした。
村雨は口ごもった俺に苛立つでもなく、本当に心底謎なのだがという顔をしている。
もしこの場にいたのが真経津や叶なら遠慮なく「村雨さん(礼二君)っていつの間に都市伝説に仲間入りしたの?」と気軽に聞けるに決まっているが、生憎俺は獅子神敬一でしかない。
臆病な俺は相手が恋人とはいえ、流石にお前って小学生の中でお化け扱いされてるんだけど、知ってる?などという問いかけなど到底出来ない。
てけてけ、花子さん、口裂け女、村雨礼二(29)
絵面としてはなんの差し支えもない。それどころか、むしろ他の奴らに余裕で勝てるまである。しかし字面としてあまりに属性が違いすぎる。人間かどうか甚だ疑問であるというのは置いといて、この並びに人間が入るのはどうなんだ。
だがもしも「それは確かに私だが」と普通に言われたらどうしよう。恋人が実は人間じゃなかったんだってどうしたらいいんだ。相談しやすい間柄として換算できるのがあの二人なのも非常によろしくない。アイツらに相談したとてロクな回答など得られないのだから。(もしこの件をあの二人に話したとしてやっぱりそうだと思った、別に人間じゃなくてもいいだろとか言って笑うに決まってる)
「……私には話せないのか」
村雨は悲しげに眉根を寄せた。これはマズイ。
村雨がこうしてあからさまに感情を表情に出すというのは、大抵俺に何かをさせようとする為の動作だ。例えば疲労を出している時は俺に労ってほしい、楽しんでいる時は俺にも楽しんでほしいなどだ。それの何が厄介かというと、まさしく俺が村雨の思惑通りになってしまう事。当然、雰囲気や言動からよりそう感じるように誘導されているのもある。だけど俺自身の思いとして、村雨が悲しさを表出していれば元気を出させてやりたいし、喜んでいるならもっと喜ぶようにしてやりたい。
そう、つまるところ俺はこの男に弱いのだ。
村雨は親密になれば自分の情動を隠さなくなる時もあるが、あえて自分から分かりやすく発信するという行動を、実はあまりしない。それこそ見ている中で今のところは俺だけだとそう思う。そこが余計に俺を甲斐甲斐しくさせている、というのも村雨は知っているに違いない。
そういった諸々を含めて村雨のコレは本気で厄介なのだ。
今回のこの動作は俺から回答を引き出すのが目的だろう。抗うべく逃走を選択したが、勿論そんなのは村雨には丸分かりだ。ダッシュを決めるより早く腕を掴まれた。そのまま無言でこちらを見上げられる。
普段は何を考えているか分からない無表情な村雨の哀しげな表情は心にクる。そう思われるようにわざとしているとは知っている。それでもだ。
ただでさえグラついているのに、ダメ押しで「獅子神」と名前を呼ばれた。
――悔しいが、本当に俺は村雨に弱いんだ
「お前さ、小学生達の噂って……聞いたことあるか」
「は?」
「いや……あー、いやあくまで噂っていうか都市伝説っていうか……『ムラサメさん』って」
そこまで言うと、村雨は最初は「何を言っているんだあなたは?」という表情だったが、『ムラサメさん』の名前を聞くと瞠目すると、しばらくして「あー」というものに変わる。
いや、それ、え、マジでお前の事なの。村雨礼二はあの有名な怪異達と同等の地位にあるってことなのか。
そんな驚きがデカデカと顔に書いてあったのだろう、村雨は顔を顰めて溜息を吐くと渋々といった形で口を開いた。
曰く、姪が冗談で「礼二おじさんって都市伝説に出てくる妖怪みたい」と言ったのが始まりだったらしい。(いやそれもどうかと思うが)
最初は外見はそのままに設定だけ都市伝説らしく色々と盛り込んでいったところで、それをうっかり友達に話してしまった。『ムラサメさん』は子供心に思いの外ウケてしまい、話が学校全体に広まったらしい。そんなある時村雨が外を歩いていたら、度のすぎた悪戯をしている児童がいたので、わざと恐ろしく見えるようにしながら「あまり悪い事をするとあなたの悪い腹を手術してしまうぞ」と注意したらしい。(普通の大人ならともかく村雨にされれば屈強な成人男性ですら恐怖に慄くだろとは言わなかった)
それで注意を受けた児童が噂の『ムラサメさん』が本当にいたんだと騒ぎ、学校を飛び越えて本格的に都市伝説の仲間入りというのが真相だったようだ。
ちなみにその悪い児童は甥の方と一緒のクラスらしく、都市伝説からもたらされた恐怖の指導以降は随分と良い子になったのだとか。
「だからその怪談の元となる人物は私だ」
「ムラサメさん……」
「止めろ」
「俺ん家に来る悪ガキ共もどうにかしてくれよ。せめて片付けくらいするようになれば儲けもんだ」
「あの異常者達が怪談を素直に怖がるとでも思っているのか」
「それもそうか……」
村雨は珍しくなんとも言えない表情だ。1/2ライフの死神も小学生達に化物扱いされるのは流石に複雑な心境なのかもしれない。
「その、なんだ。人の噂も七十五日って言うだろ」
「噂が出回ったのはもう一年も前だ」
「お、おう……」
何も言えなかった。完全にローカル都市伝説の一員として定着してしまった恋人に慰めとして適切な言葉がいくら考えても出なかったからだ。
村雨はこちらをギッと睨みつけソファに転がった。『今、私は大変不満である』のポーズだ。
さてどうしたものか。対処を間違うと非常に後が面倒だ。
村雨の脇に手を差し込んで抱き上げた。腕こそ回さないが抵抗はされなかった。ここまでは、まあ合格といったところ。
「なあ、ムラサメさんよ」
「……」
「俺の恋人の機嫌が随分と悪くてな、どうやったら機嫌を直してくれるもんかね」
言いながら目元にキスを一つ落とした。
村雨は「私のパーソナルスペースは半径1kmだが」みたいな見た目をしながら実のところスキンシップが好きだ。潔癖そうな面にそぐわず、セックスも。(貞淑な床上手が男の理想というならまさしくこの村雨礼二こそ、それに相応しいとブラインドが掛かった挙句に茹だり上がった頭では思う)
嫌な目にあった時でも美味いものを出してやって、キスとハグの一つを贈ればそれだけで大体の気分は回復する。180cmを超えたガタイがいい男にそうされて喜ぶ村雨も案外、いや普通に趣味が悪い。コイツの頭も茹で上がっているのだ。だから、俺達はきっとこれでいい。
ご機嫌取りのキスは村雨のお眼鏡に適ったようで、先程の険悪な雰囲気が霧散している。そのまま、顔面のあらゆる部位にキスを贈ってやると首に腕が回ってきた。
「ふふっ、ではマヌケなあなたにすべを教えて差し上げよう。まずこの後に美味い肉料理を出すこと」
「ステーキか?」
「いや、今日はローストビーフの気分だ。付け合わせにはマッシュポテトと湯掻いたブロッコリーを。それで食事が終わればベッドの上でうんと甘やかしてやれ」
「明日は休みなのか」
「病院で何やらあるらしくてな。あなたの恋人は明日絶対に出勤しないよう厳命されている」
「そいつは良い知らせだな」
「それも終われば残りの時間いっぱい世話を焼けば、あなたの恋人は途端にびっくりするほど上機嫌になるだろう」
「ありがたい託宣に感謝の至りだムラサメさん」
言われた通りにすべくキッチンに向かった。
抱き上げた村雨は近くの椅子に下ろしてやる。あまり理解できないが村雨は俺が料理する姿を見るのが好きらしい。椅子がなかった当初は育ちの良い所作に反して、地べたに座ってた位なのだ。
ちなみに床に直座りさせるのも気が引けて、早々に村雨が好みそうな椅子を用意したという後日談もある。それについて素直に感謝を伝えられて、驚いたのも懐かしい話だ。
「気張って作れ。せっかく教えてやったのにちゃんと言う事を聞かないような輩はその悪い腹を裂かれてしまうぞ」
「そいつは怖い。俺が呪われたと知ったら恋人が悲しむだろうし、そもそも俺は恋人に食わせる物に手を抜くつもりは元より無くてな。しっかりと準備させてもらうとも」
そう言うと村雨は表情を和らげ、口付けを一つ返してきた。(この素直さは何かをさせる為ではなく、単に相手に隠す必要が無いからそのまま出力される方だ)
迎えに行った当初は色々とあったが、どうやら良い休日を過ごせそうだ。そう思いながらいつも通りに食事の用意に取り掛かった。