Just a taste 「村雨」
「……」
仁王立ちの俺の前には正座をする村雨。その表情に後悔や反省は欠片も浮かんではいない。むしろ『何故あなたは私にこんな事をさせるのだ』と言わんばかりだ。
ふてぶてしい顔を鷲掴みにする。
「ソース用に出してたカットマンゴーが全部無くなってるんだが、知らねえかな先生」
「私の胃の中だが」
「出してたヤツはソースにするから食うなって言ってたよな」
「言われた覚えはない」
堂々とした態度にいっそ清々しさすら覚える。本当に二十九歳かコイツ。実は九歳の間違いじゃないか。真経津と叶ですら叱ったら多少は殊勝な態度を取るんだぞ、なあ年長者。テメーもうすぐ三十になるんだろ。
だがそれを言っても仕方がない。言おうものならそれ以上に反論が飛んできて圧殺してくるからだ。口論とギャンブルで村雨に勝てた試しがない。
俺の心情を気にする様子もなく、村雨は『空腹だ、早く夕飯にしろ』と見上げてくる。本当にお前はよ。
「生憎だがな先生。どこのどいつだかがソース用の食材を全部食っちまったから今日は肉はないぞ」
村雨が驚いたように目を僅かに見開いた。お前普段無表情のくせに、メシに関する時だけそんな顔するよな。
「別に塩と胡椒をふってくれればいい」
「今日のやつはソースがいるように下拵えしてんだよ、絶対出さねえからな」
村雨の眉根がきゅっと寄った。マズイ。これは村雨の特技の一つ『しおらしいフリ』だ。別に申し訳ないなんて一ミリも思ってないが、自分に不利になりそうだからしおらしくしておこう。そんなクソみたいな理由から繰り出されるそれは、しかし有効だ。何故なら村雨が感情を偽装できてかつ俺はそれを見抜けないからだ。使用されるとこちらに罪悪感めいた思いを植え付けてくるという、なんとも卑怯な手だ。(ちなみにこれがフリだと気づいたのは外野、主に真経津の茶々のお陰だったりする)
いや、今日こそはしっかり駄目だと言ってやらないと次もまた食材をつまみ食い、いや全食いされる。
落ち着け、騙されるな。
必死に俺が言い聞かせていると服が引かれる感触がした。見ると村雨が身を乗り出してスラックスの裾を引いていた。視線に気がついたのか、顔が上がる。赤い眼が、俺を射抜いた。
「獅子神」
歯を食いしばる。ダメだ、甘やかすな。
「……いつもより味付けテキトーになるからな」
俺はいつも村雨に勝てない。俺は弱い。
村雨は望みの言葉を引き出せてご満悦と言った様子だ。お前もう少しくらいフリを続けらんねえのかよ。
さっさと立ち上がって村雨はソファーに座ると口を開いた。
「空腹だ、早く夕飯にしろ」
何かを言おうとして、結局何も言わず俺はキッチンへ入った。
惚れた弱みというものは心底厄介だ。
本当に、どうして、こんな奴を好きになっちまったんだか。