「人は思い出だけで生きている」「人は思い出だけで生きていける」
果たして、これは真か否か。
台所へ入ると村雨はいつも近くにあるソファーに陣取ってこちらを見てくる。俺として『テメーが食べたいって言ったんだから手伝え』と命じてもいいはずだが、家に鍋すら置いていないヤツに勿論そんな事言える訳がないのだ。
油を敷いたフライパンにたっぷりのバターとニンニクを溶かすと、ソフリット入れ炒める。焼けた根菜の甘い香りが漂った頃に赤ワインを加えた。ジャァッとワインの煮たつ音を聞きながら、村雨の質問を考える。
ギャンブル中、またそれに相似した環境でなければ村雨の問いかけは基本的にストレートだ。だからこれは言葉の通り。果たして俺は、『獅子神敬一は思い出だけで生きてける』のか。
これは無意味な言葉遊びではない。ラダーは上に行けば行くほど死のリスクが上がる。ようやく1/2ライフに歓迎された俺はともかく、村雨はいつワンヘッドに上がってもおかしくない。村雨が負けるところなど到底考えられたものではないが、一度真経津に負けているしそもコイツはワンヘッドで見た男のせいで最上層から下層まで落ちたのだ。
――村雨が死んだら俺はどうするんだろうか。
考えながらも調理の手は止めない。赤ワインの水分が抜け切った中身を鍋に移し替えてデミグラスソースを加える。煮込む間に肉の用意をすべく牛肉とマッシュルームを取り出す。マッシュルームを薄切りにしてバターを泡立たせたフライパンに放り込む。しんなりとしたところで白ワインを加える。水分が飛びかける前に今度は塩胡椒を振った牛肉をシャッと炒めいれる。肉の赤みが僅かに残っている位で火を止める。その間に煮込み終えたデミグラスをザルで濾す。ふわりと野菜出汁やワインの匂いが香りたった。
村雨が好きそうに仕上がってきている、悪くない。
濾し終えた鍋に牛肉とマッシュルームを入れるてまた弱火で煮る。最後に隠し味として小鍋に入れたグラニュー糖を焦茶になるまで弱火にかけ、指二つ分の幅があるバターと共に鍋へ落としてかき混ぜる。
炊いた米を皿の中央に盛り付け、煮込んだ物を周囲に回し入れる。最後にパセリを上から振りかけ、完成。
「出来たぞ」
ダイニングテーブルに二人分の皿を置いて声をかけた。村雨は一度俺を見やってからゆっくりとこちらへ向かって、俺の前に座る。
「お望みのハッシュドビーフだ、どうぞよくよく召し上がって下さい」
対面の村雨は希望通りの食事を前に機嫌が良い。村雨好みに整えたそれを食べ始めれば更に上昇するだろう。それこそ上等なワインでもつければストリップさえやってくれる程に。そしてクマの浮いた目を穏やかに細めて、よくやったと微笑むのだ。
この男は神経質そうな見た目にそぐわずノリがよく、正直だ。良い物は良いと褒め、悪い物は悪いとスパッと言う。最初に拒否した事象も割と押せば一緒にやってくれるという一面もある。
きっと関係性の薄い人間では知らないことも、知っている。知る程にコイツと親密になってしまった。
いただきます、と村雨が手を合わせるのでそれに倣った。食前後の挨拶を欠かさない村雨からは育ちの良さが伺える。それにちょっとした妬みを覚えたのも遠い昔だ。村雨は育ちの良い環境が必ずしも当人に良しとならないことの体現者だから。
「美味い、上出来だ」
「さいですか、それはようございました」
口をつけた村雨はやはり上機嫌に微笑を湛えて、称賛を口にした。それが飛び上がりそうな位に嬉しい俺は、この村雨礼二という男にのぼせ上っているのだ。
『一度得たものを失うことこそ、真の最悪と知るでしょう』
LiA戦の時を思い出す。
そうだ、俺は一度手に入れたモノを失うのはとてつもない恐怖で、最も嫌悪するところだ。だがそもそもの話として、賭場でなかろうが人は死ぬ。それは病気であっても事故であっても。賭場で遥かに格上に当たるのも、意図しない事故に遭うのも結果として同じ。不運で人は簡単に死ぬ。
それならば、俺は。
「俺は」
村雨が食事の手を止める。
「俺は思い出だけでも生きていく。お前の“処方”で強くなった俺は、これからもこの経験で更に強くなる。お前がくたばっても簡単に死なないくらいに。それがあの時の治療費になると思ってる」
「……」
「でも、だ。それでも生きている内は思い出だけで生きていけないって思うよ」
だから最期の時まで俺と一緒にいてくれよ。
言い終えて一息つく。対面の村雨は打って変わって無表情で黙っていた。
「さて、村雨先生。この回答はどうだったんだ」
もしかして、マズったか。
思わず目を逸らす。敵でないにしても村雨は怒ると怖いのだ。
目だけでちら、と村雨を見る。村雨は肩を震わせていた。……震えている。
「テメー、からかいやがったな‼︎」
「いや、失礼。あなたがあまりにも真剣に、健気なことを言うものだから」
口元を押さえているその姿はまさに爆笑と評して過言ではない。
くそっ、こんなことだったら真面目に考えるんじゃなかった。
不貞腐れた俺は目の前のハッシュドビーフに手をつけた。本当に最悪だ。
「あなたは本当に私が好きなのだな」
「……そうだよ、生憎と先生に隠せるもんじゃなくてな」
「私はそれが、あなたの愛情がとても嬉しい」
「あ……?」
「私だってあなたが好きなのだから」
村雨が俺のスプーンを握る手と反対の手を両手で取った。
「いつか死が私達を別つその時まで、どうか私と共にいてほしい」
真っ直ぐな瞳が俺を射抜いた。
カツン、と音を立ててスプーンが手から滑り落ちる。
俺は、必死に真っ赤に火照り上がった顔を見られないように顔を逸らすのが精一杯で村雨の事を見返せなかった。小さな笑い声がした後に楽しげにスプーンを持つ音が聞こえる。
もう一度深く溜息をついた。
きっと、俺はこの先もコイツに勝つなんて出来やしないんだろうな。