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    torimocchi1

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    torimocchi1

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    ししさめ
    ししが怒る話

    Schadenfreude ――その日も普段と変わらない様子だった。
     夕食用の仕込みがあらかた終わらせた頃、スマホが振動した。確認すると村雨からで『あと少しで終わる』とメッセージが入っていた。勤務終わりでくたくたになってるだろう恋人を待たせないように急いで準備をして車を出した。                                                                           
     職員出入り口につけていると早々に村雨が現れる。ひら、と振った手に村雨は反応せずにさっさと助手席に乗り込んだ。
     隣に座り込んできた顔を見やると、そこまで疲労の色は濃くない。
    「今日はそんなに忙しく無かったのか」
    「ああ、大した手術も入らなかった。ちなみに明日は休みだ」
    「そうかよ」
     良いことを聞いた。とりあえず風呂に入れて、メシを食わせて休ませる。ある程度まで体力が回復したら、『誘い』をかけてみよう。この様子だと色良い返事が貰えそうだ。後の期待をしながら車を自宅に走らせた。
     
     特段の問題もなく無事に帰宅すると村雨を早々に風呂に追いやり、その間にコートや鞄を片付けてやる。警戒心の高い村雨がこうして持ち物をなんの気負いもなく他人に預けるのは信頼の証だ。それが嬉しいからこうして細々とした世話を焼くのが嫌いじゃない。
     コートを掛け終え鞄を棚に置こうとした時だった、中から着信音がした。一応休みとは言え外科医の村雨は病院から緊急の呼び出しが来る場合がある。村雨からはパスワードも教えられているので躊躇なくスマホを取り出すした瞬間、着信が途切れた。念の為着信先を確認するが、病院ではなかった。それならば入浴後でもいいだろう鞄に戻した際に、手紙が入っているのが見えた。
     村雨は手術を行なった人間から快癒の礼として手紙を貰う事があるらしく、時折こうして鞄に入っている時があるのだ。村雨は見ても構わないと言っていたが、流石にプライバシーの侵害だ。そこまで村雨に不信を抱いてもいない……と普段はそう思っているが、今回は何故かそれを見なければという思考に駆られる。第六感とも呼べる何かが今すぐに開けて確認しろと警鐘を鳴らしていた。無意識に手を伸ばしていたらしく、気付けば封を開けたところだった。ここまで来たら個人情報もクソもない、中の折り畳まれた紙を取り出して広げた。
     斜め読みをして数秒後には、破り捨てそうになる手を抑えるのに多大な精神を要した。フーッと荒く息を数回吐き出す。
     ――落ち着け、落ち着け。これは後で『使う』かもしれない。
     鞄を棚に片付け、紙束を握りしめる。村雨が出てくるのを待つ為、腰掛けた。

     憎悪に脳を焼かれていると、いつの間にか風呂から上がった村雨が用意したスウェットを着用してほんのり湿った髪を拭きながら向かって来た。村雨は俺を一瞥し、隣に座る。俺が何を考えているかなんて分かっているだろうに。ならば望み通りにと、村雨の胸ぐらを掴み上げてソファーに押し倒した。怪我をさせないように加減したのは我ながらまだ理性が働いていると言えるだろう。
     突然の俺の奇行に村雨は驚き一つ見せない。俺が何を思い、どうしてこんな狼藉を働いたのか何もかもがお見通しなのだ。俺は村雨に知らされなければ、何も知る事が出来ないのに。
    「なんでだ」
    「患者や家族からの私的な文章は基本的に全て保管している」
    「あれをとっておく意味はあるのか。訴える気なんてないだろうが」
    「私の行動にあなたが納得する意味などない」
    「あんなゴミみてぇなもんを後生大事に持ち帰るなんて、お医者様先生に被虐趣味があるとはこれっぽっちも考えやしませんでしたよ」
    「獅子神」
     嗜める声。決してそれは叱責でも非難でもない。ただ俺を気遣った声音。俺が村雨の代わりに勝手に抱いた怒りをいたわり、その上で宥めるその一声。それは一層俺を惨めにさせ、臓腑を煮え繰らせる。
    「お前は。少なくても、医者としての、お前は、いつだって、正しい」
    「そうだ。私は正しく診断し、手術を行なった。彼は気の遠くなるようなリハビリを苦に死んでしまっただけだった」
    「お前のせいじゃない」
    「そうだ」
    「なのに、なんで」
    「それでもあれは私に宛てられたものだ」
     冷静な言葉、あまり感情の乗らない表情。そう、いつもと同じように。
     ――あの手紙と称するのすら烏滸がましいそれは、まるで不合理な呪詛だった。家族が死んだのはお前のせいだ、お前が死ねば良かったと呆れる程に愚かで見当違いの恨み言が延々に書かれていた悍ましい紙切れ。
     自分の愛している人間が死を願われている。賭場とは違う負け惜しみでも、死にゆく人間の断末魔でもなく、ただ理不尽な八つ当たり。それが恋人に送られた事が非常に業腹で、そして受取人自身はなんとも思っていないのが悲しくて仕方がなかった。
     村雨は激情のあまりに言葉を失くした俺の心情を隅まで感じ取ったのだろう、もう一度ため息をついて俺の背を軽く叩いた。その宥めるような仕草が余計に勘に触った。
    「そんなに怒るな、これが初めてではないし、大した事でもない」
    「大した事なんだよ先生。テメェはなんのミスも無かった。正しかった」
    「そうだ、私に落ち度は無い。しかし人間とはそれだけでいかないのは、あなたも良く知っているだろう」
     ギリギリと歯噛みをする。そうだ。勝つために敵を死に追いやった。そのくせ死んでほしくもないと吠えた。そんな矛盾を抱えていた俺が、理論的であれと人を責めるなんて出来やしない。それでも。
     村雨の上下に動く手が止まり、背に回った。そのまま力が僅かに込められる。
    「泣くな。あなたには関係がない」
    「泣いてねえし、関係はある」
    「何故」
    「俺がお前を好きだから。誰よりも、大事だと思ってるから」
     『心底理解できない』とでも言いたげに溜息をつかれた。本当にコイツは人間の機微を今ひとつ理解出来ない。人がどう思っているかは分かるのに、どうしてこう思っているかをまるで解せないし、分かっても納得できない。頭も五感もずば抜けて優秀なのに、人間の感情検定があるなら落第も良いところだ。
     俺の抱く憎しみも哀れみも憤りも、村雨にとって意味はない。しかしたとえ望まれなくとも。
    「村雨」
    「……」
    「好きだ」
    「ああ」
    「愛してる」
    「ああ」
    「じゃあ」
    「駄目だ」
    「……ならさ、約束してくれよ。ずっと、ずっと。これからも、俺と一緒に生きててくれ」
    「ああ、約束しよう」
     こんな口約束なんぞが何の保証になるわけでもない。それでもこの愚物の憂さ晴らしすら受容してしまうこの存在が、理不尽な詛によって殺されないように。
     約束がずっと果たされ続けるように、ひっそりと誓いを立てた。
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