酔生 見た目もスピードも悪い、歩く車の雑踏。
アドソンたちの呼び込み声。
Q-9がウィルスンを追いかけ回して轟かせるサイレンと声。
買い物や仕事に来たケーブロイドの発するスパークの音。
多種多様の喧噪が止む頃。
夜しかないこの世界の、一日の終わり。
ダークナーの眠る時間。オレの時間。
皆が起きている賑やかな時間はゴミ捨て場やゴミ箱で過ごし、皆が眠っている閑静な時間は街を歩いて食べ物を探す。それがオレの日常。
誰にも気付かれないように、誰にも悟られないように。
笑われないように、弱さを知られないように。
隠れて生きるのが、オレの人生。
栄華の頂点とは正反対を往く、惨めな人生。
遠くで聞こえた酔っぱらいたちのはしゃぐ声が聞こえなくなったのを機に、静かにゴミ箱から這い出した。
……のに。
「すはう……すぱむとん……!」
呂律の回っていない声が、オレの首を掴むように後ろから投げかけられた。
声には覚えがあった。
酒に焼け、年を食い、全く同じものではないのだが、それでもあの顔を鮮明に思い出すには充分だった。
「アドソン、、!? なぜ、[[ここ]]に、……?」
振り返る。
見られた焦りは、すぐに呆れに置き換わった。
でんぐり返しでもしようとしたのか、頭を下に、ケツを上に向けて壁にもたれている桃色のアドソンがいたから。
「何レ てnだよ」
「街がまわったままで、うごけねぇのよ。助けてくれ」
相当飲んだらしい。
深刻そうな顔をして、真面目に頼んできた。
真っ赤になった頬と鼻がいつも通りの桃色であれば、この顔を写真に撮って切り取って、重大な商談をこなす様子です、と言い張ったら、過半数のヒトを騙せるだろう。
路地裏のゴミ捨て場に迷い込んだあげく、こんな間抜けな格好をして。ホントに、しょうもない。
近付くと、酷いアルコール臭が鼻を突いた。
その懐かしさに殴られて、まるでオレも酔ったかのようにぐらりと世界が揺れる。
何をしても売れず、酒や食事を奢ってもらっていたあの日々が、息巻くオレに呆れ、応援、同情、それぞれ別の意味を持った笑顔を向けるアドソンたちが、あのバーが、眩しいネオンの看板が。走馬燈のようにちらついた。
あんな昔のことなのに、切っ掛けさえあれば鮮明に色まで思い出せるとは。
頭を振って、無理矢理浮かんだ光景を掻き消して、逆さまのアドソンをひっくり返し、座らせる。
髪が長いからゴミをたくさん絡めて、ぐちゃぐちゃだ。だが今指摘したところでどうにもならない。
「世界が戻った! ありがとな」
彼はヘラヘラ笑って後頭部を掻く。
そしておもむろに立ち上がり、ふらふらと歩き出す。
重心がずれていて立たせられない人形のように、傾いて倒れたのは、一呼吸置く間もない頃。
一応受け身の腕を出してはいたが、かなり痛そうな倒れ方をした。
駆け寄ると、ウー、と唸った。痛そうではなく痛かったようだ。
「[[飲]]みスギ アnタ! どぉレたら そnな 飲1!? 」
「起こしてくれ~」
この体格差で起こしてやるの、意外と労力が掛かるのに、気軽に頼みやがって。
起こしてもまた倒れるかもしれないし、腹も減った。
もう無視してしまいたい。でもここで街の目覚めの時間まで寝られても困る。
腕を引っ張り、上半身を起こしてやる。
また歩き出してぶっ倒れられたら困るので、肩を押さえつけて立ち上がろうとする彼を止める。
最初はそれでも立とうとしていたが、オレに邪魔されているのをやっとわかったようで、腰を据えあぐらをかいた。
手を離すと、ちゃんと見えてんのかわからない、ぼんやりとした薄目でオレを見つめて、……微笑む。
「アンタ、ほんと良い奴だよな……」
「…………はい? [[良]]……?、エ…… 、、ひ、ヒャヒャヒャ! な、何を今更!? ワタ94が [[最良品質]] は 、、みな ご存! 再確 認、で sか!?」
「オレ、アンタのそんな一面、…………好き……かも。絶対“BIG”になれるよ、ガッツあるし……行動力だってある、いつか、きっと、報われるはず、だから……」
あ?
もしかして……昔の姿に見えてるのか? オレが? こんなオレが?
背丈だって、見た目だって、全然違うのに。まさか小さいってだけであの時のオレに見えてるとかじゃないよな?
ぐらりと彼の体が揺らいだ。嫌な猜疑がプツンと切れて、咄嗟に支える手を出そうとした。
のに、腕が動かなくて。
「あ、……」
違う、バランスを崩した訳じゃなかった。
体がぎゅうと締め付けられる。
ただ、糸や不安のように不快なものじゃない。
むしろ……心地良い。
慣れていなくて、把握に手間取った。これが抱擁だと気付くのに、少しばかり時間が掛かった。
彼の胸の中に引き込まれ、強く、しかし優しく縛られる。
人形を買って貰った子どもがやるような、独りよがりに潰すような強い抱き締めではなく。
それでいて、逃げられる余地を与えて様子を窺うような弱いハグでもなく。
まさしく[[抱擁]]だった。
「スパムトン……」
息漏れ声で名を呼ばれた。アルコールの臭いにくらくらする。
オレなんか触って、いいのか? ゴミ箱で暮らしているんだぞ。酔いすぎてわからないのか、本当に昔の姿に見えてるのか、もう転んでひっくり返ったから汚れも臭いもどうでもいいのか?
オレは……なんでドキドキしてるんだ?
突飛なことをされたからか?
酒に火照ったコイツの体は、冷たい風に晒されるばかりのオレには熱すぎる。
……久々だった。
最後に温度のあるものに触れたのは、チーズを取り合って掴んだネズミ。
ヒト肌に触れたのは、それも悪意のないものは、いつぶりだったか。
無意識に腕を伸ばしていた。
ぬくもりを求めていた。もっと熱を感じたかった。
しかし……。
コイツが求めているのは、[[オレ]]……。
[[ワタ94]]では、ない。
いつオレが死んだのかはわからない。
[[彼]]に導かれた時かもしれない、売り上げ右肩上がりになった時か、皆が離れていった時か?
それとも館に引っ越した時か、騎士との遭遇か、酸液に落ちた時か?
幾らでも区切りがある。しかしわからない。
でも。いずれにせよ。オレは死んでしまったのだ。
ここにいるのはワタ94。
コイツが求めているのは、バーで笑い合って愚痴を駄弁って、大口叩いていた頃のオレであって。
何も無く、誰からも見向きもされない、誰にも声を聞いてもらえず、ゴミ箱で眠り隠れて生きてるオレではない。
満足に言葉も話せず、体も見窄らしくなって、存在さえあやふやで、存在の否定を恐れて楽しいふりをしてるワタ94では、ない。
彼の中に生きているオレを、彼の想いを、オレの寂しいからというだけの理由で消費して、いいのか?
「……スパムトン?」
腕を伸ばしたきり、何の行動にも移さないことを疑問に思ったか、彼は腕の力を緩め、背を引いてオレを見た。
薄目は未だぼんやりとしたまま。オレを見ているようで、見ていないようにも見える。
やはり求めているのはオレではない。
「離れ くだs、。 ワタ94は 、ワタ94は、、もういないのdeath 、バグって、[[死]]」
「えっ? ……はは、生きてるじゃんかよ……。変な冗談言うよなアンタ」
「ジョーダン違うます。ワタ94は スパムトン.G スパムトン。、。。[[頭]]のなかで[[飼]]ってる キレイなオトモダ チで、は、ない。」
アドソンの顔が歪んだ。
何故アンタが悲しい顔をするんだ。
何か酷いことを言ってしまったのか、今[[バグ]]でとんでもない暴言を吐いてしまったのか?
やはり事実を言うべきではなく、酔客の幻想を演じるべきだったのか?
一瞬のうちに悔悟が激流のように巡ったが、とん、と胸を小突かれ我に返った。
いや、小突かれたのではない、彼がオレの胸に頭をうずめたのだ。
「アンタはスパムトンだろ……。オレの知ってるスパムトンだ……」
消え入りそうな声でそう告げると、動かなくなってしまった。
しんと静まり返った路地裏。
いつも通りのはずなのに、いや、いつもより一人分多い呼吸の音があるはずなのに、酷く静かに感じた。
気不味い。何故か苦しい。どうしたらいい。
彼は動かない。
時が止まってしまったか、長く引き延ばされたかのよう。
いてもたってもいられない。
皆が起きている時間であれば、大きな笑い声をあげて誤魔化しただろうに。
声を発さねば、世界が先に進まないのではないかという焦燥。しかし掛ける言葉の無い苦悩。
どうすれば……。
悩んでるうちに、彼が動いた。
オレの胸におでこを捻じ込もうとでもしたのか、ぐりぐりとゆっくり左右に振りながら押してくる。
結いだ髪が揺れると、砂糖の甘い香りが、アルコール臭の中に混じった。
もう縁のない良い匂い。懐かしくてたまらなかった。
ああ、そういえばコイツ、何とかティーだとか、綿飴とか、甘い食べ物食うのも売るのも好きだったな。
コイツの店には結構な数の常連がいて、新規もよく入ってくる。
それもそうだ。よく試食を頼まれた。
コイツの作る物はどれも旨かった。
愛されるのも当然だ。
たまに奇をてらおうとして失敗した不味いゴミを出されたこともあったけど。
どうしたらこうなるんだって笑いながら、二人で頑張って食って……。
違う、駄目だ、なんでそんなことを思い出すんだ。
目を瞑り、息を止めて遮断しても、廻る懐旧は終わってくれない。
やめてくれ。
昔なんか思い出したくない。
過ごした過去を見せないでくれ。
帰りたくなってしまう。
何も知らなかった日々に、[[自由]]も[[糸]]も知らなかった日々に、失ってから知ったかけがえのない友だちの元に。
[[楽園]]よりも甘美で魅力的で。なのに楽園よりも遠くて、手が届かなくて、手立てもない、残酷な場所に帰りたくなってしまう。
「ヤメテ…離、、れ て」
発した声は、自分でも驚くぐらいにぎこちなかった。
頭がどうにかなりそうだった。もう既にどうにかなってしまっているのに、これ以上壊れたくなかった。
今でさえ、ひしゃげた心の痛みに耐えられていないのに、更に悪化なんぞさせられたら、もう[[NEO]]の夢を思い浮かべて逃避することも出来なくなってしまう……。
ふう、とアドソンが息を吐く。そしてオレからおでこを離した。
「……ごめんな! ベタベタ触っちゃって……」
声は明るかったものの、その笑顔にはかくしきれなかった悲痛が滲んでいた。
……傷付けてしまった。
彼の目に映る虚妄のオレを、ワタ94はやはり演じるべきで。
消費したくないってのは言い訳で、結局は耐えられないからが理由だった。自己満足の選択肢を選んでしまった。
でも、今更……。
妙な間が空いた後、彼は気まずそうに頭を掻いて、目を逸らした。
「オレさ、今ここがどこかわかんねーのよ……家まで送ってよ……」
「……まあ、いいでレょう……」
「歩けっかわかんないから、肩貸して……」
「アnタ [[適正サイズ]] ご存じか!? 届キませ! 冷ヤかレお断リ!」
「じゃ、手ぇ貸してよ……引っ張って……」
そう言って、桃色の手を差し出した。
手首を掴もうとすると、何故か避けられる。
……ふざけてんのか?
酔っ払いのしょうもない遊びは、酔っ払い同士でやるべきだ。キリがないし、しょうもない。
手を宙で止める。
すると、彼が突然指を広げ、オレの手を覆い被すように握ってきた。
タスクがマウスを襲う時のような、虚の衝きとスピード。
反応できず、まんまと捕まってしまった。
そんなに手を握って欲しいのか。手首じゃなく手を……?
……仕方がないので、大人しく従ってやることにした。
オレの足は短くなってしまったから、数歩でやっと彼の一歩になる。
そして、酔っ払いは踏み出すタイミングがめちゃくちゃだ。
規則性のない足音が、閑静な街に響き渡る。
いつもの癖で忍び足で歩いてる自分が馬鹿らしくなってきた。
普通に歩くようにすると、彼の足音は次第にオレの足音を標にして、不思議なリズムを奏でるようになった。
……どうしてか、悪くない。
妙に面白かった。
誰かと一緒にいるのは、それだけでこんな楽しかったのか。
彼と居れる時間が、酔いの奇跡がもたらした一瞬であることを何度も思い出しては、とても寂しくなってしまう。
ああ、もうバグでも起きて、オレの姿が昔に戻ってしまえばいいのに……。
とうとう彼の家の前に着いてしまった。
しばらく互いにぼんやりして、手を握ったまま、そこに立ち尽くしていた。
「ありがとう、もう大丈夫だ……」
「[[案内代金]] 5クローメ いただ ま」
「はい」
何も疑う事なく、彼は5クローメをポケットから取り出してオレの手に握らせてきた。
「ジョーダンでレたが……どーも」
どうせならもっと多めに吹っ掛ければよかったが……腹を満たせるなら何でもいい。
やっぱり返せと言われる前に、口に放り込んで飲み込んだ。
「……スパムトンさ、……」
「ハい? 何でショウ」
「……、……ありがとな! おやすみ!」
彼はそう言って、家のドアを開けようとした。鍵が閉まっているから開かなかった。
バランスを崩してへたり込み、……うずくまってしまった。
寝たのか? まあ家の前だ、もう放置してもいいだろう。
やっと食事を探しにいける。
HA HA HA、やっと、……。
……。
起きたら、彼はどこまで覚えているのだろうか。
もしかしたら全てを忘れているのだろうか。
話したことも、オレを昔の姿と勘違いしたのも、突然抱き締めてきたのも、手を繋ぎたがったのも……。
……考える必要はない。
今すべきは餓えを満たすことであって、それは[[BIG]]になって、[[自由]]になって、[[糸]]を断ち切り[[青空]]と[[太陽]]の下へと行くために、その日までに死なない為に必要なことであって。
コイツのことは、過去は、未練は、どうでもいい。
どうでもいいはずなのだ。
……。
「……おやsuみ なさ」
返事は帰ってこない。
やはり眠ってしまったようだ。
ここにいても仕方がない。
彼に背を向け、近場のゴミ捨て場へと行くこととした。
……ああ。
戻りたい。
戻りたい……。
あの日々に戻りたい。
何でオレはゴミを漁りながら泣いているんだ。
とっくの昔に覚悟したはずなのに。
何をどうしたって、もう戻れはしないのだ。
売れたのが嬉しくて、その話ばかりして皆から嫌われた。
[[彼]]がいるからどうでもいいと強がって、謝りにいかなかった。
今更謝ろうとしたって、皆オレを避けている。
こうして酒の力か何かで記憶を飛ばしてでも貰わなければ、誰とも話なんて出来ない。
そして、何より、オレは……[[自由]]を知ってしまった。
彼は[[自由]]を知らない。……だから[[不自由]]も知らない。
全てを教えられ、心が壊れた。自由を欲して、体も壊れた。もう直りやしない。今までのように生きていけはしない。
それにこんなボロボロのオレなんか、誰も……。
[[BIG]]に、[[NEO]]に、自由になりたい。
それしか道がないから。救いがないから。
この暗い暗い闇の世界に、居場所はどこにもない……。
口に押し込んだ生ゴミは、いつもに増して、ひどくひどく苦かった。
スパムトンに会った。
覚えてる。酒に酔ってたけど、アレは夢じゃなくて現実だ。
サングラス、身長、喋り方。
昔とは姿が変わってしまっているけれど、中身は、本質は、やっぱり変わっていない。
強がりで、意地っ張りで、どうでもいいところが真面目で、声がでかくて、すぐ大きさと結びつけて怒って、オレなんかを心配して助けてくれる優しさがあって。
嫉妬で無視してしまったのに。それを問われてオレたちなんか必要ないだろと突き放してしまったのに。
売り上げが落ちて追い出された時も、何かがあったのかボロボロで歩いてた時も、ゴミ捨て場で暮らしてるのを見てても、自分の気まずさを優先してしまって、何も助け船を出してやらなかったのに。
無視され返されたり、都合の良いサンドバッグとして殴られても仕方ないと思うのに。
館の人たちは「大切なモノを盗もうとした」って言ってたし、[[自由]]だとか[[操り糸]]だとか、意味を成さない訳わからないこと独りでに口ずさんでたりで、”禁句“ってことになってるけども……。
やっぱり一度話をしたい。
謝りたいし、話を聞きたい。
それに……、……。
アイツは本当に真面目で熱心な奴だった。異様なほどに売れなくても諦めなかったし、オレたちアドソンの存在意義である商談に、とても真摯に向き合っていた。
アイツがゴミ捨て場の奥に店を作って、壊れた広告看板を出してるのは……きっと、商談への思いは変わってない証拠だ。
意味もなく、商談の真逆をいく窃盗をするのだろうか。大切なモノって、……なんだ?
盗みも、あの状態も、何か訳があるのかもしれない。
……もしかしたらあの意味がないと思っていた言葉にも、意味があるのかもしれない。彼の呟く「[[BIG]]」の真意を知れるかもしれない。
謝りたい。戻りたい。
許されるのならば、昔のように、戻りたいのに……。
……またゴミ箱近くでひっくり返っていれば、近付いてきてくれるだろうか。