Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    kogure11235

    @kogure11235

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 3

    kogure11235

    ☆quiet follow

    添い寝フレンド燐あんちゃんです。
    全然進まない……うそみたい……

    1/fにゆらぐ体温(まだ電気ついてる?)
     シャワー室で汗をきれいさっぱり洗い流して、さて今日もいっちょギャンブルに勤しむかと廊下を引き返している途中のことだった。俺たちが借りていたレッスン室は、お開きになってから数十分経つというのにまだ明かりが灯っている。おや、と思ったがすぐに、解散後に交わした会話を思い出した。「あの、私、もう少しここに残っていいですか?」「いいけど……なんで?」「レッスンの記録、すぐに書いてしまいたいので」「あそ? じゃ、鍵はよろしく」
     仕事大好きなあのプロデューサーはまだあそこに居座っているのだろうか。へらっとした笑みの貼りついた顔を思い出す。薄く施された化粧の下にはしっかりと隈が潜んでいた。もはやいつものことだが、忙しくしているらしい。今回は疲れているのをきちんと自覚しているようだったが、自分でさらに追い討ちをかけているようでは意味がない。
     仕方ない。今日のところはギャンブルはお預けだ。
     はあ、と息をつき、まだ小窓から明かりのこぼれ出ているダンスルームに近付いた。ニキ曰く学校の音楽室のような防音扉を押し開けると、解散したときからさして変わらぬ場所にあんずちゃんは座り込んでいた。膝を立て、背を壁に預けながら少しだけ丸めている。膝小僧に額を押し当てているようにも見えた。もしかして、泣いているのか。
     泣いているのなら戻ってくるべきではなかったか。そう思ったのも束の間。項垂れていた頭が時折ゆらゆらと揺れていることに気付く。
    「……ああ、もう、なんだよ」
     どうやらうたた寝をしているだけらしい。いらない気を回したせいで一気に身体の力が抜ける。施錠もせずに、なんと無防備なことか。基本的に誰にだって愛想よく振る舞っているのだから、彼女をそういう対象として見ている男がこのビルにはわんさかいること、そろそろ自覚してほしいところだ。
    「あんずちゃん」
     名前を呼んで肩に手を置けば、伏せられていた睫毛が震えた。ぱちぱちと緩く瞬いてまぶたが持ち上がる。まだぼやけた瞳がそれでも俺を捉えた。
    「……天城さん……?」
    「うん、そう、燐音くん」
    「えっ!」
     寝ぼけた声だなあと思った次の瞬間には弾かれるように立ち上がっている。俺がしゃがみ込んでいるぶん高いところにある顔を見上げれば、いつか見た「しまった」の表情で唇を弾き結んでいた。うわあ、寝ちゃってたのか。小声ながらもそう言っているのが聞こえた。無防備なくせに、そういうところを見せたがらないって、矛盾している。
    「寝不足かァ?」
    「う、いえ……はい」
    「寝られねェってこの前言ってたけど、それ?」
    「はい、まあ……」
    「よし、わかった」
     追っていた膝に手を置き勢いよく立ち上がる。逆転していた視線が通常に戻って、俺が何を考えているのかさっぱりわからないといった顔をしている彼女の腰に腕を回した。
    「うわっ、なに! 何するんですか」
    「ん? 何って、イイコトに決まってるっしょ」
    「い……っ やだ、離してください、まだ仕事残ってるし……!」
     あんずちゃんを肩に担いでそのまま歩き出すと、腹側にぶら下がっている足がバタバタと抵抗を始めた。俺からしてみればどこもかしこも小さくて細っこい身体からの攻撃は、言ってみればないのと同じだったが、まあ、騒がれすぎるのはこちらとしても本意ではない。
    「下手に暴れっと落としちまうぞ〜」
    「え、ぅ……」
     腕の力を一瞬だけ弱めて拘束を緩めれば、本当に振り落とされるとでも思ったのかおもしろいほど簡単におとなしくなる。落とすなんて口先だけでしやしないのに。バカだなあ、と思い心の中で笑えばそれがほんの少しだけ口角に滲み出る。
     レッスン室を出るとある場所へ向かって迷うことなく歩みを進めた。突き当たりを右に曲がって、そのまま奥まで。いくつかのドアが並んだ場所まで来ると、空いた手でホールハンズをつつき部屋を借りる手続きを済ませる。この部屋の利用料は経費で落としてくれって言いたいところだが、「天城さんが勝手にやったんでしょ」とか何とか言ってぷんすかするプロデューサーの表情がありありと浮かんだので思うだけでやめた。否、本気でそう考えていたわけではもちろんない。
    「はい、とうちゃ〜く」
    「わ、とと……」
     あれ以来一言もしゃべらずおとなしく担がれていてくれたあんずちゃんは、とんっと足が地面につくなり落ち着かない様子で視線を彷徨わせた。「仮眠室……?」と掠れた呟きが落ちる。そう、ご名答。ここは仮眠室だ。おそらくあんたも御用達の。
    「あ、天城さん……?」
    「ん?」
     俺を見上げる顔が青ざめているように感じるのはきっと気のせいではないのだろう。しかしどうしてこんなに怯えられているんだ? 俺っち何か怖がらせるようなことしたっけ? ああ、なるほど「イイコト」って言ったからよからぬことを考えちまったわけか。まあ、そうとも取れる言い回しをわざわざしたのは紛れもなく俺っちだけど。
     薄い肩を押せばよろけて簡単にベッドの上に尻をついた。キュ、とわずかにスプリングが鳴く。彼女が唇を噛む。一歩近寄ればのけぞるように身体が傾く。もう半歩、するとさらに彼女も身を引いて——そのまま仰向けに倒れ込んだ。その顔横に片手をついて見下ろせば俺の影の中で青色の瞳がゆらゆらと揺れている。あーあ、怯えちゃって、かわいいの。でも残念、俺っちの目的は「それ」じゃねえんだよなァ。
    「一時間くらい寝ろ。残業は好きにすりゃいいけど、話はそれからだ」

    「は、」
     ぽかんと開いた口が塞がらない。きっと天城さんには私が「何を言っているのかわからない」顔をしているように見えていることだろう。だって本当に、彼の言葉はほとんど咀嚼できていない。
     ぼふんっとベッドに倒れ込んだ反動で脳が揺れ、まだ鼻の奥がツンとしている。さっきまで嫌な音を立てていた心臓は、しかし天城さんの予想外の発言によりどう動けばよいか迷った様子でわずかに拍動を緩めた。
     このひとの考えを正確に読み取れたことが、一度だってあっただろうか。
     目をぱちくりさせている間にも私の身体はきれいにベッドの中に収まって、肩のあたりまでブランケットをかけられている。肌触りのよいなめらかな布地がワイシャツの上からふわふわと触れて、あたたかさにほんのりと包まれる。
    「ちゃんと寝ろ。身体に障る」
     言いながら私を見下ろす彼の表情は薄明かりではよく見えなかった。ただ鼓膜をそっと撫でる低い声は不思議と心地よくて、警戒でガチガチに固まっていた心がほぐれていくようだ。……勝手に氷解してしまっても困るけれど。
    「あの、私なら平気なので、」
    「その顔色で言われても説得力ねえんだよ。あとひっでェ隈」
     化粧の下に隠したはずの睡眠不足の証をあっけなく見つけられ、気まずさに思わず目を逸らす。一度気になってちらりと視線を戻してみたけれど、天城さんは変わらず鋭いまなざしで私を見ていた。こういう目をしているときの天城さんは、もう私が何を言おうと聞き入れてくれないと、付き合いは短いながらも経験則でわかっている。そのまま、もうどうにでもなれの思い半分に目を閉じた。
    (寝ろって言われてそれで簡単に眠れるなら、苦労なんてしないよ)
     疲労はべったりと身体にくっついているが、眠りはもう遠くへ逃げてしまっている。うたた寝までしてしまったというのに。たぶん眠れないな、というのはなんとなくわかっていた。けれどこのひとは私がおとなしく目を閉じなければ納得しないだろうなとも思ったのだ。
     鼻から息を吸い込む。そして、肺を巡らせて唇の隙間から押し出した。ドッと心臓が鈍く脈打つ。肺や心臓をぎゅうと押さえつけられているように呼吸がうまく巡らない。自分の動悸が耳いついた。息づかいが煩わしかった。
     やっぱりこうだ、と諦めまじりにまた息を吐く。
     疲れているのに眠れないという焦りが私を苛むとき、決まって動悸に襲われた。それが耳について余計に眠りが遠くなるからもうどうしようもなかった。そういうものだと思って諦めようとしている。
     ベッドに浅く腰掛ける天城さんに背を向けるように横を向いた。
    「目閉じて横になってるだけでも違うもんだぜ」
    「……」
    「でも、身体的問題だけじゃねえよなァ、こういうのって」
     何を知った口をきいているのか。そう腹立たしく思わないでもなかったが、怒りを彼にぶつけたところでますます神経が冴えてしまうだけだ。いいことにはならない。
     寝具からホテルよりももっと温度のない、しかし清潔な匂いがする。パリッとしたリネンは頬に当たると少しかたい。なんだか突き放されているみたいだなあと思うのはさすがに悲観的になりすぎだろうか。
    「眠れない?」
    「……」
     私は答えなかった。無視というよりはどう返すべきか迷っていた。その数秒の空白を彼はどう受け取ったのか。突然きゅっと音がしてベッドが揺れ、ひとりぶんの重みがそこから消えた。なんだろう。ようやく帰る気になってくれたのかな、天城さん。そうやって自分の都合のいいように解釈しようとしたけれど、さすがに物事はそこまでうまく進むものではなかった。
     またベッドが揺れる。そのひとの動きに合わせてコイルマットレスが跳ねる。ブランケットがめくられ背中に触れた空気がひやりとした。その隙間を埋めるように少し低い体温が合わさって、それが天城さんそのひとのものだと脳が認識すればドッとまた心臓が鳴る。
     やっぱりこのひと、何考えてるかさっぱりわからない。
    「な、に」
    「力抜いて、あ〜ベッドとひとつになっちまうなァって思ってりゃいいんだよ」
    「は……?」
     それだけを言うと、天城さんは口を閉ざした。いつもの賑やかしさが嘘のようだ。ああでもこのひとだっていつ何時もやかましくしているわけではないのか、当然ながら。静寂の中で私だけが取り残されてしまった。
     天城さんの静かな息づかいが聞こえてくる。不思議なことに、自分のものとは違って煩わしいとはまったく感じなかった。その規則正しさに寄り添うように息を吸って吐く行為を繰り返せば、次第に胸が凪いでいく。言われた通りに身体の力を少しずつ抜いていった。まずは肩、そして腕。順に下がっていって足先まで。
     とろりとまぶたが重くなった。背中にじんわりとあたたかさが滲む。どこにも行けずに身体の中に蓄積されていた疲労がとろとろと溶け出す。腕も足も、身体の全部が湯煎にかけられたチョコレートみたいに溶けて形をなくしてはベッドに沈んでゆく。あ、これ、たぶん寝られる。そう感じたときにはすでに、私の意識はほとんど夢の中へ旅立っていた。

     意識が眠りの底からぷかぷかと浮き上がっていく。水面に顔を出せば眠りから覚めるのだとわかった。けれど持ち上げようとしたまぶたは依然重く、開いたと思ってもすぐにまた閉じてしまう。夢とうつつを行ったり来たりするような微睡みはいつまでも溶けていたいと思うほどに心地よかった。あたたかい。安心する。それはまるで、幼い頃、母が一緒に眠ってくれていたときのような……。
     その感覚があんまりにも懐かしくて私はそばにあるぬくもりに抱きついた。私のではない鼓動が聞こえてくる。寄せては返す波のような音とほんのり伝わってくる振動に、また眠気に誘われてゆく。浮き上がってきた羊水のような場所を緩やかに沈んでいく。水底で目を閉じる。ゆっくりと呼吸を巡らせれば、やさしい匂いがした。
     
     ——ああ、よく寝た。
     目が覚めた。今の今まで眠りに身体を浸していたのが嘘のようなすっきりとした覚醒だった。壁掛け時計を見てみればあれから一時間半ほど経っている。そんなに長く仮眠をとるつもりも、そもそも眠るつもりでもなかったのだけど、思っていたよりも寝こけてしまったらしい。不覚だ。でもそのおかげで身体は嘘のように軽かった。手首や足首にぶら下がっていた錘がすべてはずれたような。頭にかかっていたもやも晴れ爽やかな気分だ。
     今、私の隣に長身の男が眠ってさえいなければ、複雑な思いを抱くことなくただよかったと思うだけで終えられるのに。
     こんな状況でぐっすり眠ってしまえるとは、私の判断力も相当鈍っていたようだ。普段ならこんなことには絶対ならなかった。疲れていたとしても仕事中に居眠りはしないし、易々と抱え上げられることもなかったはずだ。それに仕事相手と、しかも異性と同じ布団の中で眠るなんて。これはたぶん、今まででいちばんの失態だ。仕事のミスよりも何よりも。
     天城さんを残してそっとベッドから抜け出す。パンプスを履いて両足で立てば、身体の軽さをよりはっきりと感じた。ああ、悔しい。くやしいなあ。
    「……今度、お礼しなくちゃ」
     とはいえこれは感謝もあれど彼に借りを作りっぱなしにしないためでもある。土下座の写真を使ったときみたいに脅されるのは困る。そんなことはもうないと信じたいけれど、絶対にないと言えないのが天城燐音という男の恐ろしいところだ。
     しかしこれでまた夜に眠れるかどうかが心配になってくる。今ここで仮眠をとってしまったというのも理由のひとつ。けれどそれは主たるものではない。
     隣に誰かの体温があるだけでこんなにも穏やかに眠れるなんて、知らなかった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏💕🙏😍😍🙏💖💖💖❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator