ふたりだけのストレス解消法(耀玲)「これ美味しそう。あ、でもこれも捨てがたい! でも今だったら二つとも余裕で食べられそうな気がするから、両方買っちゃおうかな……」
世間が寝静り、人の気配が薄くなった時間帯にふらっと立ち寄ったコンビニで。目についた商品をカゴに入れる手がとまらない。
ずっと気になっていた秋の新作のお菓子も食べたいし、夏の暑さも残っている今日はビールで喉を潤したい。それに疲れた身体には糖分が必要だ。
棚から視線を上げれば駄目押しのようにレジの前に置いてあったホットショーケースが目に飛び込んできて、間の悪いことに揚げ物がきらきらと輝いている。
こんな時間に食べたら絶対に身体に悪い。そう分かっているのに会計時にポテトと唐揚げを注文するなどして、健康への配慮は葛藤をみせることなく一瞬で終了した。
(忙しい一週間を耐え抜いた自分へのご褒美だから、健康とかダイエットとかは今日は気にしない気にしない!)
実際のところ、ここ一週間は仕事が忙しくてご飯もちゃんと食べられず、睡眠時間も途切れ途切れにとっただけ。
そんな中、ようやく訪れた休日をまえにストレスが爆発したのだと思う。
コンビニを出る頃には、女性一人が食べるとは思えない量の食べ物の入ったビニール袋で両手は塞がっていた。
(深夜に、自らの身体を傷めつけるようなカロリーの暴力の数々! この背徳感がたまらない……!)
ローテーブルに並べたのは、先ほどコンビニで購入した食べ物だった。自然と口元がゆるんで、フォークを握る手にも力がはいる。
一人前どころか三人前はありそうな量を前にして、疲れと寝不足からかテンションが少々おかしい気もするけれども、もう気にしない。
さて、なにから食べようか。でも、とりあえず一口目はビールだろう。今週もお疲れさま自分!
目の前に広がるのは自分の好物。その光景にこくりと喉を鳴らしたところで、ふとローテーブルの向かい側に耀さんの姿が無いのが寂しくなった。いつも食事をするときは向かい側が耀さんの指定席になっている。
本当ならば今晩は一緒に食事をとる予定で、仕事が終わったら耀さんのマンションへ向かう約束をしていたのだ。ところが蓋を開けてみたら二人とも仕事は終わらず、先に耀さんのマンションにたどり着いたのは私。
せめてマンションに向かう前に食事は済ませたいと思っていたのだけれど、終電に乗るのがやっとでマンションの近くの飲食店はどこも開いていなかった。だからコンビニで食べ物を買いこんで、耀さんのマンションで食事をとらせて貰うことにしたのだ。
「耀さん、まだ時間がかかるのかな?」
LIMEを確認するけれど新着メッセージはない。
家主不在の部屋でとる食事に一抹の寂しさを感じながらも、お腹はそんなことはお構いなしで低い唸り声をあげ続けている。
仕方ない。とりあえず食べよう。
握りなおしたフォークで唐揚げを口にいれた瞬間、間の悪いことにリビングの扉がひらいた。
「……おやまあ。夜中に随分とジャンクな食事してるねえ」
「!? ぶほっ、ごほ、ッ、げほ……!」
突然の家主の帰宅に、LIMEで先にお邪魔していることは伝えてあったものの、なんとなく自分が悪いことをしている気になってしまうのは何故だろう。
おそらく心のどこかで、こんな時間にこんな食事は身体に良くないと理解しているからだ。あとは大量のジャンクフードを前にして、なけなしの乙女心が気まずさを感じている。大人しく海藻か豆腐のサラダにでもしておけば良かった。
慌ててコップの水で流しこめば、目のまえには顔に疲れを滲ませたような耀さんの姿があった。
「す、すみません。お邪魔してます。それと夕飯を食べる時間がなかったので、テーブルお借りしてます」
「はいはい。合鍵渡してあるんだから、ご自由にどーぞ」
そう言って耀さんは薄手のジャケットを脱いで椅子にかけ、ネクタイをゆるめる。そしてローテーブルの上を一瞥し、口元がなにか言いたげな形を描いた。
流石にちょっとこの量は呆れられただろうか。
「えっと……?」
「……ねーえ? なんでストレス食いする人が多いか知ってる?」
「え? ストレスが溜まるとノルアドレナリンが増えて食欲が増すからじゃないんですか?」
「それもあるけど、食べるだけでストレス発散させることができるなら、他のことでストレス発散するよりも一番手っ取り早いからねえ」
「なるほど……?」
「で? 玲はなんでこんなに大量に食べ物を買い込んじゃってるの? 玲には他に効率的にストレス発散できる方法があるでしょうに?」
「他に、ですか?」
こちらを向く耀さんの目がすうっと細められて、何故かすこしだけ責められているような気持ちになる。
勿論、運動したり趣味に没頭できたらストレス発散になるだろう。けれどもいま耀さんのいう効率的なストレス発散方法というのは、それらではない気がした。
ヒントを求めて耀さんの顔をじっと見つめてみるけれど、答えなんて見つかるはずもなく首を傾げる。
すると耀さんは私の傍に腰をおろして、ちょいちょいと手招きをした。そして両手を広げた。
その差し出された空間は私一人が耀さんの胸にすっぽりと収まりそうな広さだ。
「はい、どーぞ」
「??」
なんのことか分からず戸惑う私の腕をそっと耀さんは引き寄せて、私は誘われるがまま胸のなかに倒れこむ。
耀さんの香りに混じる煙草の香り。それは他の誰とも一緒ではなくて唯一無二のもの。慣れた香りが私の心をゆるませていくような気がした。
そして私よりもすこし低い耀さんの体温は、抱き合ってすぐは私の体温と混じりあうことはなくて、耀さんの存在をより感じられるのが嬉しい。それに時間が経つにつれて次第に体温が混ざりあい、一緒の体温になっていく感覚も好きだ。
耀さんの腕のなかにいると、一週間の疲れがふわりと溶かされていくような気がした。
急な甘やかしに心も溶かされ、額を耀さんの胸にぐりぐりと押しつける。すると笑うような声とともに、やさしい言葉が耳もとに降ってきた。
「好きな人に抱きしめられると幸せホルモンが出てストレス緩和になるんだけど、どーお?」
「……めちゃくちゃ、疲れがふっ飛びます!」
遠まわしではあるけれど、ストレス発散するなら自分のところまでおいでと言われているようで、思わず頬が緩んだ。
一緒に耀さんのストレスも緩和されるといいなと思いながら、耀さんの背に回した腕に力がこもる。すこしでもこの人の抱えている物が軽くなりますようにと願いながら。
どれくらい、そうしていたのか分からない。暫くして、どちらからともなく抱きしめる腕を緩めると、耀さんが不意に私のお腹をむにむにと摘んだ。
「ぐえっ!?」
「ねーえ? すこし痩せたでしょ」
確かに多忙を極めたこの一週間でストレスで体重は減っていた。お腹のお肉が減ったのは喜ばしいが、同時に貧相な体型が更に貧相になっていったことに気がついていただけに、居た堪れない気持ちになる。
耀さんのことだから、きっと抱きしめたときに気がついていたのだろう。耀さんが揶揄うように鼻先を擦り合わせながら口をひらいた。
「お互い仕事が落ちついたから暫くは会える時間もとれるだろうし、幸いにも明日は休み。すぐに、ふくふくにしたげよう」
そういって私の服の裾に無骨な手のひらをそっと忍ばせて、耀さんは楽しそうに口端をあげたのだった。