舞姫の二次創作(豊太郎←相沢) あの時、相沢は焦っていた、ように見えた。
久しぶりに一緒に食事をした時、私はエリスとの関係を相澤に打ち明けたが、彼は別れろと言った。彼曰く、このエリスに対する恋情は惰性から来るものだと言ったが、まだ直接彼女にあってすらいないのに、なぜ彼があのような発言をしたのか、私には未だによく分からずにいた。天方大臣に雇われる彼の人を見る目は人一倍に優れているはずだ。そんな彼が彼女に会わずそんな発言をすることが、今になってみれば彼らしくないと思ったのだ。単に無意識に彼が私に、勉学に一筋である豊太郎という理想像を押し付けていただけかもしれない。もしそうなら一種の執着に似たものを感じるが、これが彼が焦っていた理由になるとは全く結びつかない気がした。
それでは、相沢にはなにか早く帰国しなければならない事情があったのだろうか。
だけどそれではおかしな点が出てくる。なぜなら私が倒れた数週間は私や彼女の世話をしてくれていたからだ。つまるところ、何かを犠牲にしてでも即刻帰国しなければならない事情が彼にはなかったことになる。更に天方大臣が私の回復を待ってくださったことから、私にエリスとの関係に区切りを入れる余地があった可能性があったかもしれないのだ。それでもなお、彼は共にできるだけ早く帰国できるようにことを運んだのだ。
何が彼を焦らせていたのか。
この時、ふと私の頭にはあの愛しいエリスが脳裏に浮かんだ。私の帰りを待ち遠しく思い、早く仕事が終わり帰宅するのを願う彼女。私との帰国を切望し、私を気にかける親友の彼。この2人の姿が重なった。
瞬間、
「豊太郎」
突然の後ろからの呼び掛けに驚いた。この声は彼に違いなかった。
「ここで何してるんだ、そろそろベルボーイが来るぞ。迷惑をかけてしまう前に早くここを出よう。」
振り返るとやはりそこには相沢がいた。この時ばかりは、自分の交際経験の浅さに後悔をした。こういう時はどのような顔をすればいいのか。いや、暗くて顔なんてまともに見えやしないが、たいそう居心地悪い気持ちがした。私の事情など知らぬ彼は、親切にも私を補助しようとしてくれているのだろう、手を差し出していた。
「少しばかり考え事をしていた。そうだな、早く宿舎に戻ろう。」
私は彼の手を借りることなく立ち上がり、宿舎に向け足を進めた。
露西亜で体験した寒さよりは遥かに過ごしやすいが、今夜は肌寒く、海風が吹いていた。空は曇っているらしく、月がぼんやりと顔をのぞかせ、その光はじわりと周りの雲に染み込んでいた。私は相沢の後ろを歩く。居心地の悪さは以前変わらないが、こうして2人きりで会うことが久々に感じられ、ほんの少し懐かしい気持ちになる。
「考え事って、やっぱりエリスのことか」
しばらく歩いて宿舎までの道のりの中程で、ふと、相沢がポツリとそう呟いた。彼は依然として前を向いたまま歩き続けている。
確かにそうだが、直前まで頭を悩ませていたのは今目の前にいる彼が原因である。それも彼が私を慕っているという、直接聞くにはデリケートな考えにたどり着いてしまったなんて、口が裂けても言えない。けれども、彼の本心が知りたいのも事実である。私は彼を自分勝手な野郎であると思っていたが、私も相当利己的な野郎なのかもしれないと思ったのだ。多少の恨みがあるにせよ、彼は私の親友であり、親友である私は彼としっかり向き合わなければならないと思ったのだ。傷心の身であるために直接聞く勇気は、今は持てないが、今後のためにも、彼を欺き、彼の気持ちを推し量ろうとするのはきっと神は許してくれるだろう。
私は歩みを止め、俯きながら独りごつように言った。
「そうだな、何度刺すような寒さを思い出しても、やっぱり私はエリスのことを愛していたらしい。」
少し冷たい風が私と彼の間を吹き抜けた。今夜は生憎、月がぼやけている。空気が揺れた気がして彼の方をみる。相沢はこちらにからだを向けていた。
「すまなかった。」
月が隠れてより一層夜の色が深くなる。遠くの街灯だけを頼りに彼の顔を見つめたが、表情はよく読み取れない。けれども、やけに凛とした、彼の声が耳に残る。彼は、私が何を聞きたかったのか察しているのだろうか。彼の謝罪がまた別の意味を含んでいるのだろうか、怖くて聞けない。言葉が喉に詰まり、返事ができない。
それを察してか否か、彼は前に向き直して歩き出す。鼻をすする音がして、今夜は冷えそうだな、また風邪ひかないようにしろよと揶揄うように相沢は言った。
私だけは小心者から変われていないようだ。