四人飯「久々だよな~今どうしてる?」なんて他愛もない話をしながら、藤澤と話している時間。振り返れば、あの時が一番平和だったと思う。
「萩原さん、少し遅れるって」とラインの謝っているスタンプを見て、藤澤にも伝えておく。藤澤が「はぎわら?」と呟く。「あっ知ってる?俺とも仲良くしてくれてるんだよ」と言った時の藤澤の顔。「ごめん、待たせて……」とタイミングよく合流した半井の顔。その背後から走ってくる萩原さんの顔。
全員同じ顔をしていた。言葉にするなら、なんだろ。そうだな「この世の終わり」、とか。
「いや~~あんなに混んでると思わなくて!ごめんな、俺が予約してなくて!」
「全然いいっすよ、話せるならどこでも!ここも美味そうですね!」
萩原さんの持つメニュー表に視線を落とす。本来行く予定だった立ち飲み屋は、想像以上に並んでいて、ものの数分で諦めてしまった。というより、俺と萩原さんは待てたと思う。だけど半井と藤澤が嫌そうだったので、そばのイタリアンに決めたのだ。
「半井さんが好きなお店でいいですよ」と萩原さんは言った。藤澤は「というより、向こうの方が、整の好きなものは多いだろうな」と言った。半井がなにを言うべきか、明らかに言い淀んで、考えた末「たしかに」とだけ言った。
どうしてこの二人、お互いを空気のように扱っているんだろう。藤澤と萩原さんは「はじめまして」をするわけでもなく、自然と三人という形を取った。ということは顔見知りだったわけで、なのに険悪で……なぜだ?
「満席だったんだな。まあ、とりあえず座れて良かった……」
案内された席の、一人椅子を陣取ったのは俺だった。ほぼ真っ先に駆け込んだ。萩原さんと藤澤の間になりたくなかったからだ。代わりに三人掛けソファの真ん中にいる半井が、重い口を開く。
「……地獄?」
「そんなことないですよ。平岩さんと会ったの久々だし、ね」
「うんうん。料理も美味そうだし」
「店の話じゃなくて、よりによって三人掛け」
「まー席もフカフカだし?おしゃれっすよね!いや〜知らなかったな〜」
明らかに気を遣っている萩原さんの笑顔が眩しい。藤澤が全く喋らないことも気になる。
「あの、まず……藤澤は俺が誘ったんだ。この前久々に電話した時、半井とあんまり会えてないって言ってたから、今日来ればいいんじゃないかって……」
ごめん、と口が滑りそうになる。それでは藤澤に失礼だな。ここはとりあえず飲み込む。
「そうだったんだ。いいよ全然。俺たちももう大人なんだし、大人げないことしないから、今は色んなことに目をつむって、楽しく過ごせると思うし」
半井の言葉は二人にくぎを刺している。自分を挟んで、両脇に座っている男たちに。
「同窓会のようなものだろ。このメンバーなら」
「萩原がいるから違うよ」
「そういえばいたな」
「和章、意地悪って言うんだよそういうの」
半井が包み隠さず言う。
「もう大人げないことしないって、さっき約束したよね。今日は楽しく過ごすって」
「そうだったか?」
「昔は昔のこととして、この瞬間から未来を見ようって、ドラマでも言ってた」
「あ、昨日ですか?俺も見ましたそれ」
「たまたまあってたんだよ。結構面白かったし。平岩知ってる?萩原何話から見た?」
あ~あ~藤澤を一人にするなよ、と内心思った。大学の頃からいつも二人でいるところしか知らないから、違和感を覚えてしまうのかもしれない。置いてけぼりになっている藤澤がますます不機嫌になっていく。
「整」
「ん?」
「昔の概念は人による。本人にとって今なら、まだ昔になってないだろうな」
「たしかに」
「時計は進むじゃないですか、立ち止まりたいけど、止められないものなんですよね」
「うん」
「整、急いでばかりだと見失うものもある。立ち止まり振り向くことも重要だからな」
「半井さんが見たいものを見れば、今はそれだけで良いと思いますよ」
「刹那的な生き方にはそのうちぼろが出る。整にはわかるよな」
「俺に言ってるんですか、さっきからっ!半井さんのことはよくわかってます!」
「以外に誰がいる?どこに五人目がいるんだ」
「……こうなるの二回目なんだ。もう放っといていいから」
深く腰掛けていた半井が、前のめりの姿勢になる。俺もついでに同じ格好をして、「そうかあ」と砂糖なしのコーヒーをがぶがぶ飲む。
「よく分かってる?ついさっき、整の好みの店も分からなかったくせに?」
「平岩さんが選んでくれたんすよ、どっちでも良かったじゃないですか!」
「最近知り合ったばかりの奴に整のなにが分かるんだ。勘違いも甚だしい」
「それ前も言ってましたけど、大事なのは月日じゃないんで。すでに知ってることより、これから知れることなんで!半井さんに教えてもらうので!」
言葉尻が強く、萩原さんが立ち上がりそうになる。半井に「落ち着けよお前も」と言われて、深呼吸をした。なんだかつられて、俺までしてしまう。
「……突っかかるにしても言い方があるじゃないですか。喧嘩腰なんすよ最初っから」
「今は楽しい同窓会をしているんだ。喧嘩なんてしたこともない」
「分かった、やっぱりそういう人だったんですね。そうしてきたんですか?今までもそうやって半井さんを虐めてきたんですか?」
「するわけないだろう。今、整を困らせているのは俺とお前も同じだろうけど」
「あんたと俺を一緒にしないでください!!」
「……どこかで聞いたことある台詞だな、俺もお前と整を一緒にしたくないと思った時がある。詳しく聞きたいか?」
黙っていた半井がぽつりとつぶやく。
「ちょっとセンシティブ」
「えっ?なんすか?」
「ワンクッション。ごめん、少し和章と話ししていい?すぐ終わらせる」
完全に萩原さんに背を向けている半井が、藤澤と小声で話している。残された萩原さんが、悔しそうにアイスコーヒーを胃に入れる。藤澤が「ごめん」と言っているような気がした。藤澤って謝るんだなあ、あんなふうに。
「……なんでもない。もう気にしないで」
「気になるじゃないですか。なんで俺に秘密にするんですか」
「まあまあ、帰って話すから」
萩原さんはまだ、納得いかない顔をしている。
「和章ももう意地悪しないで、普通に話すればいいじゃん。平岩とも久々なんだし」
「してない」
「してますよ、ずっと」
「そうだとしても、どうして俺がお前に意地悪をする必要があるんだ」
藤澤がここぞとばかりに萩原さんを見る。二人が視線を合わせるのは、今日初めてのことだった。続きに藤澤がなにを伝えたいのか、予想できているのかもしれない。半井がなぜか緊張している。
「和章」
「俺から意地悪されることに身に覚えがあるのか?例えば、ここでは言えないようなことでも?」
萩原さんのヒートアップしていた熱が、一気に下がる。あ、終わった。半井が恐れていたのはこれなんだろうか。萩原さんと同じように、半井も言い返せない内容なのかもしれない。黙ってしまった二人を見て、思う。
「……不本意だけど、ようやく終わった」
「みたいだな。ちなみにその間サラダとピザがきた」
「ごめん。二人がうるさくて」
「いいや全く。楽しいよ……楽しい?楽しいとは違うけど、会えてうれしいよ」
なにがあったんだ?という言葉をかけないのは、真ん中の半井を困らせないためだ。もう喉元まで来ている。何があった?半井に関すること?聞いていいならとっくに言ってるよ。
「このサラダのドレッシング美味いなぁ」
「レジで買えるらしいよ」
「いいなそれ。でもこういうの、買って帰ると食べないんだよなぁ」
俺が言うと半井もわかる、と笑う。
「これなら前、一緒に作ったことがあるな」
藤澤は美味いとは言わなかったけど、満足そうな顔はしていた。たぶん好きなんだと思う。昔からわかりづらいから、藤澤のことは半井に聞いた方が早い。今はどういう関係なのか、知らないけど。
「うん。もっと胡椒入れた方が良かったかも」
「レモンもな。材料が足りなかっただろう、きちんと調べておけばよかった」
「あれはあれで美味しかったけどね」
今度は一人になった萩原さんが不服そうな顔をしている。三人で仲良くできないものだろうか。関係ない俺が言うのもなんだけど。
「……でも最近、半井さん温野菜にハマってますよね。せいろとか」
「そうそう。平岩知ってる?冷蔵庫の余りもので、簡単におかずができちゃう話」
「へえ~!美味そう」
「せいろなら、その下に茶碗蒸しも作れるから便利だな。一石二鳥で時間短縮になる」
断固として真ん中を向いていた半井の体が、ほんの少し、藤澤の方を向いた。
「いいねそれ。休みの日にしてみようかな」
「メールで送ってやろう、レシピなら家にあるし、整に食べさせたものもある」
「あーあれ美味かった。ありがとう」
「……今度の休み、仕事ないから一緒に作りましょう。俺も茶わん蒸し食べたいです」
萩原さんが笑顔で言う。攻めたなあ、と思った。そっか、萩原さんも半井のことが好きなのか。どういう意味の好きかは分からないにしても、その部分で張り合っているような気がする。いくら鈍感でも、それくらい分かる。
「いいよ。もしかして材料って必要?」
「ああ。全部うちに揃ってるから、運んでやろう」
「えっ?買いますよね、半井さん。これからもきっと作ることはあるだろうし」
「整、意外と難しいし手間がかかるんだ。試しに作るなら、俺のでいいんじゃないか」
「二人分なんだし、ひとまず揃えておけば料理の幅も広がると思いますよ。半井さん」
藤澤が呆れた表情でフォークを握る。
「……二人分なんて図々しい」
「どうせなら二人分作ったって同じじゃないですかっ、材料も買ってあるんだし!」
「手間がかかる。俺は整の手を煩わせるようなことはしないな、しかもわざわざ休日に」
「俺たちは違うんです!もう藤澤さんは口出ししないでくださいっ、俺たちはなんでも二人でやりたいし、やってきたんです!」
「へえ、彼女には言えないようなことも」
やはり萩原さんはここで黙る。なるほど。半井と内緒で、誰にも言えないようなことをしちゃったのか。って例えばどんな……?
「わかりますよ、言われて当然なんですけど、もうやめてもらえませんか。こういう時毎回持ち出してくるの!半井さんだって困らせてるんですよ!?」
「萩原声が大きい」
「チクチク言葉って言うんです、そういうの。知らないでしょうけど」
「必要ない。次元が違う」
「その次元で半井さんも働いてるんですけどどうなんですか?」
「職種の話はしてない。根本的に人間の質が違うだろ、同じにするなおこがましい」
「どっちが上とか下って話ですか?なんでいつも俺を下げなきゃ気が済まないんですか!?」
「なぜだろうな、小さい頭で考えたらどうだ。何度も同じことを言わせるな」
「ごめん。ほんとに気にしなくていいから、好きで喧嘩してるし」
「そうか?」
「そういうことにしといて」
「うん。うんうん。そうだよな。生きてると色々あるよなぁ」
「そりゃ言えませんけど、言えませんけど理由があったじゃないですか!逃げるんですか!?自分だってひどいことしてきたのに!?」
「それは謝ったし解決している。これは俺と整二人の問題だ。赤の他人が口出しするな」
まだ二人はモメている。ギャンギャン喚いている大型犬二匹の間で、「はいはいもうわかったから」「それ以上余計なことは言わないで」と主人は美味そうにピザを食べている。
「コーンの方も美味いな。真似してみよう」
「うん」
「意外といいお店だったね。偶然出会えたけど、入ってみて良かった」
「そうだなぁ」
「平岩、なにも聞かないでくれてありがとう」
「ん、あ〜いやいや。ぜんぜん」
半井の堂々たる姿は諦めているというか、慣れているというか、肝が座っているというか……大学の時とも少し違う。こう見えて今二人の手綱を握っているのは半井なんだろうか、なんて、冷めたピザを食べながら思っていた。