走榊 あんなやつの、どこがいいんだか。榊はあえて視線を送らないよう、窓の外を見つめる。よりによって自分の教室の前に、蔵原と見たことのない女子が立っている。蔵原はこちらを見ているから気づいていないが、女子の後ろ手には菓子箱が握られていた。正しくバレンタインのチョコを渡している現場、というわけだ。
ラッピングからして、義理チョコにも見えない。どうせ本命だろう。あいつのことだ。肩に掛けているバッグにも、たくさんの本命が入っているに違いない。……まあ、俺だって本命のチョコの二つや三つ貰ったし。あいつ程ではないが、それなりにモテる。別に羨ましがっているわけじゃない。
ただ無口で仏頂面、なにを考えているのかよく分からないあいつの、一体どこがいいんだか。女子は、足が速けりゃ誰でもいいのか。
「今年もモテモテだなぁ、蔵原くん」
「……お前も貰ってただろ」
「本命はお前の方が多い」
いつもは足早に去っていく走が、今日は立ち止まっているもので、榊も足を止めてしまう。なにか言いたげな表情だ。榊は窓に背をつけ、言葉を待つ。
「俺に」
「は?」
「俺にチョコはねえのか、今年」
と呟いたとき、去年のバレンタインの光景が蘇った。そういえば……あの頃はまだ高三の先輩がいたので、親の作った生チョコをタッパーに詰めて持ってきた。どうせ冷蔵庫に置いたまま、毎年全て食べきれない。早く消費して欲しい、との思いで持っていくと、蔵原がその三分の一を持って帰った。
「ああ、生チョコそんなに好きなのか?女子の手作りの中にもあるだろ」
「いや」
「あるって。レシピ見たけど、簡単だぞ。なんなら自分で作れば?」
走は視線を合わせようとしない。ちらちら逸らし、無駄に空を見上げている。
「……バレンタインってそういう日だろ」
「どういう」
「貰うっていう、好きなやつから、チョコを」
掠れている言葉はちぐはぐだった。あいつの台詞はいつも、感情的なのに不器用だ。本当はきっと、伝えたい台詞の一文しか言葉にならないのだと思う。それなのに、いつも真っ直ぐに伝わってしまうのだから。この早鐘を打っている心臓に。
気づかなくて良かったことにすら。榊はぽかんと口を開ける。それを見た走は踵を返し、「じゃあな」と言って自分の教室へ向かう。……なにが、じゃあな、だよ。榊は廊下に蹲り、真っ赤な頬を両手で隠す。鞄の中から(今年は丸めてあるのでトリュフ)チョコのタッパーを取り出し、今年は走にだけ食べて欲しい、と素朴に思っていた。