クロックムッシュのためいき 卵は「完全栄養食品」と呼ばれ、ビタミンCと食物繊維以外の栄養成分をすべて含んでいる。こいつさえあればどうにかなる、そんな思いでいつもアイツに採れたてを押し付けていたものの。
「全ッ然、食ってないじゃないか!」
朝日よりも少し早めに起きて、苦いコーヒーを挽きながら――このミルも買ったのはオレさまだ――全身の気怠い甘さに包まれ寝ている愛しの人に、豪華な朝食でも作ってやろうと冷蔵庫を開けてみれば、卵が八個、狭そうに身を寄せ合っていた。
採れたての美味しさについて、今一度知らしめてやらないといけない。しかしそれは、今ではない。今出来ることは、今日一日のスケジュールもみっちり詰まっている彼の腹を満たせる、思わず目を覚ましてしまうような、そんな素晴らしい朝食を用意してやることだけだ。
卵を四つと(多いかと思ったが、腐らせるよりよっぽどいい)、牛乳、バター、チーズにベーコン。シンクに並べて、ボウルと泡立て器を探す。それらは前回オレさまが使った場所から移動しておらず、いかにダンデがインスタントな生活を送っているかを改めて思い知らされる。
ボウルに卵と牛乳を入れ、塩胡椒に、アクセントのブラックペッパーを少し。それらをしっかり混ぜたものに、等分に切ったパンを入れ浸す。このパンだって、焼きたてならもっと美味しかったろう。しかし、それを超える味を出すのが腕の見せ所だ。皿に置いたパンの上に、ベーコンとチーズを重ねる。もう片方のパンで蓋をしたら、バターの蕩けたフライパンへ。この時の幸福の匂いったら! これだけで恋人が起きてくるかもと振り返るも、彼は未だ夢の中だ。仕方ない、昨夜もしっかり運動したのだ。コーヒーの残りで喉を潤しながら、片側が焼けたパンを裏返した。
「……おはよう、キバナ」
「やっと起きたか、お寝坊さん」
「……今日、オレは誕生日だったか?」
「まさか。ありふれた、ごく普通の日常の中にも、こんな日があったっていいだろ!」
たっぷりミルクを入れたカフェオレに、ヨーグルトとサラダ。側面までカリカリに焼いたクロックムッシュからは、チーズがとろけて顔を覗かせる。朝日はすっかり目を覚ましており、ダンデのふやけた顔を照らしていた。
「……ありふれた、ごく普通の日常にしては、豪華すぎるぜ」
「オレさまスペシャルだ。残したら許さないからな」
向かい合って座り、マグカップで乾杯する。今日という一日に祝福を。
サラダは瑞々しく口の中で踊り、カフェオレは腹を優しく温めた。家中の空気が深呼吸しているような、爽やかな新しい一日の始まり。
「……何を笑ってるんだ?」
「ん? 今、笑ってたか?」
「満足そうに笑ってたぜ、シェフ」
美味しそうに口を動かす彼と陽気な気候に、無意識に心を躍らせていたらしい。口元をマグカップで隠しながら、カフェオレの底の砂糖を味わう。
「美味しかった、ごちそうさま!」
あっという間にオレさまスペシャルを平らげたダンデは大きく伸びをして、「さて」と呟いた。
「今日も一日、ごきげんに過ごすぞ!」
そう、彼に休みはない。目まぐるしい一日、ごくありふれた日常。このモーニングが、今日の彼の活力となりますように。
「そんじゃ、オレさまも出るとしますか」
「待て、忘れ物だ」
肩を叩かれ振り向けば、少し苦いキスを一つ。太陽のように笑うダンデからは、太陽のような匂いがした。
「オレからのデザートだ!」
「……こんなんじゃ足りないぜ、ハニー」
採れたての美味しさについて、今一度知らしめてやらないといけない。それはキスについても同じ。肩に腕を回し、仕返しに唇をなぞる。
「これからもたっぷり、教え込まないとな」
「クロックムッシュの話かい? それとも、キスについて?」
「どっちもだ」
ありふれた、ごく普通の日常の中の、甘ったるい朝。カフェオレに砂糖を混ぜるように、卵液の中にブラックペッパーを混ぜるように、たまには、こんな日があったっていいだろう。冷蔵庫の中の残りの卵の使い道を考えながら、もうしばらく、彼のデザートを堪能することにした。