お鍋 今夜は鍋にするから買い出しに付き合え、と無理やりコイツを連れてきたのが間違いだった。
鮭が安かったから、石狩鍋にするのもいいな、と思ってカゴに入れようとした。味噌仕立ての、タンパク質たっぷりの鍋だ。ボクサー時代に先輩から教えてもらった。ここのところ、鍋と言えば水炊きかキムチばかりだったから、趣向を変えるのもいいと思った。のに。
「オイ! 何サカナなんか買おうとしてんだ! 肉買え肉!」
それを目ざとく見つけたアイツが耳元で吠える。タイムセールの時間を避けてきたから人は多くないけれど、それでもスーパーで大きな声を出して注目を浴びるのは勘弁だ。アイドルが鮮魚コーナーで喧嘩、だなんて見出しで週刊誌に載りたくない。
「うるさい、金を払うのは俺なんだ。たまには魚の鍋にしたっていいだろ」
「鍋っつったら肉だろーが」
ああもう、どうせ作れば何だって食べる癖に。連れてきたのは俺の責任だ、ここで説き伏せなければならない。
「味噌の鍋だぞ、濃厚でうまいんだぞ」
「オレ様は肉の気分なんだよ。ホーレンソーと肉だけのヤツ、アレにしろ」
「常夜鍋のことか?オマエが肉ばっか食うから金がかかるんだよ。ほうれん草だって今高いんだ」
「チビが今日鍋にするって言ったんじゃねーか、鍋っていったら肉だ」
「ああもう……」
ああ言えばこう言う。食って黙らせる他ないのだから、結局俺は鮭を買う。
「まずかったらショーチしねーからな」
「食べてから言え」
白菜と豆腐をカゴへ突っ込みながら、アイツがブツブツいうのをかわす。見てろ、絶対に美味いって言わせてやる。
レジで会計しながら、いつもより多めに飯を炊こうと考える。どうせコイツはぺろりと平らげる。彼の口から「うめえ」と聞ければそれでいい。そこに感謝がなくっても、彼が健康であれと願う。
「ホラ、帰るぞ」
荷物をそれぞれ持ち、同じ家に帰り、同じ鍋を食う。小さな満たされた日常の中で、鍋の具材がいつもと違うことくらい、きっと些細な差だ。彼の鍋の選択肢のなかに、今夜の鍋が新しく追加されますように。さてと、腕によりをかけるとするか。