ハマルくんとモブ彼氏 大きな音を浴び続けること――それは洗脳と同じ。
知っている、そんなこと。知っているけどやめられないから、こうして椅子に座ってるんじゃないか。こうして台に向かってるんじゃないか。こうしてハンドルに手を添えてるんじゃないか。
今日、何杯目のカフェインかもわからない。後ろを通り過ぎる店員が早番のオバサンから夜番のオバサンへと変わった。俺はどうして、ただただ降り注ぐ銀の玉を見続けてるんだろう。眩暈がしてきた。そっと目頭を摘むけれど、目を閉じるわけにはいかなかった。
こんなところに一日中いるべきじゃない、というのも、充分わかりきっている。不健康でしかない、目も耳もとっくに疲労が溜まっていて、身体中バキバキで、ろくに食べてもいないから気持ち悪い。それでもこうして何とか喰らい付いてるのには、理由があった。
――今日の種銭の出所だ。
「今日こそ、今日こそ倍にして返すから」
そう言って手を合わせて頭を下げて――何度目だろう、このやりとりも。
「いい加減信じられない」
付き合っている、とは名ばかりの、俺が頼み込んで居候させてもらってる部屋の主も、そろそろ堪忍袋の尾が切れそうだった。
「昨日も一昨日もそう言って、昨日も一昨日も素寒貧で帰ってきた」
「それは……ほら、調子が悪かったから」
「次に嘘ついたら」
俺の手に、汚いものを擦り付けるかのような仕草で金を渡しながら、彼氏は憎らしげに唱えた。
「マジで別れるからな」
しわくちゃの札を握りしめて、俺は強く頷いた。
そういうわけで、俺は今日、何とか倍にして返さないと生きては帰れない。帰れないのだけど、
「……もう、無理、かなぁ……」
こんな自分が嫌でたまらない。だけど、これ以上は血が出る。泣く泣く店を後にした。本当は帰り道でお詫びの品でも買って帰りたい。そんな気が使えるほどの余裕があれば昼飯を買っている。
「……ただいま」
「遅い」
彼氏はもう、家に帰っていた。顔を見なくても不機嫌なのがわかる。声がトゲだらけだ。
「ごめん………」
「で? どうだったの、成果は」
「……お察しの、通りです、マジごめん」
土下座するしかなかった。ただ、これの効力もたかが知れている。なぜならばすでに何度か見せている姿だからだ。俺の土下座になんか、なんの価値もない。畳の匂いが鼻に嫌味ったらしく漂ってくる。
「言ったよな、別れるって」
「ごめん、マジごめん、別れないで」
「そう言って約束守った試しないよな」
「ごめん、破るつもりはないんだ本当に、ごめん」
「いつもいつもそうやって、謝ってばっかで」
「ごめん」
「こっち向けよ」
彼氏は、涙を浮かべてこちらを睨んでいた。ああ、俺は信頼を裏切っている。大変申し訳なく思う、これは本心なのだけど――
――それでも、止められない、辞められない。
「ごめん、明日には倍にして返すから」
「明日なんかあるか、バカ」
あの興奮を、高揚感を、忘れられるわけはない。
この安寧を犠牲にしてでも。
「だから、あと千円でもいいから……貸して?」
愛してる。愛してるから。
そう言いさえすれば、彼氏はしばらく黙って、またお金をくれる。俺に愛想なんか尽かさない、だって食卓にはラップのかかった皿が並んでいる。俺を見限っているなら、夕食なんか用意しないはずだ。
「……ほんとに、明日までだからな」
「サンキュ、愛してる!」
心からのキスを、めまいを我慢してお見舞いする。明日はよろこびのキスだといいのだけど。
さて、明日の運勢やいかに。カレーを温めながら、俺は鼻歌を歌うのだった。