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    波箱
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    北村Pの漣タケ狂い

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    ドラマの中でタバコを吸う役の漣

    タバコ 実際の年齢と違う役を演じるということは、多々ある。要は「そう見えればいい」のだから。俺だって中学生の役も、十九歳の役もやったことがあるし、アイツも然りだ。今回、俺は十七歳のままだけど、アイツは二十超えの役を演じている。
     恋愛ドラマというのはむずかしい。中心に「ヒロインが好き」という思いがみんなあって、だけどそれだけじゃだめで、他の人間関係をどろどろさせるために、歪んだ感情も併せ持たないといけない。それぞれの思惑が交錯してこそ見応えのある展開になるから、ヒロインのいないシーンでも手が抜けないのだ。
     ヒロインのいないシーン。それは自宅のベランダだったり、喫茶店だったり、職場だったり。そんな些細なシーンで、アイツはタバコを吸う役だった。
    「十八歳のアイドルに本当にタバコ吸わせるわけにはいかないからね」
     使うのは、電子タバコのような見た目のオモチャで、ちゃんと煙を吐き出すことができる小道具だ。
    「どうしたって、普段から吸ってる人の仕草には敵わないから」
     だから、常日頃から練習して、身体に慣れさせろと、そういう指示がアイツにくだされていた。
     アイツは予備の小道具のタバコを、毎日ぷかぷかと吹いている。

     夜空の下で、長く細い息を吐く。その煙は白く、絹糸のように広がっては綻びながら、うっすらと天に揺蕩った。都会じゃ満点の星とも真っ暗とも言えない、家々の明かりがろうそくの炎のように眼下に灯されて、そんな中、アイツの銀髪だけがひっそりと闇に溶けていた。
    「オレじゃダメなのか」
     耳に当てたスマートフォンに、小さくそう呟く。タバコを摘んだ反対の手は遠く伸ばしており、まるで電話の相手にバレたくないように隠しているふうに見えた。
    「……そっか」
     くす、と笑ってからうつむく。銀髪がとろりと揺れた。電話を切って、天を仰ぎながらタバコを吸う姿は、涙を我慢しているように見える。
     か細い煙の先が消えていき、まるでヒロインとアイツの縁が切れたことを暗示しているようだった。
     ここでシーンは一区切り。本来ならCMの入る箇所で、俺は一時停止ボタンを押した。
    「――すげえな」
     先日の撮影の完パケ動画が出来たので送ってもらい、事務所で見ていたのだが、アイツのシーンに見入ってしまった。このあと俺のシーンもあるのに、どうしてか惹きつけられてしかたない。
    「……オマエって、タバコ似合うんだな」
     他にかけられる言葉はもっとあったろうに、何も思いつかなかった。アイツは「オレ様にかかれば楽勝だ」くらいは返してきそうなものを、思いっきり眉を顰め、意外な言葉を発した。
    「もう二度と吸わねえ」
    「え、偽物だろ?」
     さては、まさか、もしかして。俺がじっとアイツの目を見ると、アイツは居心地悪そうに舌打ちをし、
    「……本物も味わってみたらどうだって、オッサンに」
     と目線を逸した。
     オッサンと彼が呼ぶということは、おそらく監督だ。あの人は打ち上げの場で未成年に飲酒させようとしてきたり、昔ながらっぽいことをしてくる。俺も飲まされそうになったけど断ったぞ。おそらく「吸ったことないの?」と焚き付けられて、「そのくらい吸えるに決まってんだろ」とのっかってしまったに違いない。
    「……もう、吸うなよ。あと誰にも言うなよ」
    「当たり前だっつの。まっずいし苦げぇしサイアクだ」
     おえ、と舌を出すアイツにため息を吐きながら、うっかり好んでしまわなくてよかった、と思った。絵にはなるけれど、アイツの身体が蝕まれるのは嫌だ。匂いだってアイツの香りじゃなくなってしまうし、キスするときに苦いのもごめんだ。
    「ま、チビには扱えねーシロモノだったな!」
     それは本物を指しているのか、小道具を指しているのかわからない発言だったが、まあ、俺もそう思う。アイツだから似合ったんだ。普段からは考えられないギャップによる格好良さは、さすがの演出と言えよう。
    「それに」
     ソファから身を起こして、俺の顔の横に手をつく。アイツの影に思わず反射で目を瞑ると、唇にあたたかい感触があたった。
    「チビはこっちのほうがいいだろ」
    「……ばか、事務所だぞ!」
     かあ、と顔が熱くなる。何度もしていることなのに慣れない。今この場には誰もいないから大丈夫だけど、きっと俺の顔の赤さを見られたらバレバレだ。
    「キスしたいって、顔に書いてあったぜ」
     勝ち気な笑みを浮かべながら俺を見下すアイツに、何も言い返せなかった。だってさっき、本当に思ったし。俺は恥ずかしさをごまかすために、映像の再生ボタンを押した。
    「俺も格好良く撮ってもらったから、見ろ」
    「ハッ、オレ様に勝てるわけねーだろ」
    「役では二人共振られてるからアイコだ」
     どっかりとソファに座り直したアイツの横顔を見る。あの、夜空の下のさみしいベランダで、伏せたまつ毛からのぞく蜂蜜色は、見たことないほど甘かった。とくりと胸がなったのは、きっと気のせいじゃない。そしてこの感覚は、おそらく視聴者も味わうことになる。早く放送してほしい。
     まだまだ、アイツの知らない表情がたくさんあるんだな。世間に広まってほしくもあり、俺だけの秘密にしておきたくもあり。ぼうっとしていると、肩をこづかれた。
    「なに見とれてんだよ」
    「……そんなつもり、ない!」
     例えば、あの視線で、夜、見つめられたら。そんなことを考えてしまったのだ。ベッドの上で、俺を組み敷いて、俺の上で、あんな表情をされたら。
    「バレバレなんだよ」
     ぐい、と顎を持たれ、べろりと唇を舐められる。慌てて反抗すると、正面から俺の目を覗き込み、アイツはまた口角を上げた。
    「今夜な」
    「…………!」
     今度はもう全身が熱くなって、これ以上この場にとどまり続けることなんかできなくて、立ち上がって無理やり部屋を出た。扉の向こうで、アイツのくははという笑い声が聞こえる。
    「……やっぱ、タバコなんか似合わねえよ、アイツに」
     二十歳を超えても、吸わないでほしい。苦いキスなんてしたくない。だけど、絶対言わない、こんなこと。
     俺の出演シーンの音が聞こえてくる。あとのことは画面内の俺に任せて、俺は気を落ち着かせるために、外に出て大きく深呼吸するのだった。
     ドラマの中の夜空とは正反対の、眩しい太陽が街中を照らしていた。
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