DOS8 アル→ノク 物心ついた頃には既に枕元に分厚い聖書があった。黒く丈の長いカソックに身を包んだ大人に囲まれて育った自分も、いずれそうなると言わんばかりの教育を施されてきた。
ーー神様は偉くて、凄い。私達を導き、救い、この世界を平和へと導いて下さる。貴方もその導きのお手伝いをする為生まれたのですよ。
まるでその言葉しか知らないように毎日それを口にする大人たちを、俺は心底気持ち悪いと思っていた。懺悔すれば許される、正直に打ち明けたものは救われる。そんなもので救済される世の中であってたまるものか。友人の恋人を好きになってしまいました。大切な家族と喧嘩をして手を挙げてしまいました。馬鹿らしい、そんなことを神に打ち明けて一体どうなる。
胸の中で日に日に募る苛立ちに気づいているのかいないのか、ステンドグラスに大きく描かれた聖母は今日も俺の事をニコリと貼り付けられた笑顔で見下ろしていた。
*
「アルフレッド、貴方に手紙が届いていましたよ」
「母上、ありがとうございます」
「ええ。それではおやすみなさい。今夜も貴方に神の御加護が在らんことを」
そう言い残し部屋の扉を閉めた母親の足音が聞こえなくなってから大きくため息をつく。一日のうち気を張らずに済む時間なんて、就寝時くらいだ。幼い頃にこの家系に見切りをつけて逃げ出さなかったことを後悔しない日など無い。俺は間違いなく、生まれる家を間違えた側の人間だった。
そういや、手紙を受け取ったと言っていた。机に置かれた封筒を手に取る。若干読みづらい筆記体で書かれたその字体は、学生時代に嫌という程見覚えがあった。
サイドテーブルの引き出しをあけ、ペーパーナイフで封を切る。中に入っていたのは手紙と、見覚えのない場所の地図だった。……正確には、その地図の場所には覚えはあるが、目的地に何かがあったような記憶は無かったはずだ。舞い込んできた非日常に少しばかり胸が踊る。二つ折りの手紙を開けると、確かにそこには学舎を共にした旧友の名前が書いてあった。クラレンス。端正な顔立ちに、綺麗な長いブロンドを結いた男。持ち前の頭の回転の速さと海のように広い知識の全てを在学中錬金術に捧げた変わり者として、学内でも有名人だった。背丈が似ている、それだけでよく話しかけられては共同課題に力を貸しあったりすることはあったが所詮その程度の関係だった。奴も授業が終わると直ぐに錬金術の教師に術を学びに駆け込んでいたし、俺も家柄早く帰ることを好まれたため休みの日にあったことなどたったの一度も無かった。彼奴、俺の家を知っていたのか。
名前の下に目をやると、深夜零時に、この場所に来て欲しいとの内容が書かれていた。……馬鹿なのか。あまりの唐突さに思わず悪態をつく。時計の針は現在二十三時を指している。この家は寝静まっている頃だろうが……生憎、悪知恵だけを拗らせて生きてきたのだ。静かに此処を出て目的地に向かうなど容易い。
部屋着からカソックではなく、シンプルなシャツとスラックスに履き替える。万が一誰かに見られても、この格好なら後日指摘されづらいだろう……と言っても、育ちすぎてしまった背格好のせいで何を言われても隠しようがないのだが。
この頃この街は、人々が寝静まったはずのこの時間の治安が悪いと聞く。……万が一の為だ、そう言い聞かせて護衛用のナイフを懐に忍び込ませておいた。手紙と、同封された地図をポケットに入れて部屋を出る。足音を立てずに敷地を出れば、後は歩き慣れた街を進むだけだ。そうして俺は、平凡な日常から非日常へと足を踏み出すのだった。