暑い。暑い。暑い。口を開けば鳴き声のようにそれしか言えない。あまりの猛暑に語彙まで溶けてしまったようだ。真夏の容赦ない外気からようやく事務所にたどり着いた雨彦はソファにぐったりと倒れ込む。たまたま人のいない時間帯だったのか、雨彦がソファを占領しても咎められることはなかった。
額に浮かんだ汗は拭ってもまたすぐに噴き出してきて、ソファに体温が移り温くなるのにうんざりする。事務所は冷房こそ効いているが、出入りするアイドルたちの体調を慮って低すぎない温度に設定されている。雨彦としてはもう少し涼しくしてほしいところだが、そんなことで駄々をこねるほど大人げなくはないつもりだ。
冷たい飲み物でも取りに冷蔵庫へ行きたい気持ちもあれど冷房直下のこの場所から離れがたく、動けないでいると「わー、雨彦さんが溶けてるー」とのんびりした声が現れた。
「……北村」
「お疲れ様ですー。まだ形は保ててるー?」
「ああ…。なんとかな……」
ぶーん、と想楽のかざしたハンディファンが低い音をたてながら微力な風を送ってくる。彼も外から来たばかりだろうに、雨彦よりも幾分爽やかに見えるのは着ている白いTシャツのせいだろうか。雨彦は自分の赤いインナーの襟ぐりを広げてファンの風を貰い受けた。
「夏の陽に 溶けるアイスと 雨彦さん。本当に暑いのが苦手なんだねー」
「見ての通りさ。近頃は年々夏が暑くなってる気もするし、どうにもまいったね」
ふー、と体内に籠った熱を逃がすように息を吐く。想楽は隣りに座ろうとして、なにか思いとどまったのかわざわざ移動して雨彦の正面の席に着いた。
「今日は夜もずっと暑いんだってー。そんな暑がりさんにくっついて寝るのはご迷惑になりますよねー」
にっこりと笑ったままだが含みのある口ぶり。返答次第では今夜の逢瀬は無しになるらしい。うまく誘ってみせろという、可愛い恋人からの焚きつけだ。雨彦はフッと、今度は笑いを滲ませた息を吐く。
「つれないこと言いなさんな。うちの寝室はもっと冷やしてあるから問題ないさ」
「冷やしすぎは体にも地球にもよくないよー」
「なら、寝しなに怪談でもどうだい。くっつかなきゃ怖くて眠れないくらいのやつを聞かせてやろう」
想楽は「んー」と考える素振りを見せてから立ち上がると、数歩進んで改めて雨彦の隣りへ座りなおした。
「ふふ。それなら僕もとっておきを話そうかなー。肝を冷やしたら熱帯夜も少しはマシになるかもねー」
雨彦の返事は及第点を貰えたようだ。想楽の声は機嫌が良く、ソファの上に置いた互いの手の小指同士が触れ合っても拒まれない。
今すぐこの手を取って家に連れ込んでしまいたい、なんて熱に浮かされた思考をエアコンの風で冷ましながら、暑さに弱い雨彦は今宵の熱帯夜を心待ちにするのだった。