雨は 冷たい雨が凍りついて、白く儚い雪へと変わる。そんなことは都合よく起きなかった。僕はコンビニの狭い屋根の下で、雑誌コーナーを背中に貼り付けながら落ちてくる雨を見上げていた。
初めてのクリスマスだ。雨彦さんと僕がいわゆる恋人同士という関係になってから。だからといって浮かれるつもりなんてなかったけれど、なんとなく僕たちは今日の夜に会う約束をしたし、他の予定で上書きをする事もなかった。少しだけ先に仕事が終わった僕はこうして雨彦さんを待っている。寒空の下で。空いた手をポケットへと入れた。手袋は昨日着たコートのポケットの中で留守番をしている。
傘を差して、街路樹に取り付けられたささやかなイルミネーションの下を通り過ぎていく人たちは、この日のために用意したのかもしれないコートやマフラーで着飾っていた。雨を避けている僕よりもずっと暖かそうに見えた。視線を僕の足元へと移すと、いつものスニーカーが目に映る。僕たちがこれから行こうとしているのは、雨彦さんお気に入りの和食屋さんだ。クリスマスらしくたまには洋食もいいかもしれない、なんて昨日までは考えていたけれど、冬の雨の冷たさの前には温かいうどんや熱々のおでんの方が魅力的に思えてしまったのだから仕方がない。
スマホの画面を確かめてみたけれど、雨彦さんからのメッセージは届いていなかった。出発をしたという連絡はもらっているのだから心配はしなくていいのだけれど。落ち着かないな、と溜め息をつく。白く浮かんだ息がふわりと溶けていく。
雨彦さんは、どうなんだろう。こんな風にそわそわと……そう、そわそわとしている、僕は。認めたくはないけれど、認めない方が情けないような気もする。雨彦さんがこうなっている所は想像ができなかった。見た目よりも完璧ではないという事を僕は知っているし、知っているから、こうなっているわけなのだけれど。だとしてもやっぱり雨彦さんは十分に落ち着いた大人だった。こういう時に、かっこいい事をさらっとやってしまう姿が似合うと思ってしまうぐらいには。でも、かっこいい事って例えばどんな。いくつか思いついたそれはどうにもキザすぎて、多分、雨彦さんでもさすがにちょっと似合わない。
とりとめのない空想を浮かべては散らしていく。雨は少し弱くなったけれど、相変わらず寒かった。マフラーに鼻から下をうずめる。スマホをまた取り出してみたけれど連絡はない。さっき確認をしてからたいして動きがあるわけでもないSNSを開いて、なんとなく画面に指を滑らせてみる。……遅いな、雨彦さん。
「北村」
その響きだけで、それが誰の声かを考えるよりも、わかるよりも先に僕は顔を上げた。濡れたアスファルトはイルミネーションの明かりを弾いて星空のように見えた。深い色の傘をさした雨彦さんはその中に立っていた。星を抱えている、と思った。白い息が寒さで赤らんだ鼻先を撫でていく。僕の視線に気がついたのか、雨彦さんは片腕に抱えたものを少しだけ掲げて見せた。
「クリスマスなんでね」
キラキラとしたパッケージのお菓子を溢れそうなほどに詰めた長靴が、そこに描かれたサンタクロースが、挨拶をするようにぴょこんと揺れた。雨彦さんはその長靴を僕に差し出した。傘を差していない僕は両手でそれを受け取った。サンタクロースとその隣にいたトナカイの丸い目が僕を見上げている。
「ありがとうー。……寒空を、眺め揺られるトナカイとー。袋に入れてもらえばよかったんじゃないかなー?」
「ああ……まあ、そうだな、そう思ったんだが、それもなんとなく味気なくてな」
傘を閉じて僕の隣に立った雨彦さんは、少しぶっきらぼうにそう言った。雨彦さんは手袋を外そうとしたのか右手を持ち上げて、けれど結局外す事はなく下ろした。それだけと言えばそれだけの仕草。だけど、もしかして、雨彦さんも僕と同じなのかもしれないと思った。少しだけ特別な日の待ち合わせに、うまく馴染めずにふわふわとしているような。僕はここに来た時の雨彦さんのように長靴を片手で抱えた。傘を開く。
「行こうか、雨彦さん」
雨の中に踏み出した僕を見て、雨彦さんは目を瞬かせた。
「……そのままでかい?」
「雨彦さんと同じだよー」
浮かれている、という自覚はあるけれど。明日の朝思い出して、頭を抱えそうな気もするけれど。でも、雨彦さんだって人の事を笑えないのだからいいのだ。恥ずかしい二人でいい。こんな日ぐらい。
雨彦さんは目元を緩めて、さっき閉じたばかりの傘を開いた。ぱらぱらと鳴る音は、目を閉じてしまえば星の降る音にだって聞こえるのだろう。
(END)