風呂春趙「風呂」
「春日くん、まだ我慢だよ。お医者さんに言われたでしょ。あと一週間はだーめ」
こっそり風呂に入ろうとしたところを趙に見つかって、リビングに連れ戻されて風呂を阻まれてしまう。
「もう大丈夫だって。そんな痛くもねぇしよぉ」
春日が事故で腹に怪我を負ってから三日。病院で傷を縫われて二週間は傷を濡らすなと言われたので、風呂を我慢し、今日まで洗面台で髪を洗って身体は拭いて耐えていたが、そろそろシャワーぐらいは浴びたい。元々、人より傷の治りが早く頑丈である自信がある。もう風呂ぐらい大丈夫だと思うのだが、趙がどうしても許してくれない。
「だめだよ。傷が化膿したらどうするの」
「んなやわじゃねぇよ」
不満に唇を尖らせて抗議するが、趙は許してはくれない。
「ほら、身体拭いてあげるから」
リビングに洗面器で湯を持ってきて、趙が身体を拭いてくれる。肌に当てられるほかほかの濡れたタオルが心地いい。こんな風に趙に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは嫌ではない。むしろ、心地よいとさえ感じることだが、こう毎日だと頼りすぎている気がして申し訳ない。
「前に撃たれた時だって、何日も外に寝てたんだぜ」
「その時は運が良かっただけだろ。こういうのは注意するに越したことはないんだよ。ほら、腕上げて」
ちゃんと着こんでいる趙に自分だけ下着姿で全身を拭かれるのは、いくら恋人同士の間柄とは言えなんだか気恥しい。それに春日は最近、趙に思うところがあった。
「なんかよぉ。趙は、付き合い始めてから俺に厳しくなったよなぁ」
子どものように拗ねた調子で言うと、趙のサングラス越しの目が少し驚きに開かれた。
「えっ、俺が春日くんに? どこが?」
「だってよぉ、今日だって風呂に入らせてくれねぇじゃねぇか」
「……それは君のことを考えてのことだろ」
呆れたように言われて、それはそうなんだけどよぉとつぶやいて続ける。
「この怪我した時だって無茶しすぎんなって怒ったし……」
「当たり前だろ。春日くんねぇ、君は自分を傷つけることで、俺の寿命も同時に縮めてるんだからね、そこら辺、よぉく考えてよ」
少し怒気のはらんだ声で言われて、しゅんとなる。確かに今回の怪我に関しては、自分でも危ないことに首を突っ込み過ぎたという自覚があるし、それで趙がどんなに自分のことを心配してくれたかは痛いほど感じている。
「大体さぁ、君に厳しいって……。みんなには春日くんをこれ以上甘やかすなって言われてるのに?」
片眉を上げて、そんなことを言われるのは心底心外だという表情を作られて、再び言葉に詰まる。確かに時折厳しいことを言われる反面、趙には誰よりも甘やかされているという実感もある。だからこそ、こんな風に世話を焼かれると、趙に自分は頼りすぎていると後ろめたいのだ。
趙が再び洗面器でタオルを絞って、今度はつま先から拭かれる。温まったタオルの熱を移すようにゆっくりと丁寧に拭かれて、まるで自分が子どもになったような心地がする。
「でも、前はそんなに怒ったりしなかっただろ……」
「前? 前ねぇ……」
趙が少し空を仰いで以前を思い出すようにして言った。
「まぁ、まだ春日くんをよく知らない頃はどうでも良かったんだろ。君に厳しく言わなかったのってさ、興味がなかったことじゃない? 俺は元々、あんまり執着したり、思い入れたりするたちじゃなかったしね」
言われた趙の言葉をふむっと考える。
「それって、今はどうでもよくないってことだよな?」
「当たり前だろ。どうでもいい奴の身体なんて拭かねぇよ」
少し乱暴に言って、趙が春日が唯一身に着けている下着のゴムを引っ張った。
「何? 下着の中まで拭いて欲しい?」
「い、いやっ……じぶんでやります」
「残念」
下着を押さえて動揺する春日に口の端で楽し気に笑って、洗面器を片づける趙の後姿を見ながら、厳しいことを言われるってのはそれだけ思いを寄せられているってことなのかと考える。あまり人に執着したり思い入れたりしない趙が、自分にそうしてくれているということなのだろうと思ったら、じんわりと嬉しさがこみあげてきた。
「なぁ、趙」
洗面所で洗面器のお湯をこぼしてタオルを絞っていた趙の後ろを追って、声をかける。
「なぁに?」
「俺のこと、どんどん怒っていいぜ。それって愛されてるって証拠だよな」
趙の腰に両腕を回しながらそういうと、また呆れたような声が返ってきた。
「いやいや、まずは怒らせんなよ。春日くん、俺、今回のことも本当に心配したんだよ」
春日の腕の中で、趙が身体を捻ってこちらを向くので少し腕を緩める。顔が近い。少し怒ったように春日を見る趙の視線が痛い。
「ご、ごめんな」
「まぁ、起こってしまったことはしょうがないけどさ。風呂は、もうちょっと我慢してよ」
「ああ、我慢する」
「それにさ……」
少し思いつめたように趙が言って、春日の腰に腕を回してきた。急に熱っぽい目が春日に注がれる。
「何も我慢してるのは君だけじゃないからね。早く怪我を治してくれないと俺も困るんだよ」
「は、はい」
言われていることを察して、思わず生唾を飲む。趙があだっぽく意味ありげに笑った。あっ、俺の好きな顔だ……と思っているうちに、その顔が近づいてきて、春日の唇に柔らかいものが押しあてられる。キスをされていると思った時には、すでに趙は離れていて、もっと……と恋人を抱き寄せようとした春日の手が宙をかいた。
「さ。俺は風呂に入るよ。春日くんは退場、退場」
そして、あっという間に洗面所から押し出される羽目になる。
「えっ、ちょ! もうちょっといいじゃねぇか」
「厳しくされたいんだろ。ほら、さっさと出てった出てった」
「こ、こういうことじゃねぇよ」
泣きながら訴えるが続きはさせてもらえず、春日はやっぱり趙は以前よりも自分に厳しくなった、と思うのだった。