恵が五条の髪を切る話「上手くなったよね」
「動かないでください」
しゃき、しゃきと五条の髪に鋏を入れていく。そわそわと落ち着きがないのは昔から変わらない。精神年齢がずっと子供のままだ。うっかり恵が手を滑らせて五条の肌を指そうものならきっと無下限で止められるだろうからその心配はないんだろうと思ってる。ただこちらの心臓に悪いので髪を切っている時は大人しくしててほしい。
「でさ~ 」と身体を動かさなくなった代わりにずっと話し続ける。大人しくすると死ぬ呪いにでもかかっているんだろうか。仕事や上層部への愚痴から始まり、最近気になっているスイーツの話、出張先の話。「あそこ良かったから今度一緒に行こうよ」と何度か言われたことがあるがその言葉は一度も現実になったことはない。だから恵も話半分に適当に相槌を打つだけだ。それよりもこちらは作業に集中させてほしい。
小学生の頃から五条の髪を整えるのは恵の仕事だった。
「随分伸びましたね」「何が」「髪です。邪魔にならないんですか? 」「ん~ 、邪魔だね。ねぇ恵が切ってよ」と言う会話が切っ掛けだった。勿論拒否した。髪の切り方なんか知らない。失敗するのは目に見えていた。プロにしてもらえと言う恵の言葉を受け入れずに「知らない人間に背後から刃物を向けられるのなんてごめんだよ」と主張してくる五条に折れたのは恵だった。はじめはどう切ればいいのかわからずにぱっつんにしてしまったことをことあるごとに五条はからかいのネタとして振ってくる。その度に「どうなっても良いからやれと言ったのはアンタですよ」とノータイムで切り返す。
はじめはいやいやだったこの行為も回数を重ねていくうちに普通になって自然な行為になって、いつの間にか好きになっていた。五条の髪はさらさらとしていて、柔らかくて、ふわふわしていて、恵の好きな触り心地だった。玉犬達とはまた違った恵の癒しになっている。日常的に術式を展開している五条の髪に触れることが出来る特別感が、もしかしたらその気持ちを加速させているのかもしれないと頭の中をちらつくことがあるけれど、器用にそれだけを摘み取って見えないように蓋をする。
伸びた箇所に鋏を入れ終わると仕上げにバリカンで後頭部を刈っていく。じょりじょりと実はこの感触も気に言っている。普段は触れないので、この役目の特権とばかりにこの時間に堪能していることをたぶん五条も気付いているだろう。
切り残しがないかを確認するためにぐるりと一周する。変なところはなさそうだ。
「終わりましたよ。シャワー浴びてきてください」
五条に掛けていたビニールを取ってテキパキと後片付けを進めていく恵の後ろ姿に「ありがと~ 」と間延びした声を掛けて五条はバスルームへと向かった。
五条は気まぐれだ。でもなんだかんだと10年近くもこの役割を恵に与えてくれている。いつ「もういいや」と言われるかわからない。一瞬みぞおちのあたりに刺すような痛みが走る。僅かな時間ですぐに痛みはなくなった。
次も切らしてくれるだろうかと思いながらフローリングに散らばった髪を集めてゴミ箱に捨てた。