露台の一番星例えばベランダで咲いた小さな黄色い花。
青空を真っ二つに横切る飛行機雲。
濃い日蔭から見上げる木々の隙間。
昨日までは気にも留めず通り過ぎていたものが
こんなにもきらきらして見えるのは
あんたに出会ったからだ
***
「今日は暑かったね。これで少し涼しくなってくれるといいのだけど」
ファウストの柔らかい眼差しと優しい言葉を受けるのは、もちろん俺ではない。
玄関を抜けると、いつものように真っ直ぐベランダに向かい、小さなミニトマトの鉢植えに水をあげてくれた。
ミニトマトの鉢植えをバイト先の店長の奥さんから貰った時は正直一瞬迷った。
植物を育てるなんて俺には向いてないと思うし、枯らしたら虚しいからだ。まあでも、自家菜園なら多少興味があったから、結局譲り受けることにした。
ベランダに置いておいたらさっそくファウストが気付いて、手入れをしてくれるようになった。
丁寧に葉をチェックして、水をあげる。時々言葉をかけながら。
ファウストの過去を俺はよく知らない。でもたまに遠くを見つめながら、ひどく懐かしそうにしたり悔しそうにしたりする時があるのは知っている。本人が話さないから、理由は聞いたことがないけど。
ミニトマトの鉢植えを眺めているとき、あと猫と触れあっているとき。間違いなく穏やかな表情をしている。俺はそれを盗み見ては、ずっとそんな顔しててほしいと願うのだ。
だからミニトマトの世話をするファウストの様子を見ているのが好きだったし、何よりファウスト自身が鉢をいたく気に入って、気が付けば俺の家に来ると必ず真っ直ぐベランダに足を向けていた。
…いや必ずというのは嘘だ。玄関からベッドに直行の日も多分、何回かあったから。
「悪いね、ここ西日が強くて。」
気が付くと俺も話しかけていた。
あんまりファウストが大切にするものだから、うつった。
雷雨が降ったり猛暑の日にはバイト中でもミニトマトの鉢は無事だろうかと気になった。
近所のばあさん家の庭に咲いてるのはどうしてあんなに発育がいいんだろうとか、
スーパーの野菜コーナーに行けば、これだって育てられるんじゃないかと考えていたりだとか。
今までなんとなく生きてきた。興味があるのは料理くらいで、他には何もない。ぬるま湯みたいな日々。
だけどファウストと出会って変わった。
ファウストが「かわいい」と言うから動物の動画を観るようになったし、
ファウストが雲や天気、夕焼けの解説をしてくれるから空を見上げるようになった。
ファウストが「肥料に使いたい」って言うからオレンジの皮を取っておくようになったし、
ファウストが「季節によって風の通り方が違う」と教えてくれたから、風で揺れる木々の音を意識するようになった。
道にきれいな花が咲いていたり、夕方と夜の間の時間に空がきれいなグラデーションだったりする度に、ファウストが好きそうだなって思うのだ。
カーテンを開け、部屋に朝の光を入れると、ミニトマトの鉢にある黄色いものがちらりと視界に入った。
「あ、」
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尖った花びらは星のよう。ミニトマトは黄色い花を咲かせていたのだ。花が散れば実がなる。それはろくに勉強をしてこなかった俺でもわかる。ここまで育ったことに感動してしまった。
そして一番に思い浮かぶ顔。
ファウスト
ファウストに見せたい、教えたい。
俺はすぐにスマホでメッセージを送った。
ファウストは早起きだから、朝なら大抵返事が来る。忙しいようであればだいたい昼休みか20時以降くらいには。
だけどそれきり、ファウストからの返事は来なかった。
花は次々と咲き、すぐに落ちては実がなりはじめた。
鉢植えを見ると酷く胸が痛むのに、俺は毎日丁寧に観察し、水をやった。
ファウストならそうしただろうと思って。
やがて実のひとつが赤く染まった。
ファウスト、実がなったよ
駆け足でベランダに行き、ちょっと高揚した笑顔でこちらを向くあの人の表情を思い浮かべた。
「ここまで元気に育ったのはあんたのお陰だって、言いてぇよな」
赤いトマトを撫でながら、俺はそうつぶやいた。