遠くない未来で君が待つ(書きかけ)「武々夫にフられた!!」
張り裂けんばかりの大声と共に、部室のドアは叩き壊される勢いで開けられた。
驚いた私の肩が大きく跳ね、手に持っていた赤のサインペンは宙を舞い、肩に乗っていたアルマジロのジョンは一瞬空を飛んだ。全開の入口から寒気が流れ込む。
文芸部の部室兼、私の書斎。この雑多な物に溢れ手狭な部室に訪れるのは、口うるさい教頭か、唯一の所属部員くらいのものだ。──来ると知っていれば、ちゃんと用意しておいたのに。後悔の念に駆られた。
銀色のショートヘアを無理矢理結んでワンサイドアップにしている“彼”は、学校指定の女子制服を身に着け、仁王立ちで私を見据えている。なにやら小さい紙袋を持っているようだ。
引きちぎれそうなほどパツパツに張ったシャツ。豊かに鍛えられた胸筋との対比で、蝶ネクタイになり下がった赤いリボン。校則違反待ったなしの短いスカートからのぞく逞しい脚。……この格好、去年も見たな。
「今日は文化祭じゃないぞ」
「うるせえ、クソ先」
少年は私を睨み、鼻で笑う。
「誰が劇の衣装決めで女装のハズレクジ引いた馬鹿だよ」
「君のことだが。寒いから早く閉めてくれる?」
パイプ椅子に荒々しく腰掛ける様と対象的に、少年──ロナルドくんは手に持っていた紙袋をそっと机に置いた。
一言目は『クソ先(クソザコ先生の略称)』
二言目にはバカだのアホだのボケだの悪態をつく問題児──これは私にだけの限定オプションだが──他ならぬ彼こそが、唯一の文芸部員のロナルドくんだ。
ロナルドくんは自身を抱きしめるように腕を組み、腕を摩っている。見るからに寒そうな格好だ、さもありなん。
「ジョン、すまないが紅茶を二つ淹れてくれるかい」
「ヌ!」
ジョンはにこやかに片手を上げ、サイドボード上の電気ポットへと向かった。ジョンは私のペットでもなければ、親友なんて生温いものでもない。ダンピールたる私が吸血鬼へと転化した暁には、使い魔契約を結ぶと約束した仲だ。
吸血鬼をはじめとした異種族との共生が進む街、新横浜。使い魔との同伴通学を許可している学校が多く、当校もその内の一校だ。とはいえまだ使い魔ではないジョンは所謂介助マジロとして同伴許可を得ている。生まれつき身体が弱く、なにかと不自由な身である私をジョンは懸命にサポートしてくれているのだ。
ジョンが紙コップと粉末紅茶のパックを抱えると、ロナルドくんは「ええっ」と慌てた声を上げ立ちあがった。
「俺がやるよ、ジョン。休んでて」
「駄目駄目。君に任せたらポットが割れる」
「電気ポットだろ。割れねえよ」
「君、前に机割っただろ。長机」
「……畳もうとしたんだ」
「経緯は知ってる。問題は結果だ」
座れ、と無言の圧を掛ける。反論は無かった。大人しく座り直したロナルドくんへ、先程まで私が使っていたブランケットを差し出す。
「俺はいいよ、寒くねーし」
「スネ毛逆立てて何をほざくか」
「逆立ててねえし! ……ねえよな?」
ロナルドくんは自身のふくらはぎを凝視しようと、腰を屈めた。
「うげえ……ちょっと生えてきてる……」
朝剃ってきたのに、と呟くので思わず笑いそうになった。
「風邪をひかれても困る」
そう声を掛けて、もう一度ブランケットを差し出す。少年は顔を上げ、じっとそれを見つめた。電気ポットの動作音、とぽとぽとお湯を注ぐ音が同時に部室へ響く。
「……ありがと」
音にかき消されそうなほど小さい声だった。だが、それで充分だ。そろりと伸ばされた手がブランケットを受け取る。
「君、ミルクティーでいいだろう?」
私は戸棚を開け、ガラスポットを二つ取り出す。角砂糖とクリーミングパウダーだ。ジョンから受け取ったカップへ中身を入れ、使い捨てのマドラーでかき混ぜる。たちまち、インスタント紅茶のいかにもな香りが室内を満たしていく。不満はあるが手軽さ優先だ。致し方ない。
「ほんっと、なんでもあるよな」
「まあね。もっとも、あの窓から葉桜が見える頃には、ここを手放さねばならんが」
ロナルドくんにカップを手渡す。彼は両手で持ち、湯気が顔に掛かることも気にせず俯いた。
「なんつーか。悪ィな。代わり、見つけられなくて」
「ああ、すまない。君を責めるつもりはなかったんだ」
私はパイプ椅子に腰を下ろし、小テストの採点作業を再開する。
「アホがつくお人好しは、そうそういないという訳だな」
君みたいな、と付け加える。ロナルドくんは唇を尖らせた。
彼は、類稀なる巻き込まれ体質だ。お人好しな性格がその性質に拍車を掛けている。
運動神経抜群、体格にも恵まれた彼は数多の運動部から熱烈な勧誘を受けたがすべて断った。その理由が『その時その時で困っている部活の助っ人をしたい』というのだから、呆れを通り越していっそ感心してしまう。
あるときは大会前日に欠員がでたバレー部へ。またあるときは野球部で臨時マネージャーを。荷物運びで剣道部に帯同し、ポーズモデルとして美術部に協力し……と便利屋ロナルドくんの実績は枚挙に遑がない。
そんな彼がこの『文芸部』にいるのには訳がある。
まず私は赴任時、廃部状態だった文芸部に目を付けた。当時転校生として私についてきたジョンを唯一の部員とし、専用の書斎にしたのだ。ジョンは私の味方であるからして、やりたい放題。あらゆる私物を持ち込み“私だけの城”を作り上げた。文化祭はジョンのアルマジロ語による短歌パネル展示で乗り切った。
だがジョンの卒業で再び廃部の危機を迎える。このままでは、ゲーム機、漫画、ポータブルBlu-Rayプレイヤーその他を持ち込み完成させた私の秘密基地を失ってしまう。必死に勧誘を試みるも《クソ教頭が睨みを効かせている》ことが大きな壁となり全敗。皆、厄介事は嫌うものだ。
そんな折、一年生にとんでもないお人好しがいるという噂を聞きつけた。
私は適当にお涙頂戴のストーリーをでっち上げ、頼むから部員になってくれ、名簿に名前を載せてくれるだけでいい、嫌なら部室に来なくたっていいからと、噂の男子生徒に泣きついた。ジョンにも嘘泣きを頼んだ。そして『俺が役に立てるなら』と引き受けてくれたのが、このロナルドくんというわけだ。
最初の一週間こそ余所余所しく初々しい少年だったが、直ぐに無遠慮に暴言を吐くゴリラに成り果ててしまった。セロリが苦手だと知ってあの手この手で実物やオモチャを使って煽ったのが不味かっただろうか。
けれど、共に過ごす内に素直で優しい一面を知った。私が作ったお菓子を幸せそうに頬張る姿も見せつけられた。ジョンに向けられるデレデレとだらしのない顔。大輪の向日葵を咲かせたような笑み。彼は意外にも読書好きで、せっかく文芸部なのだからと短編小説を書き上げてきたこともあった。これが存外面白いものだから、冗談まじりに『作家を目指してみたら』と勧めたものだ。彼の一挙手一投足は、いつだって私を惹き付けてやまなかった。
私の身体に流れる“竜の血”が、離れ難い、あるいは離したくないという気持ちにさせた。あと一月ほどで彼は卒業してしまう──不穏な感情が身を焦がすたび、ダンピールで良かったとつくづく思う。幸い、執着心を押し殺すことができる。もし私が純血の吸血鬼だったなら、彼を特注の棺桶にでも仕舞い込んでいたかもしれない。
「それにしても、またどうしてそんなトンチキな格好でここに? 君、もう学校来る必要ないじゃない。暇なの? しかも、あの馬鹿にフられたって?」
丸やチェックマークをつけながら、視線だけ動かしてリボン付きの紙袋を見るドラルク
「嗚呼、可哀想なロナルドくん。いや、ロナル子くん。折角のバレンタインだというのに義理チョコの一つも貰えず狂ってしまったのだね」
「俺じゃねえ。狂ってんのは武々夫だ」
「彼がなにか?」
「バレンタインコンテスト開催するからって巻き込まれた」
「バレンタインコンテスト」
つい聞き返してしまった。
「チョコ渡す女の子になりきって、一番武々夫をときめかせたヤツが優勝」
「なんだその拷問は。そんなものにわざわざ乗ってやるなんて、君、そんなにチョロいと将来苦労するぞ」
背丈も肩幅もあり身体こそ男子そのものだが、顔立ちはどこか中性的だ。銀色の長い睫毛と、大きな青の瞳がそう思わせるのだろうか。顎のラインがもう少しほっそりとしていたなら、美少女になり得る素質は充分ある。子どもと大人の境目にいる少年特有の危うさは、その手の性癖者を魅了してやまないだろう。その手の癖を持たないこの私ですら、いや待て。私はいま何を考えた?
わざとらしく咳払いをし、面白がっている顔を作って声を掛ける。
「それで、君の順位は?」
「クソ先さあ」
「クソ先言うな。ねえ、順位は?」
「チョコレートとか食べれんの?」
「順……はァ?」
「食べたら死ぬ? 血圧イカレて死ぬ?」
「私をなんだと思ってるんだ」
「クソザコ貧弱ダンピールおじさん。タンスの角に足の指ぶつけて三時間くらい呻いてそう」
「失礼な。三十分だ」
「結構長えし」
「というかだな、君いい加減私のこと『先生』と呼びなさいよ。先生と」
「クソ先」
「……もういいや。それ、チョコレート?」
「おう。手作りだぜ、手作り」
「妹さんの?」
「俺のじゃ」