夕暮れに君の影を見た1日の最後の鈴が学園に響くと、世界はオレンジ色に染まる。
窓から差し込む夕日が、廊下をやわらかく染めていた。
今日1日の締めくくりは魔法史の授業で、居眠りを決め込んでいた生徒に追加課題が渡されたところで終業のベルが鳴った。
トレイとケイトも1日のうちにこれでもかってくらい出された課題を携えて自席から離れる。
教室の前のドア近くでは、授業終了にはしゃぐ同級生たちがたむろしていたから、ケイトと2人で後ろのドアから退室することにする。さっきまでは教室中が静まり返っていたので、喧騒が耳に新しく感じた。
開け放たれていたドアをくぐろうとすると、これから部活なのであろう運動着の生徒に追い抜かれた。
廊下に出ると、彼と同じように運動着を着た生徒たちがグラウンドや部室に向かって駆けていた。
「はーあ。課題ばっかで俺たち青春終わっちゃそう。」
隣でケイトが大きなため息交じりに愚痴を吐き出した。やれやれ、なんて言葉が聞こえそうなぐらい肩を落としている。
つい先日のテストの結果を思い出せば、口で言うほど真摯に課題に取り組んでいないことは明らかだ。
「そう言えるほど真面目にやっていないだろ。」
右手に持つずっしりとした課題たちを思い出すと、ケイトに共感しないわけもなかったけれど、わざわざ甘やかしてやるような役職でもなければ、そんなお優しさも持ち合わせていない。
「トレイ君ってばそういうこと言っちゃう?優先順位ってやつじゃん!」
「マジカメのほうが大切ってことか?」
「ん〜まあなんというか気にはなっちゃうっていうか?」
「はは、リドルに言っておくよ。」
もう少し真面目に取り組んでくれれば、リドルの癇癪をフォローする頻度も減るから助かる、とまでは言わないことにした。
インターン先を決めるアンケートが始まって、ケイトは以前よりも真剣に将来のことを考えているように見えた。もちろん、これまでの彼の様子を、補って余りあるほどかと言われればそんなことはないけれど。
極端に言えば刹那主義のような生き方にも見えたケイトは、随分と未来に目を向けるようになった。
本心らしいものを言ってくれることは、一番近くにいるトレイにさえまだないけれど、彼の最近の様子を見ていたらそうらしいことは見て取れた。
ゆるい歩みを止めて、ケイトが廊下の端で立ち止まる。
窓の外に何か見えるのかとトレイもそれに呼応する形で足を止めた。
いつもと変わらない放課後の風景だったから、どうしたのかとケイトを追って見やった。
「……でもさ、マジ、こうして時間って過ぎていくんだよね。」
窓枠に手をかけながらケイトが呟いた。
「……。」
窓の外ではマジフト部が練習を始めだした。運動着を着て、ほうきにまたがってディスクを追う彼らは、魔法学校の青春そのものに見えた。
ケイトが最近、未来を見据えるようになったのは、自分たちをおいてどんどん進もうとする時間の気配を察知したからだろう。置いていかれないようにと彼なりに準備を進めているのだと、トレイは思う。
部活に励む生徒たちを見るケイトの表情には、これまでの学園生活の日々と、それらはもう返ってこないという諦めが浮かんでいた。
窓の外のオレンジに長い睫毛が透けて美しく、触れたら壊れてしまいそうだと思った。
進級を意識し始める頃合いに、学生生活の終わりを意識するのはなんてことはない。他の同級生とだって何度もこんな話をした。
長い沈黙が続く。けれども、不用意に声を発して空気を震わせたら、そのまま目の前で像を成す美しいものが崩れてしまうかもしれない。
そう思わせるほどの、色気ともいうべき何かを、彼はまとっていた。
「ねえ、トレイくんは、時間を止められるとしたら、止めたい?」
最初に静寂を破ったのはケイトだった。
美しい夕日の映る窓枠を背負っているはずなのに、窓に手をかけてこちらを振り返りながらそう聞くケイトは、どうしてか暗く重たく見えた。
「どういうことだ?」
「……ううん。なんでも。」
時間を止められるなら、と彼は言った。
今まさに、日が沈みかけ、授業は終わり、部活動が始まり、俺たち2人は寮に向かって帰ろうとしている、そんな移ろう時間の真っただ中にいるのに、だ。
質問の意味が分からず聞き返すと、そもそも質問の答えを求めてさえいなかったかのように、あっけなく質問を取り下げられた。
求めていなかったかのように、ではなく、きっと本当に求めていないのだろう。
時間を止めることなんてできないことは、ミドルスクールに入る前の子供でも分かっていることなのだから。現実主義なケイトが、そんな夢を願うわけもないと思った。
「でもさ、トレイくんってそういうところあるよね。」
小さな子供を諭すように、まるで世界の答え合わせでもするかのように、窓を見ながらケイトは言葉を重ねた。
「さっきみたいなとき、普通の人は『卒業しても俺たちの絆は永遠だ!』とか言うんだよ。」
悲しそうにも、嬉しそうにも聞こえる声だった。まるでこれまで言われてきたことがあるかのように。言われたその日と、その言葉が叶わなかったと絶望した日のどちらもを思い出しているようだった。
「でも、お前は言わない。」
ずっと外を見ていたケイトが、言いながら振り返る。まっすぐこちらを見る目尻が、やっぱり嬉しそうに下がっていた。
言ってほしいのか。永遠を示唆する言葉を。そうではないだろう。俺がそうしたセリフを吐いても、受け入れてくれないのはお前の方だろう、と思った。
目の前の男のそんな態度が悔しくて、どうしても見返してやりたくなったのに、言葉は出てこない。
ケイトからは、中途半端なセリフを口にしないトレイへの、信頼ともとれる視線を感じたけれど、そんな信頼は少しも欲しくもない。
これまで彼が出会ってきたのであろう彼らと逆張りをするだけで得られる信頼なんて、結局は彼らと同列に扱われているということのほかないのだ。
そんなかりそめよりも、ケイト・ダイヤモンドの"絶対"が欲しいのだ。これまで出会ってきた人々には与えてこなかったであろう、"特別"が欲しかったし、"特別"でありたいと思った。
「ケイト。」
意味を持たせた言葉は出なかったけれど、これまでで一番意味を込めて彼の名を呼んだ。
物言いたげなこちらの視線に気づき、ケイトは無言で目をそらしてから、気まずそうに下を向く。
「わからないか。」
「……何のこと?」
追い打ちをかけるように彼を問いただしたけれど、少しの空白の後、笑いながらしらばっくれて見せた。
その表情を見て、さっき答えを待たずに取り下げられた質問は、ケイトがケイト自身に宛てた質問だったような気がした。
実現させられるわけもないけれど、時間の流れの真っただ中で、そうであればいいのにと願ってしまう自分を窘めるための質問だったのかもしれない、とトレイの頭にふと浮かんだ。
「いや……まだいいよ。」
一言だけ告げて、廊下を歩き始める。振り返らずとも、ケイトのローファーの音で、彼も後ろから歩き始めたことを確認できる。
きっとこの想いは伝わっている。本当は真面目なケイトが、わからないまま後ろを歩くなんてことはないだろうと思ったからだ。
拒絶の色を見せなかったことを重畳とすべきか、また今日も彼の本心を見せてもらうことができなかったと嘆くべきか、わからなかった。
それでも、今日この場で答えを急ぐべきでもないように思えた。それが俺たちの時間の流れなのだと思ったのだ。
「一緒に居られたらいいよね。もうちょっとくらいはさ。」
こちらの心情を察したのだろうか。後ろからケイトがそう告げる。
夕焼けの次の日は天気がいいなんて言うけれど、明日の空もこうして2人で歩けるだろうか。
そうして歩く先に、ケイトの"特別"になれている未来は、やってくるのだろうか。
隣り合って長く伸びた影が1つになる。