庭のプールで遊ぶ転生if記憶あり ショタ五七ちゃん♡「けんちゃーん。ベランダから、お庭みてごらーん」
伸ばした足の上で広げていた、重たい動物図鑑を閉じて。下から響いてきた声に従い、部屋のおおきな窓を開けた。
「はーい」
元気よく返事をする建人のちいさな身体が、途端、乾いた熱気にむわりと包まれる。容赦ない太陽の陽射しが全身を瞬く間に熱し、蝉の鳴き声で溢れる夏を浴びた。
「こっちよ、こっち」
見下ろしたのは、芝生の敷かれた庭。青々としたそこは、母の愛する薔薇で彩り囲われて。更に大きく茂って陰を作る何本かの木々により、強い日差しから緑と家とを守っている。
その、大半が木陰になって涼やかな庭のなかでも、木の陰が特に濃い場所に、ホースを片手にした母が手を振り立っている。その足元に置かれているのは、目を引く青い丸のかたち。
「見てごらん」
木陰を過ぎ去る風が、青い丸の内側に湛えられた水面を煌めかせる。
キラキラ。
チカチカ。
ピカピカ。
庭では、眼にも眩しく涼やかなビニールプールが、建人に見てもらうのを待っていた。
「さとくん、もうすぐ来るんでしょう? ふたりでたくさん遊べるわよ」
「わ……ありがとうございます。いま行きます」
常の癖である落ち着いた敬語であろうと、建人の興奮している気持ちを越えの抑揚で汲んだ母が笑って。水着を用意して待っている、と手招きしてくれる。
かねてからの友人であり人生の先輩で、いまなお恋人である、五条あらため、さとくんが。あと数分もすれば遊びに尋ねて来るのを見越し、ひんやりとクーラーで涼めていた部屋から。勢い抜け出して、蒸し暑い階段を降りると。
庭へ続くリビングの窓が、おおきく開いていた。そこから建人目がけてざあざあと、乾いた風が吹き抜けてきて心地良い。風で揺らいだレースカーテン越しの庭先では、太陽の陽射しを浴びた母が、麦わら帽子の下で笑っている。
「おいで」
濡れた手で、大きく手招きをされた。
「手だけでも、けんちゃんが一番乗りをどうぞ」
「はい!」
今度はリビングを駆け抜け、自分専用のちいさな黄色いサンダルを素足に履き急ぐ。
生き生きと茂る芝生をさくさく音たて踏むのは、それだけで楽しいもの。サンダルの隙間から、ちくちくと刺さる葉先の感覚で笑いをあげながら、母の呼ぶ木陰に逃げ込んだ。
子供の駆け足はすぐにはブレーキがきかない。母の脚に身体の正面から抱き着くことで、やっと止まることが出来た。
「けんちゃん、元気だねぇ。さとくんとのプール、そんなに楽しみだったんだ」
「はい、とっても、楽しみです」
それまでは灼熱の日照りであった夏が、密集した木の葉で僅かながらしずまった。母のひんやりと冷たくなった手は、陽にあてられた身体を労わり。汗の滲んで前髪の張りついた額を撫でてくれる。
「ちょっとあたっただけでも、太陽ギラギラで暑かったね。汗かいてる」
「きっと、さとくんも汗いっぱいですね」
「そうだね。あ、急に誘ったけど……さとくんは水着、持ってたかなあ」
母の腰までしかない背丈である建人へ、しゃがみこむ母から麦わら帽子を貰い受けた。傾げられた首を鏡のように真似っこし、建人もこてんと頭を傾げる。
「このあいだ、さとくんから海に誘われました。だから、たぶん持ってると思います」
「そっか。ならよかった。さとくん、はやく来るといいね」
自分のことのように期待をこめて笑う母の手に誘われ、建人もプールの水面へ、恐る恐る手を差し込んだ。指先からすぐにも背筋にまでやってくる冷たさ。じわりと滲んでいた汗のこともあって、すぐにも水中へ飛び込みたくてウズウズする。
中身はすでに齢三〇を手前にし――今世の齢を加えれば、そのもの三〇を超え――ていて。年端もいかぬ身体に宿る本能故か、幼心を掻き立てられる場面は多々あった。
例えば、今世での五条との初対面。蒸し暑い夏の夜に、新調した甚平を着せられると浮足立ったものだ。
例えば、五条を『さとくん』と呼ぶようになった日のこと。彼に誘われた虫取りは、我を忘れるほど夢中になった。
同じ日、彼の背中におぶさったときも同様だ。年上として精一杯奮闘する五条を、お兄ちゃんのようだと逞しく、憧れを感じた。
そして今日、膨らんだプールと水面ひとつに、ドキドキと胸が高鳴っている。このあとすぐに五条がやってきて、ふたりではしゃげる時が楽しみでならない。知らず、ふくふくとした頬がより盛り上がって、にこにこしてしまう。
「けんちゃん、ご機嫌さんだ。さとくんが来る前に、さきに水着に着替えて待ってよっか」
「はい。プール、とっても楽しみです。ありがとうございます」
大きな母の手を取って、涼やかな部屋へ戻る。部屋着から水着へと着替え、全身浸るには冷たすぎる水面が夏の熱気で温まるのを待つ。それは幼心にとって、とてつもなく長い時間に感じられた。
🌻
「な~な、っと、えっと……けんちゃーん、こんにちは!」
庭の向こう。赤レンガで作られた石畳を抜け、薔薇のアーチから白い頭が顔を出す。夏の直射日光が反射した白銀の髪は、水面より眩しく建人の目に映った。
「いらっしゃい、さとくん」
「わ、はは。プールもう入ってるの。涼しそう、いいね!」
喜び勇んだ、スキップのような足取りでプールへ近づいてくる彼、さとくんこと五条は。それはそれは自由奔放。まず着ていたシャツをぽいと脱ぎすて、サンダルは駆け足の最中にそれぞれ芝生へ放り。膝丈のズボンなぞ、建人の前でごそごそ脱いでみせる。その下には約束通り、水着が履かれていてすこし安堵した。
「ちょっ、ちょっと……着替えなら中で」
「暑くて待てないんだもーん」
ぴょんっと飛び上がった五条は、建人よりすこし背が高い。それで、勢いよくダイビング。彼の髪色に反射するのと同じく、五条の身体が上げた水飛沫はキラキラと眩く、夏を彩った。
🌻
はしゃぐ声が庭先で乱舞。振り切れたような高い声が、水飛沫と同様に跳ねて、弾けて。そこいらを転げまわる。
五条が両手で水面を掬うと、建人の身体が頭からざぱりと濡れていく。驚きからややあって、反撃の狼煙を上げるあたり、もちもちと美味しそうな手足をもっていたとして元来負けず嫌いの七海建人らしい。
ちいさな身体が一息に、わっと立ち上がると、両手をめちゃくちゃに上下させ。ふたりの間でばしゃばしゃと激しく白波をたてる。
それは五条の髪に、細めた目にも、暑さで火照らせた鼻先にも飛び。大口開けて笑う、その咥内にまで入り込んだ。
「けんちゃん、わかった、ごめん。ごめんって! う、はは! アハ、ハハ」
「もう! わたしのこと、ばかにするからこうなるんです! ふ……フフ、く、ふふ、あはは!」
水の掛け合いに発展したかと思えば、大笑いにもつれ込み。あえかな悲鳴を夏の空に響かせる。あまりの楽しさが伝播したか、蝉の声が煩さを増す。負けじと腹の底から笑い合って、水を掛け合って。
「まちなさい!」
五条が水を蹴って芝生に飛び出した。
「つかまえてみろって」
「言いましたね」
建人もそれをすぐさま追い、足裏をチクチク刺されるくすぐったさに堪えながら追いかけっこを始める。短い手足を懸命に振り回し庭を駆けずりまわると、笑いがあとからあとから湧いて出てくる。なにが面白いかは、ふたりにもとんと見当がつかない。けれど楽しくて、腹の底も足の裏もくすぐったくて。
つまづいて芝生に転がった五条の上に乗ると、抱き上げられてプールに連れ込まれる。しばし水をかけて今度逃げ出すのは建人の番。逃げる順番を交互に、意味なく繰り返し。ときおり、麦茶を用意してリビングから声をかける母に、ふたりで手を振った。
ぽてりと膨らんだお腹や、むちっと張った手足で幼さを露わにする『けんちゃん』と。これからぐんぐん縦に伸びていくつもりで、骨ばった質感の目立つ手足を持った『さとくん』を。互いの目にしかと映し、楽しさと愛しさに濡れそぼる思い出を、またひとつ心へ重ねる。
「昔の傷痕……すこし、残っているんですね」
「うん。オマエの身体にも、すっごく薄いけど傷痕があるね」
小さな手が、小さな身体に触れる。季節外れの紅葉が、五条の胸にぺたり、ぺたり。ちいちゃな爪の先で、胸から腹にかけてをなぞられる。赦されるのならと五条からも、白く、肉付きは幼子のふくよかさを残す肌を、さらさらと撫でた。
よくよく目を凝らしてみてわかる、微かな色の違い。
昔々に受けた傷は、今世でも尾を引いている。
「さとくんのは、高専の時の傷、ですね」
「まぁね。あれからあとは、僕、ずっとサイキョーだし?」
五条は、ふはっとやわらかい笑みを浮かべ。すぐにも真面目な顔色へ。
「けんちゃんの傷痕はさ……」
「言わなくていいです。大丈夫、これからはずっと一緒、なのでしょう?」
プールのなかで腰をおろし、ほっぺたを弛ませて笑ってくれる目の前の男の子は宝物だ。それは共に言えることで。真っ青に染まる瞳にも、鮮やかな翠の瞳にも、各々はっきり記されてある。
「夏は良いね。オマエの髪が、特に綺麗に見えるよ」
「アナタ、他人のこと言ってる場合じゃないでしょう。睫毛も髪の毛も、キラキラ眩しくさせていて」
「けんちゃん、それ、ちゃんと褒めてる?」
「褒めてます、褒めてます」
軽くあしらった五条の、細い手が建人の前髪を掻きわけ、白く小さな額を露わにする。これくらいなら子供のじゃれあいに映るだろうとしてか、ぷちゅっ、と可愛らしいキスがひとつ。慌てて母の居るリビングを横目で確認してやっと、微笑みでもって五条に礼を返すことが出来た。
それから小一時間ほど。たっぷり遊んだところで、リビングの窓から母の声が。
「ねぇふたりとも、美味しいスイカがあるんだけど、食べたくなあい?」
「食べたい! けんちゃん家でこのあいだ食べたスイカ、すっごく美味しかった」
「そう? 良かった。けんちゃんは?」
「食べます。三切れ」
「えぇ~、じゃあ僕、四切れ」
そこで張りあうつもりはなかったのに、やはり勝負になってしまう。我先にと水から上がり、ひろげて待たれるふかふかのバスタオルに飛び込んだ。
さぁ、風の吹き抜ける涼しい部屋に戻って、瑞々しい赤い果実に齧りつこう。
甘さで喉を潤し、べたべたになった口を拭いたら。今度はふたり仲良く、お昼寝だ。
「……けんちゃん」
「……ぅ、ん……はぃ?」
くたくたになるまで遊び惚けた身体は、毛布のうえに横たえただけでともに瞼が重い。せっかく涼しいのだからと、五条の手に短い指を握られて。ほとんど眠りに落ちた状態の建人からは、足をちょんとくっつけて応える。
――夢のなかでも遊ぼうよ。海に行くんだ。オマエが行きたいって言ってた、海外のさ。
――いいですね。では、待ち合わせは浜辺で。アナタ立ってるだけで目立つので、じっとしていてくださいね。
瞬きで意思を疎通させ、限界を感じて瞼を閉じる。こののち互いを感じられるのは、手と足の、触れあっている部分の感覚だけ。しっとり汗ばみはじめた繋がりの、その熱が愛しくて、恋しくて。
お腹にかけるタオルケットに隠れ、握り絡ませ合う手指。そこにある幼い熱に、一生を願った。