麗らかな金色に白いベールを被せるハムエッグ。傍らに鮮やかに彩られたサラダを横たわらせた姿は、実に清々しい朝を連想させる。大皿の横に据えられた小皿にはフルーツドレッシングが揺蕩っており、そこから漂うさわやかな香りもそのひと役を買っていた。焼き立てのパンを詰めた籠を手渡したシェフ曰く、朝食時には一番人気のドレッシングらしい。客船に乗ってから数日、船員スタッフは慣れた風に微笑み「良い朝を」とだけ言って、リーズニングをレストランルームから見送った。
依頼人から報酬代わりのひとつとして受け取ったクルーズは、リーズニングに思いの他安寧を与えている。慣れ親しんだ事務所には遠く及ばないものの、単なる遠出よりは幾らも気軽な心地で居られている。「感謝の気持ちに」という依頼人の言葉と心に嘘偽りはないとは、この数日で理解できた。クルージングの値打ちなど大まかにしか理解出来やしないが、おそらく高級な旅を与えられている。旅行に慣れない人々を満喫へと誘うスタッフの手腕も相応だ。乗船前は不信感すら抱いていたリーズニングも、今はこうしてひとり、レストランルームへ赴けている。満喫こそしているものの、腑抜けになった訳ではない。食事を部屋まで配膳するルームサービスは今なお固辞したままだ。満喫しつつ、警戒は解いて、身なりを保つ。この塩梅を上手く取り持てるようになった。
エントランスに抜け出て、オブジェの如き煌びやかさをもつ螺旋状の階段を横目にエレベーターを乗り、客室階へ上る。赤い絨毯が敷かれた廊下を渡り、慣れた足取りで扉の前に辿り着く。単なる飾りと化したチェーンを越えてポケットに指を差し入れ、鍵を取り出す。
初日に部屋に飾られていたそれを見たとき、誰が着るものかと一蹴した衣服も今やこの身のものだ。海賊を謳ったような上着に飾りが多いだけで、シャツとスラックスは然程装飾がない。襟や裾が零れる波のようにあしらわれている程度で、形に馴染むようにあてられたシルク素材は滑らかで着心地が良い。ブーツは機能性も高く、これだけは初日から履いていた為に足に馴染み始めていた。クルージングへの参加者に配られる旅の衣装は、参加者それぞれに合わせたものを誂えているらしい。普段使いは出来そうにない絢爛も、この度の間だけなら許容できる。何しろ着替えの手間が面倒だ。これはリーズニングの身支度のコンパクトさが仇となり……否、功を奏して、飾られるばかりであったはずの衣服の袖を通すこととなった。渋々着るに至ったものだが、身に纏った際これでもかと目を輝かせた連れが愛おしかったので、まあいいかとも思っている。そう思えるくらいには、この船旅にくつろいでいた。
「ホワイト」
ナイトタイム。そんな札が掛けられた扉を開け、すぐに閉じて鍵を施しながら呼びかける。たった二人が過ごすにしては広々と取られた部屋は勝手口から寝室に向かうまでも時間を要す。少し贅沢な一人暮らしのような部屋だ。ロンドンでこんな部屋を借りるのに、どれほどの家賃が必要だろう。今ばかりは遠く離れた日々を思いながら、寝室への扉を叩く。これはあくまで合図で、返事を待つつもりはなかった。し、相手だって返事を待たれるとも思っていない。現に扉を開けたとき、ベッドに横たわる子供は笑みを浮かべていた。花が綻ぶような笑みを。
「せんせい」
寝室に大きく据えられたベッド。そこに横たえていた体が起き上がろうとしているのを見て、リーズニングは足早に近くへ歩み寄る。サイドテーブルに朝食のプレートを置き、くぐもった声をあげたその人を優しく撫でて制した。撫でて、抱き寄せ、仕舞いに額や髪に口づけを落としながら再び寝かせてやる。
「無理をするな。…痛いところはないか」
「ちっとも」
「嘘つきめ」
白い髪を撫でて、頬を甘く噛む。手に触れた髪は少しばかり湿ったままだ。夜中に浴びたシャワーの名残だと、リーズニングはよく知っている。
背を撫でれば、さりさりとした不思議な感触を感じ得る。レース素材の寝具は痛みもかゆみもなく滑らかに白い体を包み込んでいた。人魚をモチーフにした彼宛の衣服は寝具までも用意されており、普段使いのものより幾らか布が薄くレース部分も多い。「僕、男の人なのに」と、かろうじてパンツスタイルを保っていた衣服を広げながら苦笑したホワイトだったものの。これはこの子に合っている、と、リーズニングは半ば本気で思っている。幻想的で、美しく、綺麗だ。確かにこの子は、人魚のように人を惹き付ける。
「ごめんなさい、今日もごはん……とってきてもらって」
「俺が無理をさせたんだ。これくらいはさせてくれ」
眉尻を下げる優しい子供に、リーズニングはとびきり甘く囁いてやる。これは真実で、彼に受け入れて欲しい本心だ。頭を背を撫でてやれば、幾らか気を楽にしたのか、微笑みを浮かべるホワイトの眼差しと出会う。起きたばかりの瞳はとろりと穏やかだ。まずは水を飲ませてやるべきだろう。朝食と共に新しく持ってきた水瓶へと腕を伸ばす。伸ばそうとした。熱い袖、それから洒落た黒いグローブに包まれた手は、白皙の指先に留められた。
「せんせい」とびきり甘い声音だった「あの、ね」
今一度、視線をやる。起きたばかりだからと思っていた眼差しが、それだけのせいでないとリーズニングはこの時ようやく理解した。美しい指に、自身の黒い指先を絡めて、指の全て、手の全てを握り取る。絡めて握り、身を屈めて、声を聴いてやる。
「おなか、まだ熱くて」
寄せた耳に桃色の唇が触れる。さもキスするような囁きだ。だから人魚などと言われる、とびきり甘い声。
「おねがい」