①リボシス:第三者視点
マリーにはお気に入りがある。華美な装飾と柔らかなクッションで作られた王座。眠る前に鼻を掠めるバラの香り。ティーパーティーにいつもある小さなスコーンたち。それらを割って塗られるクロテッドクリーム。ガーデンを開園した記念に貰ったティーカップ。それから、彼女のティーガーデンを守る愛らしい騎士たち。
「イライ」
スコーンにクリーム、美しい花垣に絢爛なテーブル、それからリボンで彩られた騎士たちで、彼女のティーガーデンは織り成されている。舌に乗せた名前は、その中でもとびっきりのお気に入りだった。口にする度に優しい味がする名前だ。教会のシスターのように穏やかに微笑んでいるのに、それでいてお菓子のように愉快な言葉を紡いでくれる子。騎士たちの中でもひとりだけ女王の友人という立場を得ているその青年は、今日も今日とてマリーに優しく微笑んでくれる。
「なんだい、マリー」
微笑む彼に手招きをする。すると彼は手に呼び寄せられるままに身を屈め、マリーの傍へと顔を寄せる。その頬は、僅かに桃色に染まっている。
桃色の理由をマリーは解っていた。今、ティーガーデンはふたりだけで、こういうとき、ふたりは決まって同じことを話すのだ。続く内にそれとなく決まりごとになったひとつの話題。ふたりだけのときにしか話せないことがある。イライもそれを解って頬を染めているだろうのに、自ら口にはしない。必ずマリーにひと言尋ねる。そんな恥ずかしがり屋なところも、マリーのお気に入りたる理由のひとつだ。
「あの子のこと、聞かせて頂戴」
あの子。それが誰か、イライとマリーだけが解かり合える。黄色いリボンの騎士。ティーガーデンを守る騎士のひとりであり、イライの恋人である彼とのことを、イライはひっそりとマリーだけに教えてくれる。シスターのように垂れるヴェールが、桃色の頬をそっと隠そうとしてくれている。その様子からして、ふたりの仲は円満なようだ。マリーはそれが嬉しくて、それからとても悔しい。けれどイライの白い肌が色づく様は彼にしか生み出せないから、マリーは今日も悔しい心地を潜めて彼の話を聞いてあげるのだ。
②受けに銃を持たせて優しく唆し撃たせる攻め:リズホワ
眼前を認識する前に、暗闇が落ちた。それが後ろから回ったリーズニングの手だと、瞼に触れた冷たさで分かった。この人の手はいつも冷たいと、ホワイトは正しく認識していた。人よりずっと働く脳を持つばかりに眠りを許されず、不摂生な生活を送る人の手。言葉の不器用さとは裏腹に、とても優しい仕草で触れてくれる大好きな手。目を覆い隠したのは優しさからだと、ホワイトは聡明な頭で理解していた。それでも恐ろしさは拭えなかった。銃を握る手を支えるのも、同じ彼の手だったから。
「お前は何も悪くない」リーズニングは優しい囁きで嘘を紡いだ。「悪くないんだ」
ホワイトの手に添えられたリーズニングの手が、安全装置を解いた。その軽快な音も恐ろしかった。目の前にあるものを……手で覆い隠された先にある者を、ホワイトはもう認識していた。隠されたって知ってしまった。それでもホワイトを守ろうとして、リーズニングは嘘をついたのだ。ホワイトは震えた。肩も手も、何もかもが小刻みに揺れていた。なのに手の中にある銃の重さが、どうしてだか懐かしい。どうして?
「俺の言う通りにしなさい。いいな?」
リーズニングが囁き掛ける。最初に拾われたとき、目覚めたホワイトにスープの飲み方を教えたのと同じ声音で、引き金のひき方を教えようとする。ホワイトは首を振りたかった。嫌だと泣いて崩れ落ちたかった。けれど目を覆い隠す手の優しさが、その全てをできなくさせていた。いつか、ずっと前に、同じように覆い隠してくれた手があった。そんな気がしたから。
③ひと目惚れ:猟観
なるほど、恋というのはどんな時においても優先される。
イライはその事実を思い知っていた。今は危機的状況だった。多勢の敵勢力に囲まれ、それを突破してこの屋敷を脱出しなければ命がないなどといった、無茶苦茶な状況。どうにか一時的に追っ手を撒き、人気のないこの部屋に潜り込んだ時までは、イライの体は緊迫感で満ちていた。この先をどう切り抜けるか。どうやれば生きていられるか。或いは、死んだとしてもこの神秘の眼を敵に奪われずに済む方法。思考はそれらで埋め尽くされていた。室内に生じた気配に反応し、咄嗟に拳銃を構えるまでは、そうだった。
しかし銃口の先を目にしたとき、全てが変わった。赤と黒の色違いの不気味な眼を前にしたときに、何もかもが一変した。死を覚悟していた心が、その場でひっくり返った。鼓動は五月蠅くなり、脳はそれまで考えていた全てを吹き飛ばした。その頬についた縫い目のある傷跡に口づけしたい。できればその唇に。そんな馬鹿な思いが頭をよぎった。普段のイライからは、考えられない衝動だった。そしてその衝動を相手も同じように抱いていると、その目で理解できた。熱情に燃え上がった眼差しを、神秘の瞳はしっかりと目にしていた。
「ねえ、君……その……」イライは言い淀んだ。ティーンエイジャーに戻ったような口ぶりになってしまった「名前は?」
「ここを出たらキスと一緒に教えるってのは、どうだ?」
シャツに赤いネクタイをしたその男は、黒いジャケットを揺らして立ち上がった。イライは同じように立ち上がって「名案だ」と頷いた。早く出てキスをしたい。死をも覚悟した心がその思いで満ち満ちていくのは、全く不思議で、くすぐったくて、気分がよかった。